スペインの名匠ペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)の最新作です。このブログでもモナドが開店した2008年以降の公開作は、監督作品である「抱擁のかけら」「私が、生きる肌」「アイム・ソー・エキサイテッド!」「ジュリエッタ」も、プロデュース作品である「人生スイッチ」「エル・クラン」「サマ」「永遠に僕のもの」もすべて取り上げてきましたが、映画好きなら絶対に見逃せない監督の一人でしょう。モナド的には、ヘレナ・ローナー(Helena Rohner)が本作に協力したということで、なおさら見逃せない一本になっています。
自伝的な要素を織り込んだというストーリーはもちろん、色彩あふれる映像も染みいるような音楽も、この監督ならではの味わいに溢れています。画家でいうなら回顧展のような位置づけかも知れません。これで引退してしまうのではないかと心配になるような集大成的な作品です。

主人公の映画監督サルバドールを演じたのは、前々作「アイム・ソー・エキサイテッド!」とその前作「私が、生きる肌」に出ていた監督の盟友アントニオ・バンデラス(Antonio Banderas)。彼がアルモドバルの分身となり、アルモドバルの苦悩と栄光を断片的に散りばめた物語を紡いでいきます。ちなみに主人公が暮らすギャラリーのような部屋にある美術品や小物は監督の私物だそうです。

映画の幕開けは瞑想しているかのような表情でプールに沈むサルバドール。水を使った映像はこの監督の大切な要素の一つですが、それが冒頭から登場するわけです。その水の揺らぎが川面に変化し、陽光を浴びながら川岸でシーツを洗う女たちを捉えた場面に繋がっていきます。軽口を叩き合い、陽気に歌いながら、シーツを拡げて干す女たち。ペネロペ・クルス(Penélope Cruz)演じる母親ハシンタに背負われているのが幼い頃のサルバドールです。

ハシンタの隣でロシータ役を演じているのは人気歌手のロザリア(Rosalía)で、彼女たちが歌っているのは1960年代の映画「El balcón de la luna」の挿入歌「A tu vera」。時代性を示しながら、ペネロペ・クルスの魅力を余すことなく引き出し、今をときめくアーバン・フラメンコ・シンガーの歌声を聴かせるという、一粒で3度おいしいスタートです。

それに続くマーブル模様を下地に配したタイトルクレジットの美しさもさることながら、サルバドールが偶然に旧友スレマと出会うカフェの壁紙もアルモドバル的です。これはセットでなく、マドリードのホテル、ミゲル・アンヘル(Hotel Miguel Ángel)でロケしたそうで、このあたりはスペインならではのセンスでしょう。このほとんど出番のないスレマを演じたのはアルモドバル作品の常連女優であり、「永遠に僕のもの」で主人公を溺愛する母親を演じてたセシリア・ロス(Cecilia Roth)なのですが、こういうベテランを無駄遣いできるのもアルモドバルならではでしょう。

物語は、身体の各所に痛みを抱え半ば引退状態にあるサルバドールが過去を振り返るスタイルで展開します。その過去の一つが少年期の60年代、故郷の村を離れて地下住居で暮らした頃。もう一つが、スレマと会ったときに話していた映画監督として栄光に輝いた頃。そしてもう一つ、スレマから連絡先を聞いて、旧作の主演男優に会いにいったことをきっかけに繋がっていく時代で、それぞれがサルバドールの創作物と絡みます。
サルバドールの少年期、母親ハシンタが夫の母親と折り合いが悪く、一家はパテルナ(Paterna)にある地下住居に引っ越します。サルバドールが近所の塔の階段に腰掛け、駅で拾った「悲しみよこんにちは」を読んでいると、通りかかったカップルの女性、コンチータが、本が読めるなら字も書けるの?だったら手紙の代筆をして!と声をかけてきます。地下住居のボロさを嘆いていたハシンタは、コンチータの恋人エドゥアルドが職人だとわかると、キッチンの改修をしてくれるなら息子が無料で読み書きを教えてあげると持ちかけます。

そうしてサルバドール少年は、セサル・ビセンテ(César Vicente)演じる美青年エドゥアルドに勉強を教えることになります。彼は文字を知らない代わりに絵心があり、それがエンディングのエピソードに繋がっていくのですが、その思い出を映画化した「El primer deseo(初めての欲望)」が、実は本作「ペイン・アンド・グローリー」でもあるという入れ子の構造になっています。

もう一つの作品は、サルバドールが映画監督として栄光を極めた時代に撮った「Sabor(風味)」。そのリマスター版の上映会で講演することになり、主演男優のアルベルトを探していたときにスレマと再会したのが冒頭の場面です。サルバドールとアルベルトは撮影中に仲違いし、プレミア上映以来、一度も会っていなかったのですが、この作品を見直してみたところ、改めて会ってみようと思い始めたようです。

スレマに連絡先を聞いて再会したアルベルトとの関係は、歳月を経ていたこともあり、最初はうまくいきかけます。しかし感情的なしこりが蘇って再び仲違いするのですが、ある事情でサルバドールが折れることになります。その際、舞台劇で再起を図ろうとしてたアルベルトに提供するのが、その昔、一緒に暮らしていた恋人フェデリコとの思い出を題材にした戯曲「Adicción(中毒)」。

アルベルトはその上演を成功させ、たまたまステージを見たフェデリコが、アルベルトを通じてサルバドールに連絡してきます。そうして過去の様々な出来事、自分の内面でわだかまっていた物事と折り合いをつけていくのですが、その奥底にあるのがサルバドールと母親ハシンタとの関係。大好きな母親の期待に応えられなかった自分という心の痛みを受け入れることが重要なテーマの一つになっています。

アルベルトを演じたのはTVで活躍しているというアシエル・エチェアンディア(Asier Etxeandia)で、フェデリコを演じたのは「人生スイッチ」のAUDI男レオナルド・スバラーリャ(Leonardo Sbaraglia)。

その他、晩年の母ハシンタ役で「神経衰弱ぎりぎりの女たち」のフリエタ・セラーノ(Julieta Serrano)、サルバドール少年を神学校に進めようとする敬虔な女性の役で「ジュリエッタ」のスシ・サンチェス(Susi Sánchez)、サルバドール少年の父親役で「アイム・ソー・エキサイテッド!」「マーシュランド」のラウール・アレバロ(Raúl Arévalo)、サルバドールの友人兼秘書メルセデス役で「ブラック・ブレッド」で主人公の母親を演じていたノラ・ナバス(Nora Navas)が出ています。

ちょっとわかりにくいのですが、ノラ・ナバスが着けているアクセサリーがヘレナ・ローナーの作品です。

公式サイト
ペイン・アンド・グローリー(Pain and Glory)
[仕入れ担当]