日本で今秋公開される「ブレードランナー」の続編を手がけるなど、いま最も注目されている監督の一人、ドゥニ・ヴィルヌーヴ(Denis Villeneuve)。このブログでも「静かなる叫び」「灼熱の魂」「複製された男」「ボーダーライン」といった作品をご紹介してきましたが、この監督を初めて知った「灼熱の魂」には大きな衝撃を受けました。そのヴィルヌーヴ監督が、テッド・チャン(Ted Chiang)の短編小説を映画化したのが本作です。
原作である「あなたの人生の物語」は日本でも高く評価されていますが、時制を利用した記述が仕掛けになっており、あまり時制に厳密ではない日本語に訳すには苦労されたのではないかと思われる作品です。読み手の側からいえば、こういったタイプのSFに慣れていないと、すんなり受け入れにくい部分もあり、それを映画化すると知ったときはチャレンジングな印象を受けました。
しかし、さすがヴィルヌーヴ監督、素晴らしい完成度の高さです。原作ではルッキンググラス(姿見)と表現されていた物体が、映画では半月形の不思議な形状に変えられていたり、映像化に際して随所に工夫が見られますが、そのほとんどがうまく機能していると思います。
物語は、宇宙から到来したと思われる未知の物体が地球上の12ヶ所(小説では112ヶ所)に現れ、それに乗ってきた生命体と人類がどのようにコミュニケーションしていくかが軸になって展開していきます。
主人公である言語学者ルイーズのもとに、軍のウェバー大佐が訪ねてきます。未知の物体が発する音の意味を解読して欲しいという用件です。彼女の研究室でクジラの鳴き声のような音声を聞かせますが、それだけでは何も理解できません。ルイーズ博士は、未知の言語を理解するためには相互のコミュニケーションが必要だと主張し、現場に連れて行くことは無理だという大佐の意見とかみ合わなくて、一旦はもの別れに終わりますが、結局、現場に行って、その未知の存在、作品内でヘプタポッドと呼ばれる生命体とのコミュニケーションを試みることになります。
そのパートナーとなるのが数学者のイアン(小説ではゲイリー)。映画では、何ひとつ数学者らしい知見を示さない上に「ハート・ロッカー」の印象が染みついているジェレミー・レナー(Jeremy Renner)が演じているので、軍属の下っ端がルイーズ博士のアシスタントをしているように見えますが、小説ではフェルマーの最小時間の原理を説明して解読作業を大きく前進させます。
その光の屈折に関する原理は私にはうまく説明できませんが、小説ではこれに関連してルイーズ博士が"The rabit is ready to eat"という例文を示します。この文でrabitをeatの目的語ととると、ウサギ料理ができ上がったと解釈できますし、rabitをeatの主語ととると、ウサギに餌を与えようとしている状況が思い浮かびます。物理学では、因果律的な解釈と目的論的な解釈の両方が成り立つという事実が、人類の見方で世界を見るか、ヘプタポッドの見方で世界を見るかによって、まったく異なる解釈になるという気付きに繋がっていくのです。
こう書くと理屈っぽいイメージを持たれるかと思いますが、ヴィルヌーヴ監督は原作が持つSF的な要素をうまく咀嚼して一人の女性の人間ドラマに仕上げており、そこが最大の魅力になっています。原題は、このコミュニケーションの経験を通じたルイーズの到達(Arrival)を含意したものでしょう。
その魅力の素地になっているのがルイーズ博士を演じたエイミー・アダムス(Amy Adams)の演技力と佇まい。「ザ・ファイター」「オン・ザ・ロード」「ザ・マスター」「アメリカン・ハッスル」「her/世界でひとつの彼女」「ビッグ・アイズ」など、もともと評価の高い女優さんですが、本作は彼女のマスターピースになると思います。
ウェバー大佐を演じたのは「大統領の執事の涙」のフォレスト・ウィテカー(Forest Whitaker)。彼とルイーズ博士の応酬が、官僚主義的な軍のイメージを際立たせます。またウェバー大佐のカウンターパートとなる中国人民解放軍のシャン将軍とのコントラストもいい感じです。
ちなみに映画では、シャン将軍率いる人民解放軍がヘプタポッドへの攻撃を主張して、各国の協調体制が崩れ、軍のネットワークが断ち切られます。映画の冒頭で、北海道に未知の物体が現れたと言っていますので、日本政府も何らかの対応をしていたはずですが(「シン・ゴジラ」的にずっと会議をしていたのかも知れませんが)、ネットワークを断ち切られた後の右往左往が目に浮かぶようです。
[仕入れ担当]