未亡人となったジャクリーン・ケネディ(ジャッキー)がジャーナリストに語るという設定で、ジョン・F・ケネディ暗殺にまつわる出来事を描いていく作品です。ジャッキーを演じたナタリー・ポートマン(Natalie Portman)の演技が評判の本作、確かに鬼気迫るものがありました。アカデミー主演女優賞は「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンに持っていかれましたが、演技力だけで言えばこちらが上でしょう。
監督は、ガエル・ガルシア・ベルナル主演の「NO」や、ベルリン映画祭で審査員グランプリを受賞した「ザ・クラブ」など撮ってきたチリ出身のパブロ・ラライン(Pablo Larraín)。この個性的な監督が、誰でも知っている米国史の一幕をどう描くかが見どころになりますが、さすが一筋縄ではいきません。ジャクリーン・ケネディを素材にしながら、ケネディ家の闇やフェミニズムの問題をさりげなく織り込んで、時代性と米国の特殊性を巧みに表現しています。脚本を書いたノア・オッペンハイム(Noah Oppenheim)がベネチア映画祭で脚本賞を受賞したのも納得です。
ジャッキーをインタビューするジャーナリストを演じたのは、「君が生きた証」「スポットライト 世紀のスクープ」のビリー・クラダップ(Billy Crudup)。モデルは、ジャッキーのインタビュー記事をLIFE誌に書いたセオドア・ホワイト(Theodore H. White)だそうで、ジョン・F・ケネディの戦死した兄の同級生だったとのことです。
その他の出演者としては、ジャッキーと共にジョン・F・ケネディの葬儀を取り仕切ることになる弟のロバート・F・ケネディを「17歳の肖像」「ブルージャスミン」のピーター・サースガード(Peter Sarsgaard)、ジャッキーの私設秘書だったナンシー・タッカーマン(Nancy Tuckerman)を「フランシス・ハ」「マギーズ・プラン」のグレタ・ガーウィグ(Greta Gerwig)が演じている他、地味な割に重要な司祭の役で「裏切りのサーカス」「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」のジョン・ハート(John Vincent Hurt)が出ています。
時間軸でいうとジョン・F・ケネディが大統領に就任し、ジャッキーがホワイトハウスの内装替えを指揮したあたりから、初めてホワイトハウスにTVカメラを入れたエピソードを挟み、暗殺から葬儀に至る期間までの物語で、これら政治イベントの中でジャッキーがどういう役割を果たしたかが描かれていきます。つまりメディアに露出している部分を示しながら、その内情や心情を見せるというやり方です。
その終着点は、ジャッキーが葬儀を演出し、ジョン・F・ケネディの神話化に貢献したというもの。いかにもメディアの寵児だったこの夫妻にぴったりのオチですが、各国首脳をホワイトハウスからセント・マシューズ教会まで2km歩かせたことで、ジャッキーのパブリックイメージが固まっていったわけですから、彼女にとってこれがオチではありません。さらに派手な世界に移り住み、パパラッチの標的になったのはご存じの通りです。
ジャッキーが司祭に“There are two kinds of women, those who want power in the world and those who want power in bed”と語る場面があります。世の中には世界で権力を求める女とベッドで権力を求める女がいて、自分は世界に権力を示したということをさらっと語っているわけですが、同時に、もう一方のタイプであるジョン・F・ケネディの不倫相手たち、その象徴であるマリリン・モンローの存在が透ける仕掛けになっています。ジャッキーが子どもたちに「ハッピー・バースデイ」を歌うことで、観客にマリリン・モンローの“Happy Birthday Mr. President”を想起させる場面もあり、彼女の存在が映画の裏側にあると言って良いでしょう。
弟のロバート・F・ケネディとも関係があったといわれるマリリン・モンロー。ロバートは兄と異なり、人脈からマフィアを排除しようとした人ですが、マフィアと繋がりの深いフランク・シナトラから紹介された彼女は別だったようです。そんな女性観をもつ兄弟と関わっていくことになるジャッキーが、もう一方のタイプではないと言い切れないあたり、パブロ・ラライン的な視点なのかも知れません。
[仕入れ担当]