今年のラテンビート映画祭は独自の開催ではなく、東京国際映画祭の一部として3作だけの上映でした。それぞれの上映回数もわずかで、なかなかタイミングが合わず、かろうじてアレックス・デ・ラ・イグレシア(Álex de la Iglesia)監督の新作1本だけ鑑賞できました。
ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞(監督賞)に輝いた「気狂いピエロの決闘」以来、同監督の劇映画は「刺さった男」「スガラムルディの魔女」「グラン・ノーチェ!」「クローズド・バル」とすべて観てきましたので、これだけ外すわけにはいかないという一種の使命感ですね。
本作のタイトルを直訳すると“ヴェネチア狂乱”といったところでしょうか。オーバーツーリズムの問題を抱えるヴェネチアを舞台に、観光客排斥を企む闇の組織と、それに狙われた脳天気なスペイン人観光客のドタバタを描いていきます。

ご存じのようにサンマルコ広場やリアルト橋は常に観光客で溢れかえっていましたので、それを前提に構想された作品だと思いますが、監督いわく、撮影を始めたのがCOVID‑19が蔓延し始めた時期で、ヴェネチアの観光地は閑散としていたとのこと。ですから雑踏のシーンはすべて仕込みにしなくてはならず、人集めに苦労したそうです。
映画のはじまりは、ヴェネチアンマスクを飾り立てたドアに米国人カップルが引き寄せられていくと、突然、ドアから剣が突き出て男性が刺されてしまうシーン。その家の住人は観光客排斥を訴える一派で、観光客がヴェネツィアに寄りつかないように恐怖心を植え付ける作戦です。

続いて今回の主人公たち、スペインの若者5人組が海路で到着します。大型クルーズ船はオーバーツーリズム問題の象徴ですし、特にヴェネツィアでは歴史遺産や環境への波の影響が心配されていますので、空路ではなく、反対運動が行われている港から入る設定にしたのでしょう。

このスペイン人たちは女性3人と男性2人のグループで、どうやら結婚を目前としたイサが、友人のスサナとアランツァを誘って独身最後の旅行に来たようです。男性2人はイサの弟ホセとアランツァのパートナーであるシャビ。映画が進んでいくとアランツァは体操選手で、ホセはスサナに気があるようだとわかってきます。

早速、水上タクシーを掴まえてホテルに向かいます。観光客に協力的なジャコモの船に乗れたところまでは良かったのですが、出航間際に道化師の仮面と装束を身につけた男が飛び乗ってきます。マニン劇場でリゴレットを上演するといってチラシを渡すこの男も実は観光客排斥の一派で、ジャコモともめた末に港のブイに置き去りにされます。

スペイン人たちがホテルにチェックインし、仮装して食事をしていると、近くのテーブルにいたペスト医の仮面を被った男からパーティに招待されます。一旦は断るのですが、飲みに出かけたバーのそばを通りかかったペスト医に惹かれ、後を追けてパーティ会場とおぼしき屋敷にたどり着きます。

招待客のフリをして中に入ろうとしますが、合言葉を求められて立ち往生。しかし、ふと声に出したリゴレットという単語が合致して、古びた扉の奥に広がる地下迷宮のようなクラブに迷い込みます。そこで供された酒のようなもの、後でテリアカ(Venice treacle)らしいとわかるのですが、それを飲んだスペイン人たちの記憶が途切れます。
ホテルで目覚めた彼らは、ホセがいないことに気付きます。パーティ会場で彼を見たのが最後だということで、カラビニエ(軍警察)に通報して件の屋敷に赴くとそこは普通の民家。捜査官いわく、干潟に大量の木杭を打って地盤を作ったヴェネチアでは、巨大な地下室などあり得ないということで、捜査は打ち切りになってしまいます。

もちろん、イサたちは諦めることなく、ジャコモの協力を得てホセの行方を追うのですが、リゴレットの道化師の扮装、ペスト医の扮装の二人が謎を解く鍵だと気付き、廃墟になっているマニン劇場を探ることで闇の組織に近づいていきます。どことなく「スガラムルディの魔女」に似た展開の、愚か者が魔の巣窟に迷い込んでしまうタイプの物語です。

本作は、監督と妻で女優のカロリーナ・バング(Carolina Bang)が設立したマドリードの制作会社Pokeepsie Filmsが、Sony Pictures、Amazon Primeと提携して始めたホラー映画のシリーズ”The Fear Collection”の第一作目で、監督いわく、1970年代イタリアの“ジャッロ映画”にオマージュを捧げたとのこと。一昨年に「サスペリア」もリメイクされましたし、ある種の流行なのでしょう。

そのせいかスペイン人の有名俳優は出ていませんが、イタリア人俳優は「007 カジノ・ロワイヤル」のカテリーナ・ムリーノ(Caterina Murino)はじめ、ペスト医と道化師の二役を演じたコジモ・ファスコ(Cosimo Fusco)、船乗りジャコモ役のエンリコ・ロ・ヴェルソ(Enrico Lo Verso)、捜査官ブルネリ役のアルマンド・デ・ラズサ(Armando de Razza)、薬屋役で「フォンターナ広場」「007 スペクター」のアレッサンドロ・ブレッシャネッロ(Alessandro Bressanello)と幅広く揃えています。

ペスト医に絡めるかのように、ポヴェーリア(Poveglia)やラッザレット・ベッキオ(Lazzaretto Vecchio)を思われるペスト患者の収容施設に言及している部分はこの監督ならではの時代性への目配りでしょう。また、ペスト医が最後に言い放つ“美しいヴェネチアが死んでいく、私も死んでいく”というセリフもこの監督らしい締めだと思いました。
公式サイト
ベネシアフレニア:東京国際映画祭
[仕入れ担当]