タスマニア出身の女優エッシー・デイヴィス(Essie Davis)とその夫で映画監督のジャスティン・カーゼル(Justin Kurzel)が「トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング」に続いてタッグを組んだこの作品。内容が重すぎて観客を選ぶ映画だと思いますが、オーストラリア・アカデミー賞で数々の栄冠に輝いたほか、主役を演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(Caleb Landry Jones)がカンヌ映画祭で主演男優賞に選ばれています。
テーマは1996年4月28日にタスマニア島のポート・アーサーで起こった銃乱射事件。タイトルのNITRAMはその実行犯であるマーティン・ブライアントの名前(Martin)を逆さに読んだもので、学生時代、寄生虫やアホといった意味を持つNITに絡めてそうあだ名されていたようです。
マーティンは1967年5月7日生まれで犯行時には28歳になっていましたが、その後の精神鑑定で境界性パーソナリティ障害で11歳児並みの知的能力しかないと診断されていますので、通っていた学校でそう呼ばれてイジメの対象になっていたのだと思います。

映画の始まりは入院中の子どもたちへのTVインタビュー。火遊びが原因で火傷した子どもたちのようで、最初の子は反省の言葉を口にしますが、二番目の子はまったく懲りていません。これが本作の主人公ニトラムことマーティンで、時代は一気に飛んで80年代後半、ハイティーンになった彼が花火をしていて近隣住民から怒鳴られる場面に変わります。

相変わらず火遊びが好きなようで、母親は花火を禁じているようですが、どうやら父親が買い与えているようです。ここがこの家族の特徴的な部分で、母親は世間体を気にして息子を抑えつけますが、父親は可能な限り息子に自由を与えようとします。

たとえば母親は、サーフィンを始めたいという息子と一緒にサーフショップに行った際、もう少しカネが必要だという息子に対し、自分で稼いでないのだから諦めるように言います。対する父親は、ポート・アーサーの北寄り海岸沿いに建つ物件を息子を見せ、B&Bにして父子で経営しようと将来の夢を語ります。

ところがその夢も潰えます。ようやく融資が承認され、不動産屋に赴くと、父親が申し込んだ後に高値で申し込んだ別の客に売却したと告げられるのです。B&Bの経営でさまざまな問題を解決しようとしていた目論見が一気に崩れ去り、落胆する父親の姿が息子の心に大きな影を落とします。

息子は収入を得るため、近隣の芝刈りをしようと考えます。一軒一軒声をかけて回ってもなかなか仕事をさせてもらえませんが、そんななかで出会ったのが54歳のヘレン。彼女が自邸で飼っている犬や猫の世話を頼まれます。時代は1987年、彼が19歳の頃のことです。

ヘレンはタッターソール宝くじ(Tattersall’s Lottery)の株式を相続した裕福な女性でした。そんな彼女が35歳も年下で、精神疾患で社会不適応者だった彼となぜ通じ合ったのかは謎ですが、それ以降、二人は1992年10月まで一緒に暮らすことになります。

ヘレンが事故で亡くなり、その後、父親が自殺して彼はまた孤立します。ヘレンの遺産55万豪ドル(約5千万円)と邸宅及び農場、父親の遺族年金25万豪ドルを相続し、しばらくの間、旅行に出かけたり気ままに過ごしていたようですが、そういった生活も3年あまりしか続かず、1996年に死者35人、負傷者15人という恐るべき凶行に及ぶことになります。

この映画では、社会に馴染めないことで疎外感を抱いていた彼が、誰かに受け入れられようとするたびに拒絶され、さらに疎外感を膨らませてしまう悪循環を丁寧に描いていきます。軽い気持ちでやったことが大事に至り、どうしたら良いのかわからなくなってしまう感じがリアルです。演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズが高く評価されている理由もわかります。

これまで彼の出演作「ゲット・アウト」「フロリダ・プロジェクト」「スリー・ビルボード」「デッド・ドント・ダイ」「ニューヨーク 親切なロシア料理店」などを観てきましたが、これほどの演技力とは思いませんでした。まさに渾身の一作です。

映画を観終わってみれば、父親もヘレンも精神的な問題を抱えているように思いますし、まともなように振る舞う母親も強迫観念にかられているようでしたので、きっとニトラムだけの問題ではないのでしょう。言い換えれば、関係する全員が自らの内面と折り合いをつけようと苦悩する物語です。その点でいえば、ヘレン役のエッシー・デイヴィス、母親役のジュディ・デイヴィス(Judy Davis)、父親役のアンソニー・ラパーリア(Anthony LaPaglia)などオーストラリアの実力派俳優でまわりを固めたことも効いています。

[仕入れ担当]