映画「ビール・ストリートの恋人たち(If Beale Street Could Talk)」

00 本作が長編3作目のバリー・ジェンキンス(Barry Jenkins)監督。前作「ムーンライト」が高く評価され、アカデミー作品賞に輝いたのですが、このmonadのブログでは“感動的な作品なのに涙腺がゆるむ感じではありません”と微妙な紹介をしていました。そういう意味でこの「ビール・ストリートの恋人たち」もよく似た作品だと思います。

原作はジェームズ・ボールドウィン(James Baldwin)の小説「ビール・ストリートに口あらば」。ジェンキンス監督が映画化を夢見て、ずっとあたためてきた企画だそうです。

原作小説へのリスペクトに溢れ、小説の名場面と名セリフが丁寧に映像化されているとはいえ、2時間の映画に収める都合上、かなりの部分がバッサリ切り捨てられています。誰もが知る小説なので細かい背景説明は要らないという前提だと思いますが、ボールドウィンがよく読まれている米国と、それほど知られていない日本とでは評価が分かれそうな気がします。

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主人公のティッシュ(本名はクレメンタイン)は19歳の黒人女性。6歳の頃、向かいの家に住んでいた3つ上のファニー(本名はアロンゾ)と大喧嘩をして、その後、仲良くなって地元でロミオとジュリエットと呼ばれるようになります。そんな2人が結婚しようと部屋を探していたときにトラブルに遇い、その結果、白人警官の恨みを買ったファニーが濡れ衣を着せられ逮捕されて……というお話。

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映画は小説と同じように、ティッシュが拘置所に面会に行く場面で幕開け。ガラス越しの電話で“アロンゾ”と愛称でなく本名で呼びかけ、赤ちゃんが生まれることを伝えるところも一緒です。

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家に帰って母シャロン、父ジョセフと姉アーネスティンに伝え、ブランデーで乾杯する場面はリヴァーズ家の家族愛が伝わってくる感動的な部分ですが、ジェンキンス監督はレコードプレイヤーを巧みに使って雰囲気をさらに盛り上げます。歌手になりたくてアラバマのバーミングハムからオールバニに出てきたシャロンの人生を滲ませたのかも知れません。

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そしてジョセフが電話をして、ファニーの家族であるハント家、父フランクと母アリスと娘2人を家に呼びます。孫が生まれると聞いて大喜びするフランクと、淫らな心を愛情と呼ぶなとティッシュを罵る夫人。あなたのお腹の子どもは聖霊が干し殺してくれると言い放つ夫人をフランクが横殴りにし、心臓(ハート)に絡めた捨て台詞を言う流れも原作通りです。

ここで映画の観客にも、夫人が狂信的な聖霊派(小説ではSanctified churchの信者)だということが伝わるでしょうが、彼女の特殊性はそれだけではありません。

ハント家の女性たちは黒人にしては色白で、教会に行く前には、父親似のファニーのチリチリ髪に油を塗りつけ、まっすぐに見せようと腐心するような人たちなのです。つまり、黒人でありながら、黒人らしさを嫌悪する人たち。場違いなほど着飾っているのも、フランクが仕立屋だからというだけではなく、リヴァーズ家のような黒人とは違うという差別意識の現れでしょう。信心深くなく色黒なティッシュは、そもそも夫人のおめがねに適わないのです。

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ちなみに、リヴァーズ家はそれほど信仰に篤くないとはいえ、一応、バプテスト派でアビシニアン教会(Abyssinian Baptist Church)に通っていることになっています。ハーレムにあるゴスペルで有名な教会ですね。小説には、少女時代のティッシュが礼拝に誘われ、聖霊派の教会に行ってはいけないというバプテスト派の禁を破ってファニーに同行する場面があり、彼らが異端視されていることがわかります。

その後、ファニーの無実を証明しようと家族が奔走する現在と、ティッシュとファニーの思い出を描く過去が入れ子になって描かれていくあたりも、原作小説に対する忠実さを感じさせます。削られているのは姉アーネスティンの活躍の他、最後の見せ場、レジーナ・キング(Regina King)演じる母シャロンのプエルトリコでの行動ぐらいでしょうか。

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プエルトリコの場面はピエトロ・アルバレスとヴィクトリア・ロジャースとの面会に集約されていますので、いやな印象だけが残ってしまいますが、原作ではハイメの協力などを織り込んでプエルトリコ人が悪人視されないように配慮されています。

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そういった多様性についていえば、グリニッジアベニューにあるスペイン料理店の給仕ペドロシート役をベテラン俳優のディエゴ・ルナ(Diego Luna)が演じたことは、原作の視点を斟酌した配役のような気もします。

ペドロという名前に小さいという意味のcitoを付けた愛称からイメージされる若造っぽさはありませんが、この殺伐とした街にも、若い黒人カップルを温かく見守る人がいて、それが白人とはいえマイノリティであるという重要なパートです。2人に部屋を貸そうとする大家がユダヤ系の非嫡出子という設定も同様でしょう。

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原作と大きく違うのはエンディング。小説では、ファニーの保釈金を稼ごうと商品を横流ししていたフランクが馘首になり、行方不明になった末に車の中で見つかって終わります。文章だとさらっと書けますが、映像で示されると後味が悪そうですので、ことの善し悪しは別にして、映画の結末の方が美しくて良いのではないでしょうか。

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本作のロマンティックな映像は「ムーンライト」と同じくジェームズ・ラクストン(James Laxton)が撮影しています。逆光を多用し、音と被せるように一気にクローズアップする手法も健在です。

音楽も、原作で言及されているものではなく、ニーナ・シモンなどの繊細で美しい曲が選ばれています。題名にあるビール・ストリートは、映画の冒頭で示されるようにメンフィスの黒人街のことですが、元々、ボールドウィンが好きだったW・C・ハンディ(W.C. Handy)作曲の“Beale Street blues”から着想した題名だそうです。音楽を愛し、大切に思う姿勢も、原作へのリスペクトと言えるかも知れません。

公式サイト
ビール・ストリートの恋人たちIf Beale Street Could Talk

[仕入れ担当]