ショーン・ペン(Sean Penn)は俳優として演じるだけでなく、監督としても「イントゥ・ザ・ワイルド」のような佳作を撮っていますが、俳優と監督を兼務したのは今回が初めてだそうです。
原作はジェニファー・ボーゲル(Jennifer Vogel)が、犯罪者だった父親と自分の関係を記した自伝的ノンフィクション。監督を務めると同時にその父親役をショーン・ペンが演じ、主人公であるジェニファー役に実の娘であるディラン・ペン(Dylan Penn)、その弟役にこれまた実の息子であるホッパー・ジャック・ペン(Hopper Jack Penn)を配しています。
つまりショーン・ペンの家族が劇中の家族を演じているわけですが、だからといって身近な人だけでこぢんまり撮った作品ではなく、小さな役で有名俳優が出ていたり、キャットパワー(Cat Power)が挿入歌を手がけていたり、周りは一線級の人たちで固められています。
ジェニファー・ボーゲルの父親、ジョン・ブライソン・ヴォーゲル(John Bryson Vogel)は、借金しては怪しげな商売を繰り返すという山師のような人でした。妻パティはそんな夫に愛想を尽かし、子どもたちを連れて離婚するのですが、娘のジェニファーだけは何故か父ジョンを慕っていて、パティが再婚相手と暮らす家を出てジョンの元に身を寄せます。
ジェニファーと暮らすようになったジョンは、イカサマ商売に見切りを付けて銀行強盗をはたらき、逮捕されて服役することになります。1991年に仮釈放された後は刑務所内で身につけた印刷技術を活かしてミネアポリスでプリントショップを営んでいましたが、地道な生活に馴染めなかったのか、偽札作りに手を出してまたもや警察に追われることになります。

映画の始まりは、ジョンやパティと暮らしていたころの少女時代の思い出に、大人になったジェニファーが連邦保安官からジョンが作った偽札を見せられるシーンが重なります。ちなみにこの保安官を演じているのは「ビール・ストリートの恋人たち」のレジーナ・キング(Regina King)、チョイ役なのに豪華です。

少女時代のシーンは、ロードサイドに建てられていた巨大なカウボーイのビルボードをスケッチしたり、運転中にジェニファーを膝に乗せ、まだ子どもだった彼女に運転させようとするジョンの思い出。そのとき描いたスケッチや、ジョンが言う、車を運転できれば自由になれるというセリフが映画の象徴的モチーフになります。

1942年6月14日生まれのジョンは、誕生日がフラッグ・デー(米国旗の制定記念日)であることから、自分が祝福された人間、特別な存在だと信じていたようです。ダニング=クルーガー効果の一種なのでしょう。常に能力以上の成功を追い求め、現実との辻褄を合わせるために嘘をつき続けることになります。
ほとんど家に寄りつかない父親だったようですが、子どもたちから立派な父親だと思われたかったようで、帰ってくる度に見栄を張って良い顔をして見せます。人生そのものがイカサマだったとはいえ、子どもたちから愛されたいという気持ちの一部には子どもたちへの愛情が混じっていたのかも知れません。

そんな父親を信じ続けたというジェニファーの言い分にはまったく共感できませんが、二人の繋がりは理解できます。パティと再婚相手に反発して非行に走り、家を出た彼女の逃げ場所として、現実から目を背け、ウソで塗り固めた人生を送る父親は好都合だったのでしょう。要するに似たもの同士の共依存ですね。

成熟しきれないダメな大人を演じさせたら右に出る者がないショーン・ペンにはぴったりの役で、自信があるからこそ、娘と息子を出演させたのだと思います。特にディラン・ペンには複雑な感情を滲ませる難しい演技を求め、力量をアピールさせようとしているあたりに娘を思う父親の思いを感じます。

子どもたちから見て叔父であるベック役に「インヒアレント・ヴァイス」「ボーダーライン」「デューン 砂の惑星」のジョシュ・ブローリン(Josh Brolin)、祖母役で「ウィンターズ・ボーン」「パーム・スプリングス」のデイル・ディッキー(Dale Dickey)、ジェニファーの取材相手役に「おみおくりの作法」「博士と狂人」「ジェントルメン」のエディ・マーサン(Eddie Marsan)を配し、実力ある俳優で固めているあたりはショーン・ペンの人脈がなせる技でしょう。

ノスタルジックな趣をたたえた美しい映像はダニー・モダー(Daniel Moder)の撮影。「シークレット・アイズ」などでも撮影監督を務めたようですが、ジュリア・ロバーツの夫としての方が有名かも知れません。
[仕入れ担当]