余命わずかな少女と不良青年の恋物語です。こういう”お涙ちょうだい”に流れがちな設定の映画は観るか否か迷うところですが、長編第一作目という新人監督にもかかわらず、2019年のベネチア映画祭コンペティション部門に出品され、主演男優が新人俳優賞に輝いたという前評判に惹かれて渋谷パルコまで出かけてきました。
結論からいえば、作りのうまさと配役の妙、俳優たちの演技力がしっかりかみ合った質の高い映画です。舞台で上演されていたものを脚本家のリタ・カルネジャイス(Rita Kalnejais)と一緒に7年かけて映画用の脚本に書き直したというシャノン・マーフィ(Shannon Murphy)監督のねばり強さの賜でしょう。短いシーンをつないだ断章形式で構成されているのですが、その組み立てが巧みで、特にエンディングに向かう運びが最高です。
タイトルの”乳歯”は序盤と終盤近くで登場する主人公の歯です。最初のシーンではそれが何かわからないかも知れませんが、二度目にそれを目にするときは大きく気持ちが揺さぶられると思います。

主役である病身の少女ミラを演じたのは「ストーリー・オブ・マイライフ」の三女ベス役だったエリザ・スカンレン(Eliza Scanlen)、彼女が恋する青年モーゼスを演じたのは、これでベネチアの新人俳優賞を獲ったトビー・ウォレス(Toby Wallace)で、どちらも好演していたと思います。

しかし、それよりも良かったのはミラの父親ヘンリーを演じたベン・メンデルソーン(Ben Mendelsohn)と母親アナを演じたエシー・デイビス(Essie Davis)の二人。メンデルソーンは「アニマル・キングダム」のポープ(教皇)役で強烈な印象を残し、続く「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」や「ウィンストン・チャーチル」では強盗も国王も演じられる器用さを見せていましたが、今回はそれらを上回る実に素晴らしい演技でした。

娘のミラは不治の病で妻のアナは精神的に壊れかけているという環境に疲れ果てながら、娘の幸福を願い続ける父親。自分の弱さに負けそうになりながら、かろうじて持ちこたえているギリギリな感じ。彼の苦しみと切なさが、エンドロールの海岸の曇り空に滲んで見えるようです。

物語は非常にシンプルで、不治の病を抱えた16歳の少女ミラが下校途中の駅で偶然出会ったモーゼスに惹かれていくというもの。ミラの両親は、23歳になるのに定職に就かずドラッグディーラーをしながら行き当たりばったりに暮らしているモーゼスとの交際を喜びませんが、娘の残り少ない人生のことを思って受け入れることにします。

モーゼスから見ると、ミラの母親アナは精神安定剤が手放せない依存症ですし、父親ヘンリーは精神科医ですので処方箋を発行できます。ドラッグの入手先として最適な上、母親との確執で自宅に入れて貰えない彼にとって貴重な居場所です。

そういった打算もあってミラと付き合い始めるわけですが、かなり年下で物足りないし、病人なので好き勝手できないこともあって、当初の扱いはいい加減です。とはいえ唯一の救いは彼が根っからの悪人ではないこと。残りの人生を謳歌したいと願う一途なミラにだんだん傾いていきます。
この映画の美点は、その先にある死を予感させながら、病気のディテイルにほとんど触れないこと。今を精一杯生きたいという、どの少女にも共通する思いにフォーカスして物語が進んでいきます。挿入歌であるヴァシュティ・バニヤン(Vashti Bunyan)のJust Another Diamond Dayに絡めて“キラキラした日常”というチャプターが出てきますが、ミラの輝いている瞬間を見せることでその向こう側の陰を感じさせる作りです。

似た設定の難病もの「永遠の僕たち」「きっと、星のせいじゃない。」などと同様に、こういった作品では映像と音楽が非常に重要です。本作では、母親アナの音楽教師だったギドンからミラもバイオリンを習っているという設定ですので、モーツァルトなども奏でるのですが、ノリの悪いミラに対しギドンがスーダン・アーカイブス(Sudan Archives)のレコードをかけ、Come Meh Way(→Youtube)に合わせてミラが踊り出すシーンの選曲と展開は絶妙だと思いました。

それからモールラット(Mallrat)のFor Real(→Youtube)。10代半ばでデビューしたオーストラリア版ビリー・アイリッシュのようなシンガーだそうですが、作りがかっこよくて個人的にとても気に入りました。またチューン・ヤーズ(tUnE-yArDs)のBizness(→Youtube)や、ザ・キャット・エンパイア(The Lost Song)のThe Lost Song(→Youtube)も新たな発見でした。

冒頭で記したように、物語の設定を知ってやり過ごしてしまいそうな映画ですが、観て損はないと思います。私は母親アナがモーゼスに当たり散らす場面でぐっときて、それに続く場面のヘンリーの表情でだめ押しされました。

[仕入れ担当]