アクション映画「ベイビー・ドライバー」で広く知られるようになったエドガー・ライト(Edgar Wright)監督。それ以前はコメディ、サスペンス、SF、ホラーといったジャンルを超えた映画作りをしてきた人です。このホラー映画はジャッロ映画へのオマージュと言われていますが、その実、デビュー当時に作っていたゾンビ映画への回帰なのかも知れません。
内容はといえば、ファッションデザイナーになりたくて都会に出てきた霊感の強い少女が、寮の仲間にいじめられ、独り暮らしを始めた下宿がいわくつきの部屋で、昔の事件を呼び起こしてしまうというもの。主役エロイーズを「ジョジョ・ラビット」「ケリー・ギャング」のトーマシン・マッケンジー(Thomasin McKenzie)、もう一人の主役サンディを「ウィッチ」などのアニャ・テイラー=ジョイ(Anya Taylor-Joy)が演じているのですが、物語の設定といい、テイラー=ジョイのアニメ顔といい、まるでひと昔前の少女漫画のようでした。
映画の始まりは、新聞紙で作ったドレスを着て踊っているエロイーズ。部屋の壁には旧いピンナップやポスターが無数に貼られ、ドアにはモッズで有名なロンドンの街路、CARNABYの文字が見えます。60年代ファッションへの憧れなのでしょう。といってもカーナビー・ストリートを日本で喩えれば“みゆき通り”とか“竹下通り”ですから、現代的センスでみればお洒落というよりアナクロな感じかも知れません。

彼女がポータブルのレコードプレイヤーでかけている曲はピーター&ゴードンの”A World Without Love”。ここでも60年代好きが伺われますが、それだけでなくポール・マッカートニーの歌詞が映画全体の方向性を示していて、音楽にこだわるエドガー・ライトらしい出だしになっています。
エロイーズはコーンウォールのレッドルースにある祖母の家で二人暮らしのようです。G7サミットのメイン会場になったセント・アイブスよりはロンドン寄りですが、それでもパデイントン駅から5時間近くかかる、人口15,000人弱の田舎町です。その彼女のもとにロンドン・カレッジ・オブ・ファッションから入学許可が届きます。なりたかったファッションデザイナーへの第一歩です。

ロンドンの寮で同室になったのはマンチェスター出身のジョカスタ。自作ドレスで気張りながらも髪型やメイクはコーンウォールのままのエロイーズをみて、その垢抜けなさがイヤだったのか、のっけから彼女をバカにします。地方から大都会に出てきた似たもの同士、ある種の同属嫌悪かも知れません。

ジョカスタや彼女の取り巻きに嫌気が差したエロイーズは、寮を出て下宿することに決め、屋根裏部屋を貸しているという老婆ミス・コリンズを訪ねます。場所はグージプレイス(Goodge Pl)。SOHOの北側のエリアです。
臭いがするから排水溝にフタをしておいた方がいいとか、すぐ出て行ってしまう人がいるから保証金が必要だとか、後々の伏線のような説明をミス・コリンズから聞かされて転居が決まり、下宿代については近くのバーで働いて稼ぐことにします。ちなみにそのバー、トゥーカン(The Toucan)はソーホースクエアに実在する店で、グージプレイスから徒歩10分程度です。
エロイーズの母親は彼女が子どものころに自死しているのですが、彼女はときどき母親の幻影を見るようで、故郷の祖母もそれを心配していました。グージプレイスの下宿に移った晩、早速、鏡の中に母親の幻影を見ます。また、それだけでなく、60年代にタイムスリップしたかのようなリアルな夢を見ます。
その夢というのは、エロイーズが60年代のサンディという女性に入れ替わるもの。サンディは歌手を目指してSOHOに出てきた若い女性で、有名ナイトクラブのカフェ・ド・パリ(Café de Paris)で出会ったジゴロのジャックにリアルト(Rialto)という別のクラブを紹介されます。そのオーディションでサンディが歌うのが、この映画の予告編で何度も聴かされたDowntown。サンディ役のテイラー=ジョイが実際に歌っているのですが、なかなか上手です。

夢か現実か判然としない経験をしたエロイーズは、サンディをロールモデルにイメージチェンジします。髪型やメイクを変え、エナメルコートを着て、60年代の女性になりきるわけです。見た目だけでなく、頭の中まで60年代が染み込んでいますので、センスは完璧です。サンディが着ていたロールカラーのドレスを元にデザイン画を描き、学校でも評価されます。

昼間の暮らしでは夢に一歩近づくわけですが、夢の中のサンディは厳しい現実を突きつけられます。リアルトの歌手は歌うだけでなく売春を強いられ、そのカネをピンハネするのがジャックの生業だったのです。

夜ごと訪れるサンディの世界を、鏡の中から心配そうに見守るエロイーズ。サンディとジャックが踊る場面では回転する度にサンディとエロイーズが入れ替わります。その妄想と現実をない混ぜにした映像を撮ったのは「イノセント・ガーデン」「お嬢さん」などパク・チャヌク作品の撮影監督チョン・ジョンフン(Chung Chung-hoon)で、終盤の鮮血飛び散るジャッロ映画っぽい映像まで高い技術を見せつけます。

心を蝕まれていくサンディに呼応するかのように現実の世界のエロイーズも精神的に追い込まれていきます。それを優しく見守るのがクラスメイトのジョン。ファッションの世界で黒人男性というとゲイかと思うでしょうが、彼はエロイーズに心を寄せ、彼女を守ろうと奮闘します。現実の世界ではもう一人、高齢になったジャックではないかとエロイーズが疑う銀髪の老人が登場し、「アンコール!!」「ビッグ・アイズ」のテレンス・スタンプ(Terence Stamp)が演じているせいで意味ありげですが、ジョン同様にそれほど重要ではありません。全体として男性のインパクトが薄い作品です。

エンディングはそれまでの運びと矛盾するやや支離滅裂な展開になります。先月観た、同じくジャッロ映画に触発されたという「ベネシアフレニア」も辻褄合わせが微妙で、スペイン映画だからかと思っていましたが、ダリオ・アルジェントにオマージュを捧げた作品というのは一般にこういうものなのかも知れません。いずれにしても悲劇的な結末にはなりませんので安心してご覧になれます。

エンドロールで流れる曲は、映画タイトルと同名のLast Night In Soho 。ジョージ・ハリスンのカバーで有名なGot My Mind Set on Youやネイキッド・アイズのカバーで有名な(There’s) Always Something There to Remind Meなど60年代ナンバーをふんだんに使い、007シリーズの引用や往時を再現した街並みとファッションでスウィンギング・ロンドンを体感させてくれる映画です。あまり深く考えず、スタイリッシュな映像とスリリングな展開をお楽しみください。
公式サイト
ラストナイト・イン・ソーホー(Last Night in Soho)
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