映画「哀れなるものたち(Poor Things)」

Poor Things 話題作ですね。「バードマン」「ラ・ラ・ランド」「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」のエマ・ストーン(Emma Stone)が、「女王陛下のお気に入り」に続いてヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)とタッグを組みました。プロデューサーまで務めただけあって、今まで以上の渾身の演技で映画を引っ張っていきます。まだアネット・ベニングやサンドラ・フラーの主演作を観ていないのでわかりませんが、来月のアカデミー賞で主演女優賞を獲っても不思議はないと思います。

原作は1992年に発表されたアラスター・グレイ(Alasdair Gray)の同名小説。ヴィクトリア朝のグラスゴーで暮らした公衆衛生官の文書を郷土史家が偶然発見し、交流があった作家に手渡したという設定の作品で、公衆衛生官アーチボールド・マッキャンドレスの著作物と、それに対して付記された妻ヴィクトリア・マッキャンドレスの書簡を、作家アラスター・グレイの序文と註で挟んだという枠組みの読み物です。

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映画はややこしい設定をすべて割愛した上で、舞台をグラスゴーからロンドンに、アーチボールドの名前をマックスに変え、後にヴィクトリアと名乗ることになるベラの物語に絞り込んで展開します。原作を覆っていたペダンティックで陰鬱な雰囲気のかわりに、スチームパンク的な小道具で彩られたポップな世界観を打ち出していて、小説とは味わいの異なる軽快な作品になっています。

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ロンドンの医学生マックス・マッキャンドレスは、外科医ゴドウィン・バクスターの助手として、彼の屋敷で暮らしていたベラという女性の成長を記録することになります。ベラからゴッドと呼ばれているその浮き世離れした外科医は、高名な外科医だった父親の実験台になったことでさまざまな臓器を失い、顔も縫合痕だらけですが、手術室まで備えた大きな屋敷で人目を忍びながら家政婦と共にベラの面倒をみています。

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マックスは、妙齢の女性であるベラが子どものように振る舞うことに興味を持ちます。ゴッドいわく、妊娠中の女性が入水自殺を図り、亡くなった母体に生きていた胎児の脳を移植した、外見は成人だが知能はまだ幼児の段階にあり急成長中とのこと。

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ベラに惹かれたマックスは、ゴッドの許しを得てベラと婚約することになります。しかし性的好奇心をもつ段階まで成長していたベラは、婚約のために招かれた放蕩弁護士ダンカン・ウェダバーンの口車に乗せられ、自由を求めて彼と駆け落ちしてしまいます。

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ここから映画の主幹をなすベラとダンカンの旅が始まるのですが、リスボンに着いてゴッドの制約から解き放たれたベラは性的快楽を極限まで追い求め、もともとベラを弄ぶつもりだったダンカンを辟易とさせます。もちろんベラの成熟は性欲の解放だけでなく、たとえばタルトのおいしさを知ったり、街角でカルミーニョ(Carminho)のファドを聴いて涙したりといった感性の部分にも及んでいきます。

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ところがベラの放逸をコントロールできなくなったダンカンは、ベラをだまし討ちにかけて客船に同乗させてしまいます。

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船内の閉じた世界にいれば安心と考えたわけですが、ダンカンがカジノでうつつを抜かしている間に、ベラは老婆マーサと黒人のハリーと仲良くなり、読書の喜びと哲学に親しむことを覚えます。

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また寄港地のアレクサンドリアで住民の貧困を目の当たりにしたベラは、彼らに金銭を与えようと、ダンカンがカジノで得た全額をずる賢い船員に託してしまいます。その結果、一文無しになった二人はマルセイユで下船させられ、仕方なくパリに向かうことになるのですが、ベラはゴッドが服地の裏に縫い込んでくれた緊急用のカネをダンカンに渡し、英国に帰るように諭します。

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残ったベラは収入を得ながら性的探求を深めるためマダム・スワイニーの娼館で働きます。

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表層的にみれば体を売るところまで墜ちたともいえますが、ここで彼女は女性の側から男性を選べない不公平を感じ、マンスプレイニングをはじめとする客の愚かさを知り、同僚のトワネットから社会主義を教えられることでまた一歩成長するわけです。

