話題作ですね。多くの監督が映像化を試みながら、原作の壮大で複雑な世界観を表現できず、挫折したり失敗してきた、いわくつきの小説ですが、とうとうドゥニ・ビルヌーブ(Denis Villeneuve)監督が劇場公開まで漕ぎ着けました。「メッセージ」「ブレードランナー2049」を彷彿させるこの監督ならではの映像はIMAXシアターなど設備の整った大劇場で楽しみたいものです。
世界中に熱狂的なファンをもつ原作ですので、映画の出来によっては非難の嵐に見舞われかねませんが、おそらく多くの人が満足できたのではないでしょうか。ひと言でいえば、小説1作目の前半から名場面を抽出し、因果関係を省くかわりに凝った映像を駆使して紡いでいった感じです。

前半というのは、厳密にいえば2/3程度、フェイド・ラウサが闘技場で戦う前までです。1作目の重要人物であるフェイド・ラウサですが、時折ラッバーンの隣に立つ男がそうではないかと思わせるものの、今回の映画には名前すら出てきません。ですから彼の役割や野望に触れないまま、ポールがジャミスとの死闘を経てフレメンに信任されたところで映画が終わります。

因果関係を省いてというのは、たとえばジャミスのポールに対するタハッディの挑戦は、レディ・ジェシカの真価を問うものではなく、単純にポールの戦闘能力を試すものになっています。これに限らず、レディ・ジェシカの出自や目的を問う場面はすべて割愛されていますので、原作で彼女が漂わせていた魔女的な神秘性はかなり薄まっていますし、当然ながら血の宿命には触れません。

念のため概要を記すと、この物語は惑星カラダンを領地としてたアトレイデス公爵家が、皇帝の勅命によって砂漠の惑星アラキス(通称デューン)を治めることになり、従前の統治者ハルコネン男爵家と諍いが生じるというもの。
アラキスはメランジという抗老化作用を持つ、非常に高価な香料の産地ですが、サンドワ−ムという巨大生物が採取を難しくしています。とはいえメランジはサンドワ−ムに寄生するリトリメイカーの排泄物から発生する真菌類が元になっていますので、サンドワ−ムとメランジは切っても切れない関係です。

主人公のポールは、アトレイデス公爵家の当主レトの息子で、ポールの母親レディ・ジェシカはベネ・ゲセリットという特殊な組織で教育を受けた女性です。公爵家にはガーニイ・ハレックとダンカン・アイダホという武官の他にメンタートのスフィル・ハワトが仕えていていますが、この映画ではあまりハワトの出番はありません。ドクター・ユエという侍医もいて物語の序盤を引っ張ります。

ハルコネン男爵家の当主はウラディミール、その甥のラッバーンと同じく甥のフェイド・ラウサが彼の取り巻きです。宇宙を支配している皇帝(Padishah Emperor)はサルダウカーとよばれる凶暴な兵士を従えており、その兵士たちがアラキスに現れたことで、これが単純なアトレイデス公爵家とハルコネン男爵家の利権争いではなく、その向こうには黒幕である皇帝が控えていることが示唆されます。

アラキスにはフレメンと呼ばれる原住民、砂漠の民が暮らしています。彼らはメランジを摂取している関係でイバドの目と呼ばれる青い目をしているのが特徴。リーダーのスティンガー、皇帝の惑星生態学者であるカインズ博士、その娘チャニが中心人物ですが、映画では原作と異なり、カインズ博士を女性にしています。

そして皇帝お抱えの真実審判師(Truthsayer)であるベネ・ゲセリットの教母ガイウス・ヘレン・モヒアム。映画の冒頭で現れる、レディ・ジェシカの恩師でもある謎めいた女性です。小説ではおどろおどろしい存在ですが、映画ではシャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling)が演じているせいで薄気味悪さより冷徹さが強調されています。

そんな四者、アラキスを治めようとする公爵家、既得権を手放さない男爵家、原住民であるフレメン、陰で画策している皇帝による覇権争いが繰り広げられるわけですが、要するに絶対王制下における原住民の独立運動が軸ですから、名家の血統と特別な能力をもつポールがフレメンに受け入れられた時点で先の展開が見えてきます。それでも原作小説やその続編が読み継がれているのは、多くの人がこの込み入った世界観に魅せられてしまうからでしょう。

そういった意味でビルヌーブ監督の今回の映画は、世界観の基礎を伝える第一歩という感じです。オープニングでタイトルの下に小さくPart 1と記されていて、そういうことか、とすぐ理解しましたが、本作で仕掛けられた数多の伏線はPart 2で回収されていくわけで、このPart 1の目的は、監督の創造力で映像化した世界観が小説のファンに受け入れられると同時に、原作を読んでいない人をも惹きつけ、ファン層を拡大することでしょう。

原作では15歳のポールを演じたティモシー・シャラメ(Timothée Chalamet)は撮影当時23歳だったそうで、原作でたびたび出てくる子ども扱いが省かれていたものの、漂わす雰囲気は非常にしっくりきました。レディ・ジェシカ役のレベッカ・ファーガソン(Rebecca Ferguson)はティモシー・シャラメと13歳しか違いませんが、母と息子の間柄にあまり違和感ありません。

レト役は「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」「エクス・マキナ」のオスカー・アイザック(Oscar Isaac)で、死なせてしまうには惜しい存在感ですが、敵討ちの物語ですので仕方ないですね。ガーニー・ハレック役は同監督の「ボーダーライン」にも出ていたジョシュ・ブローリン(Josh Brolin)で、バリセット(弦楽器)を演奏しないため原作よりマッチョなイメージ。次作でもマッチョな面が強調されそうです。ジェイソン・モモア(Jason Momoa)演じるダンカン・アイダホも強い印象を残す割にすぐ死んでしまいます。Part 3が製作されない限り再登場しないのは残念。

ハルコネン男爵役のステラン・スカルスガルド(Stellan Skarsgård)は特殊メイクで太らせていましたが、自分の足で立てないほどのブヨブヨ感がなく、なぜ宙に浮いているかわからない人もいそうです。ラッバーン役は「007 スペクター」で乱暴者を演じていた元プロレスラーのデイヴ・バウティスタ(Dave Bautista)で原作通りの凶暴さを醸していました。

スティルガー役のハビエル・バルデム(Javier Bardem)もいい味を出していましたが、この物語のヒロイン、チャニ役のゼンデイヤ(Zendaya)が際立っていたと思います。敏捷性と柔軟性をもつ芯の強い女性という役柄にぴったりです。

ノルウェイのスタ半島(Stadlandet)で撮ったというカラダンのシーン、ヨルダンのワーディー・ラム(Wadi Rum)とアブダビのリワ・オアシス(Liwa Oasis)で撮ったというアラキスのシーンもしっかり作り込まれていましたし、羽ばたき飛行機(Thopter)も砂漠ネズミ(Muad’Dib)の姿も説得力あるものを創り上げていて、流石としか言いようがありません。ということで、本作の世界観を記憶にとどめたまま、真価が発揮される(と思われる)続編を待つしかないでしょう。4歳の妹を誰が演じるのか気になるところです。

初期の作品「静かなる叫び」「灼熱の魂」ではフェミニズムやマイノリティ(アラブ系移民)をテーマに絡めていたビルヌーブ監督。慌ただしい展開が予想される後半では、一体どのあたりに重点を置いてくるのでしょうか。

[仕入れ担当]