3年前に「灼熱の魂」で鮮烈な印象を残したカナダの監督、ドゥニ・ヴィルヌーヴ(Denis Villeneuve)の最新作です。
原作はポルトガルのノーベル賞作家、ジョゼ・サラマーゴ(José Saramago)の長編作品“O Homem Duplicado”。実はこの小説、邦訳は“複製された男”という直訳の題ですが、英語圏では“The Double”という題で刊行されていて、それを“Enemy”という題で映画化したところにも既に監督の考えが現れています。
物語の発端は、平凡な生活を送る歴史教師が、ある映画を観てそこに自分そっくりの役者を見つけたこと。彼の存在に囚われた歴史教師が、さまざまな方法を駆使して役者の所在を確かめ、さらなる相似性に気付いて衝撃を受けることになります。
そこに、恋人とのギクシャクした関係や、瓜二つの役者とその妻、歴史教師の母親などが絡んで展開していくお話です。
映画も小説も概ね同じストーリーです。同僚の薦めでレンタルビデオを観ることも、指輪の跡が事故に繋がっていくこともまったく同じ。小説では500万人規模の大都市と曖昧に表現されている舞台が、映画ではカナダのトロントになっていますが、どちらも集合住宅で暮らし、都会的な生活を営んでいるという設定は共通しています。違うのは、小説では中学の歴史教師だということぐらいでしょうか。
大きな違いは、小説は歴史教師が役者に接触したことで主導権が役者の側に移り、歴史教師が振り回されるという、一種の巻き込まれ型サスペンスになっているのに対し、映画は、歴史教師の内面に強くフォーカスすることで二重人格を暗示させる心理ミステリーに変えられているところ。つまり、物語の枠組みは同じですが、監督の再解釈によって、原作とは異なる印象を残すように意図された映画なのです。
それを可能にしているのが、主人公を演じたジェイク・ギレンホール(Jake Gyllenhaal)の演技力でしょう。一人二役というだけでもそれなりに大変でしょうが、違った人格のようでありながら、もしかしたら同一の人格ではないのかと観客を迷わせるあたりの複雑さが実に巧みだと思います。
また、歴史教師の妻の役で「オーケストラ! 」「人生はビギナーズ」のメラニー・ロラン(Mélanie Laurent)、役者の妻の役で「コズモポリス」のサラ・ガドン(Sarah Gadon)、歴史教師の母親役で「チキンとプラム」のイザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini)といった女優を揃えたあたりも見どころでしょう。
ちょっとネタバレになってしまいますが、映画の序盤に登場する秘密クラブのような場所と、随所に登場する蜘蛛のイメージは小説にない要素で、いわば映画のオリジナルです。
そしてその着想の源になったと思われるのが、冒頭で表示される“Chaos is order yet undeciphered”(カオスは解読されるのを待っている秩序)という言葉。元々は小説の中盤、役者探しの資料が散乱した部屋で歴史教師が恋人に言う「向こうに行って、僕がこのカオスを片付ける間にコーヒーをいれてくれ」という言葉に対する彼女のつぶやきで、物語の核心ではありませんが印象に残る言葉です。
おそらく監督はこの言葉に着目し、映画全体の秩序をこしらえ、それをカオスな映像に落とし込んでいったのだと思います。つまり、コントロールされた世界=秩序であり、主人公はカオスに逃げ込もうともがきながら、蜘蛛の巣に絡め取られるように現実に引き戻される物語。敵(Enemy)は自身の心なのでしょう。そんな風に解釈しながら、あの奇妙な結末を見届けました。
[仕入れ担当]