不思議な感覚に包まれる映画です。本作が長編5作目という監督のジェシカ・ハウズナー(Jessica Hausner)は1972年ウィーン生まれのオーストリア人。幻想派の画家ルドルフ・ハウズナーの娘だそうで、奇妙な作風や色彩は父親譲りなのかも知れません。これが初の英語作品だそうです。
物語は、英国の研究所で働く植物育種家のアリスが遺伝子操作で開発した新種の植物を軸に展開します。一枚も葉がなく、茎の先に赤い花が一輪だけつく異様な植物。人を幸福にするというその花を、シングルマザーであるアリスが溺愛する一人息子、ジョーに因んでリトルジョーと名付け、フラワー・ショーへの出品を目指して育てています。

ある日、リトルジョーと同じ温室で、上司のカールと彼のアシスタントのベラが育てていた青い花が全滅します。ベラは、リトルジョーが自己繁殖できない不稔性の植物であることから、その不自然さに要因があると批判しますが、アリスはまったく取り合いません。同じくリトルジョーに心酔しているアシスタントのクリスと共に丹精込めて育てるのみです。

アリスは研究所の禁を破って一株のリトルジョーを持ち帰り、ジョーにプレゼントします。リトルジョー栽培の原則は、暖かい場所で育てること、毎日水やりをすること、何よりも愛することで、毎日、話しかけてあげるようにとジョーに教えます。素直で聞き分けの良いジョーは、それを守ってリトルジョーを育て始めます。

リトルジョーは夜になると活発に花粉を飛ばします。ベラの愛犬ベロが研究所内で行方不明になり、それを捜しに行ったクリスが温室で大量の花粉を浴びた後、アリスと飲みに行って彼女を口説きます。人を幸福にする花だからかと思いきや、その翌日、ベラが研究所内でベロを発見した際に、これまでよく懐いていた愛犬に襲われ、花粉のせいでまったく違う凶暴な犬に変わってしまったと、彼女はベロを殺処分にしてしまいます。

以前は優秀な科学者だったというベラ。心の病で当時のポジションから外れ、今はカールのアシスタントとして働いています。悲壮感漂う佇まいと衝動的な行動が目を引きますが、その発言には知性が滲みます。そんな彼女の見解は、不稔性であるリトルジョーは自らが生きながらえるため、邪魔者をその花粉で排除しているのではないかということ。

ジョーは引き続きリトルジョーを大切に育てています。その反面、毎日餌を与えていたアリ飼育キットは放置されたままで、今の関心はリトルジョーのみです。また同級生の女の子、セルマと仲良くなり、母親アリスに対する態度が変わり始めます。これまで父親イヴァンと過ごす週末を疎んでいたのに、最近はイヴァンとの同居を考えていると言い出し、アリスを困惑させます。

つまり、アリスの周りの人々が少しずつズレていくのです。それはベラが言うように、リトルジョーの花粉が関係していそうですが、ジョーが言うように、思春期の子どもの自然な変化かも知れませんし、アリスのかかりつけの精神科医が言うように、満足な子育てができていないと思い込んでいるアリスの心の呵責の現れなのかも知れません。誰が正常で誰が異常なのかその線引きが曖昧になり、異常な人が多数派になると正常な人が異常に見えるという、観る人の気持ちを不安にさせる世界が展開していきます。

この映画が不思議な感覚を与える理由の一つは特徴的な映像と音響です。温室いっぱいに植えられた深紅のリトルジョーと研究員たちのミントグリーンの白衣、社員食堂のガラスケースに並ぶ極彩色のスイーツが人工的な不自然さを生み出します。自宅では赤いテーブル上の黄色い鉢に植えられた深紅のリトルジョーと、赤い光に照らされて水やりするジョーの映像の組み合わせ。そしてアリスの衣装。そこに雅楽を使ったBGMが重なって異様な状況を強調します。

また、登場人物たちのぎこちない演技も、映画全般の不気味さを支えていると思います。最後まで理性的なのか狂気をはらんでいるのか判別できないワザとらしい表情でアリスを演じたエミリー・ビーチャム(Alice Woodard)は、この演技でカンヌの女優賞を獲得しています。

そしてもう一つ、映画が持つ時代感覚。禁忌のウイルスを介した遺伝子操作やサイトカインの暴走といった言葉に、この時代ならではの妙なリアリティがあります。毎日デリで買った夕食をテーブルに並べるアリスと人里離れた小屋で自給自足している元夫イヴァンという、都市生活と自然な暮らしの対比や、イヴァンの生き方がクールだという子どもたちの感覚も今っぽいかも知れません。

アリスと並ぶ重要な役であるジョーを演じたのは、「ロケットマン」で子ども時代のエルトン・ジョンを演じていたキット・コナー(Kit Connor)。「ガーンジー島の読書会の秘密」にも出ていましたね。そしてアシスタントのクリスを「追憶と,踊りながら」「ロブスター」「リリーのすべて」「007 スペクター」「未来を花束にして」のベン・ウィショー(Ben Whishaw)が彼独特の味が利かせて好演しています。

その他、ベラを「エンジェル・アット・マイ・テーブル」「シャロウ・グレイブ」が懐かしいケリー・フォックス(Kerry Fox)、花柄が大好きな精神科医を「バードマン」の辛口批評家役、「ギフテッド」の祖母役だったリンジー・ダンカン(Lindsay Duncan)、元夫イヴァンを「バルーン」で軍曹役だったセバスティアン・フールク(Sebastian Hülk)、カールを「ブレス」のデヴィッド・ウィルモット(David Wilmot)が演じています。

公式サイト
リトル・ジョー(Little Joe)
[仕入れ担当]