2012年ラテンビート映画祭で上映された「ホワイト・エレファント」やオムニバス映画「セブン・デイズ・イン・ハバナ」の一篇などを手がけてきたアルゼンチンのパブロ・トラペロ(Pablo Trapero)。実績ある監督にもかかわらず日本ではあまり知られていませんが、本作はペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)の El Deseo が製作で参加し、去年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞して話題になりました。
1980年代のアルゼンチンで実際に起こった事件を素材に、家族の奇妙な連帯感、特に父親と長男の恩讐を描いていく作品です。単に不思議な犯罪を再現して映像化しただけでなく、当時のアルゼンチンの社会情勢を交えながら、国家、家族、個人、それぞれが抱える闇を丁寧にすくいとっていきます。
ブエノスアイレスのサンイシドロ地区にある瀟洒な住宅で暮らすプッチオ家。マルティン・イ・オマール通り(Martin y Omar)と25・デ・マヨ通り(25 de Mayo)の交差点といいますから、現在はビルバオ銀行(BBVA)の支店があるあたりでしょうか。高級住宅街の中心地ですので、界隈もそれなりに豊かなのだと思います。
一家は、元外交官のアルキメデス、高校教師のマルチネスの夫妻と5人の子どもたち。美術教師の長女シルビア、有名ラグビー選手でサーフショップ経営者の長男アレハンドロ(通称アレックス)、共にラグビー選手である次男マギラと三男ギジェルモ、次女のアドリアナの7人家族です。そんな幸福を絵に描いたような家庭に、1985年8月23日、警官隊が突入してアレハンドロを連行します。一緒にいた彼の新妻、幼稚園教諭のモニカは、地下室に女性実業家が監禁されていることすら知らなかったようで、この家族の誘拐ビジネスの巧妙さが際立ちます。
近隣の人々もまったく気付かなかったようで、警官隊が突入したとき、プッチオ家に泥棒が入って警察が調べに来たと勘違いしたほどだったそうです。下はこの事件に関する新聞記事を集めたAna Laura Pastorini さんのブログに載っていたものですが、見出しには「プッチオ家:とても“普通”の家族」とあります。
詳しく説明されませんが、どうやらアルキメデスは軍事独裁政権下で特殊な任務に従事していたようです。フォークランド紛争に敗れたことで1982年にガルティエリ大統領が失脚し、民政移管が始まるわけですが、その流れの中でアルキメデスはそれまでの立場を失い、資産家を狙った誘拐ビジネスに手を染めていくことになります。
なぜ特殊な任務に従事していたように思えるかというと、彼が極めて冷静かつ非道に描かれているから。良心どころか、ほとんど感情を示さず、淡々と誘拐をこなし、淡々と身代金を要求していきます。そのビジネスライクな姿はどこかで訓練されたかのようです。
映画の序盤で描かれる、アレハンドロのチームメイトの誘拐はその冷徹さの典型でしょう。車が故障したといって、チームメイトの車を停め、同乗したアレハンドロ。若者らしい世間話をしていると、別の車と衝突し、覆面の男たちが乗り込んでくるのですが、もちろん首謀者はアルキメデスで、ラグビーチームに資産家の子どもが多いことを知って、息子をオトリにしたわけです。アレハンドロの気持ちなど一切考慮しません。それでも家族が一丸となって父のビジネスを支えるところが地域性なのでしょう。
この場面に興をそえるのが、誘拐の始まりから終わりまで、ずっとキンクスの“Sunny Afternoon”が流れているところ。パブロ・トラペロ監督の持ち味なのかも知れませんが、明るくてちょっと切ない曲調と、安定した生活を奪われたアルキメデスの心情を代弁するかのような歌詞がぴったりはまっています。
このような感じで、音楽もなかなか凝ってます。同様に心情を説明するかのようにデイヴィッド・リー・ロスの“Just a gigolo – I Ain’t Got Nobody”がかかったかと思えば、地域と時代を象徴するセル・ヒラン(Serú Girán)の“Encuentro Con El diablo”が流れたりします。
そして出演者。父親アルキメデスを演じたのはアルゼンチンを代表する俳優の一人、ギジェルモ・フランセジャ(Guillermo Francella)。ディエゴ・ルナとガエル・ガルシア・ベルナルが主演した「ルドandクルシ」で味のあるスカウトマン、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した「瞳の奥の秘密」で相棒のパブロを演じていた人ですが、そのどちらともまったく異なる深みある演技を見せてくれます。
どちらかというとこちらが主役なのかも知れませんが、長男のアレハンドロを演じたのはペテル・ランサーニ(Peter Lanzani)という舞台俳優。誠実そうな表情で、両親と良心の狭間で苦悩する好青年を好演しています。
実話ベースの映画ですので、エンドロールで事件の顛末が説明されます。事件そのものも十分に衝撃的ですが、アルキメデスとアレハンドロのその後を知って、さらに驚愕することになるでしょう。いずれにしても一筋縄ではいかない家族です。
[仕入れ担当]