ポール・トーマス・アンダーソン(Paul Thomas Anderson)監督の6作目です。デビュー作の「ハードエイト」以外、日本で劇場公開された作品はすべて観ていますが、1作ごとに深みを増していて、今回はもう大御所といってもいい完成度の高さでした。いまだ40代前半という年齢が信じられない監督です。
もちろん、この監督ですから、一筋縄ではいきません。現実の風景と妄想の世界の境界は曖昧ですし、ストーリーもどこか一点に収束していくわけではありません。誰にでもお勧めできる作品ではないかも知れませんが、この監督の作品としては展開がシンプルで、マニアックなファンでなくても楽しめる作品だと思います。
ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)演じるフレディは第2次大戦中の軍用艦の船乗り。帰還後もアルコール依存と強い性衝動から抜け出すことができず、社会に溶け込めない季節労働者として各地を転々としています。
密造酒でトラブルを起こしたフレディが逃げ込んだ船で出会うのが、フィリップ・シーモア・ホフマン(Philip Seymour Hoffman)演じるランカスター・ドッド。「ザ・コーズ」という新興宗教の教祖で、多くの信者を擁していますが、詐欺師扱いされたり、世間からの風当たりも強い人物です。
この対称的な2人の不思議な絆を軸に、映画が展開していきます。一見、フレディがドッドをマスターとして慕っているようですが、ドッドもフレディに内在する狂気と暴力性に強く惹かれていて、共依存の関係になっていることが物語のポイント。
エイミー・アダムス(Amy Adams)演じるドッドの妻は、強い意思の力で影から「ザ・コーズ」を支える、いわゆる女帝ですが、早い段階からフレディの危険性に気づき、夫から遠ざけようとします。しかしドッドは、フレディを救済するなどと理屈をこね、ダイアネティックスのような心理療法でフレディの獣性を抑えようと試みながら、彼に執着します。
師弟関係でありながら、互いの弱さを晒し、傷を舐め合う関係。馴れ合いを排除し、カルト宗教を成功させようとするビジネス的視点。この映画の見どころは、何と言ってもこの3人の演技でしょう。特にこの映画でヴェネツィア国際映画祭の男優賞を獲得した2人、フィリップ・シーモア・ホフマンとホアキン・フェニックスの組み合わせは抜群です。
フィリップ・シーモア・ホフマンはこの監督の常連俳優ですし、彼の上手さは観る前から判っていましたが、ホアキン・フェニックスには驚きました。狂気の演技はものすごい迫力です。両親がThe Children of Godの信者だったそうで、何らかの経験が反映されているのかも知れませんが、彼の真に迫った演技は必見だと思います。アカデミー賞が獲れなかったのは、運が悪かったとしか言いようがありません。
それから映像の美しさ。この監督ですから、情景の切り取り方が上手いのは当然かも知れませんが、心にしみてくるような素晴らしい映像がふんだんに使われています。そして音楽の使い方。予告編にも使われていたNo Other Loveを始め、Changing PartnersやOn a Slow Boat to Chinaといった50年代の音楽が巧みに使われていて、音と映像が対になって記憶の深い部分に刻み込まれていく感じです。
才能のある監督が上手い俳優と組んできちんと映画を作ると、こういう作品になるんだということを具現化したような映画でした。映画好きなら、観ておいて損のない作品だと思います。
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