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その後、死期を悟ったゴッドの依頼で、マックスがダンカンを見つけ、ベラに連絡したことで彼女は帰国することになります。ゴッドと和解し、マックスと挙式することになるのですが、花嫁は失踪中の我が妻ヴィクトリアだといってアルフィー・ブレシントン将軍が現れ、ベラはその主張を受け入れて元の鞘に収まるという急展開を迎えます。もちろん、夫婦間の問題は彼女が失踪する前と変わりませんから、ヴィクトリアに戻ったベラも引き続きアルフィーのDVに苦しめられることになり、彼女は再びさらなる解放を求めてエンディングに向かっていきます。

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とても奇っ怪な物語ですが、これまでランティモス監督の「籠の中の乙女」「ロブスター」「聖なる鹿殺し」を観てきた人にとってはシンプルでわかりやすい部類だと思います。設定が明確で前提の理解に悩むことはありませんし、テーマも女性の解放に絞られていますので、この監督にしては珍しく広範に受け入れられているのも不思議ではありません。

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世界を旅する物語ですが、船上を含むほぼすべてのシーンをセットで撮影したそうです。あえて作り物っぽくした書き割りのような風景が「バービー」を彷彿させますが、テーマも相通じるあたりが興味深いところです。美術を手掛けたのはショーナ・ヒース(Shona Heath)と「ジュディ 虹の彼方に」のジェームズ・プライスで、衣装のホリー・ワディントン(Holly Waddington)、音楽のイェルスキン・フェンドリックス(Jerskin Fendrix)らと共にアカデミー賞にノミネートされています。撮影は「マリッジ・ストーリー」「選ばなかったみち」「カモン カモン」など通好みの作品を撮ってきたロビー・ライアン(Robbie Ryan)で、彼もノミネートされています。

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もちろん最大の見どころはエマ・ストーンの熱演でしょう。わたしのからだはわたしのもの、といった女性の性的自由も大切なテーマですから、裸になる場面が多くR18+指定になっていますが、スリムな体型のせいか、いやらしい印象はなく、束縛の拒絶と自由の希求が明確に伝わってきます。自由という点でいえばリスボンのダンスシーンも強く印象に残りました。彼女の声質も役柄とフィットしていたと思います。

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その相手役となるダンカンを演じたマーク・ラファロ(Mark Ruffalo)も良い味を出していました。このブログでは「キッズ・オールライト」「はじまりのうた」「フォックスキャッチャー」「スポットライト」などの出演作をご紹介してきたせいか、エロティックな印象の薄い俳優ですが、逆にそれが奏功してエマ・ストーンの怪演とうまく馴染んでいたような気がします。

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ゴッド役は「アステロイドシティ」などウェス・アンダーソン作品や「フロリダ・プロジェクト」「マザーレス・ブルックリン」「ナイトメア・アリー」でお馴染みのウィレム・デフォー(Willem Dafoe)で、マックス役は「ドント・ウォーリー」にAA参加者役で出ていたラミー・ユセフ(Ramy Youssef)、アルフィー役は「ファースト・マン」に出ていたクリストファー・アボット(Christopher Abbott)。その他、船上でベラを導くマーサ役で「苦い涙」のハンナ・シグラ(Hanna Schygulla)、娼館のマダム・スワイニー役で「マクベス」の魔女役キャサリン・ハンター(Kathryn Hunter)といった名女優が共演しています。

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ちょっとネタバレになりますが、きれいに物語が収束する映画とは異なり、原作ではヴィクトリア(物語の中のベラ)の書簡で、グラスゴー人道会のジョージ・ゲディーズがクライド川から遺体を引き上げたという話も脳移植の話もマッキャンドレスの創作だと暴露するどんでん返しがあります。彼女が記した真実は、将軍との結婚後、FGMを受けさせられそうになり、その手術のために呼ばれた医者がバクスター。彼の話を聞いて目覚め、自らロンドンのブレシントン邸(29 Porchester Terrace, London)から逃げ出してグラスゴーの彼の屋敷(18 Park Circus, Glasgow)に匿って貰ったというもの。つまり映画の終盤は書簡の要素を逆順で反映させたものです。

公式サイト
哀れなるものたちPoor Things

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