映画「それでも私は生きていく(Un beau matin)」

Un beau matin先週に続いてフランス映画です。監督は「未来よ こんにちは」「ベルイマン島にて」のミア・ハンセン=ラブ(Mia Hansen-Løve)。私的な出来事を作品に反映させる監督ですが、本作は病床の父親を看たことに触発され、主役にレア・セドゥ(Léa Seydoux)を想定して脚本化したそうです。

未来よ こんにちは」はイザベル・ユペールのための作品でしたが、本作はレア・セドゥのために創作された作品といえるでしょう。彼女が演じる主人公サンドラの悲しみや喜び、その間を行き来して揺れ動く気持ちを巧みに表現します。

哲学教師だった父親やアサイヤスとの間にできた娘など監督自身の家族と重なる部分が多い主人公は、ある意味、監督の分身でもあるのですが、レア・セドゥが気負いなく演じているせいかとてもリアルな生活感があります。

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物語はサンドラが父親ゲオルグを見舞いに彼のアパルトマンを訪ねる場面から始まります。扉の向こうで鍵を開けようと難儀している父親に、ドア越しに開け方の説明をするサンドラ。ドアはすぐ目の前、鍵はそこに差したままでしょ、という感じです。

グランゼコール準備クラスの哲学教師だったゲオルグは、何らかの変性疾患を患っているようで、まず文字が読めなくなり、それでも記憶を頼りに授業を行っていたようですが、現在は記憶力も低下し、空間認識もおぼつかない状態です。

この出だしの場面は、ゲオルグが自分の中に閉ざされており、そこから出るための鍵を探しあぐねているという状況を比喩的に描く部分であると同時に、全体を通して繰り返し示される、部屋と個人の関係性を問いかける部分です。またエンディングと呼応する部分でもあります。

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ゲオルグにはレイラという恋人がいるようです。元気な頃の姿を彷彿させる知的な雰囲気を醸しつつも、随所で支離滅裂な言葉が混ざりますが、レイラに対する思いだけはことのほか激しく、何かにつけて彼女に会えなくなるのではないかという不安を滲ませます。レイラは健康上の問題でゲオルグとは暮らせず、たまに訪ねてくるだけのようです。

書棚で埋め尽くされた部屋と、父親の現状を見比べて嘆息するサンドラ。書物と言葉に支えられてきた父親の人生が少しずつ損なわれていくわけですが、誰にもそれを止めることができず、ただ見守るしかないのです。

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サンドラは5年前に夫と死別し、現在は通訳の仕事で生計を立てながら8歳の娘リンと二人で暮らしています。第二次世界大戦の記念式典で通訳し、退役軍人たちをワイン醸造所に案内して解説するといった仕事の場面が描かれます。同時通訳の他、反ナチス作家クラウス・マンの友人だったアンネマリー・シュヴァルツェンバッハの伝記を翻訳しているようです。

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サンドラの母親フランソワーズは20年前にゲオルグと離婚していますが、いまだ彼の面倒を見ているようです。だんだんゲオルグの認知能力が低下していることから、高齢者施設(EHPAD)に入れるべきだと手を尽くしていますが、希望する公的施設には空きがなく、民間の施設はゲオルグの年金では賄えないということで、とりあえず彼を入院させることにします。

日本と同じく、病院には一時的にしか居られませんので、短い期間内に空いている老人施設を見つけて移らなくてはなりません。結局、ゲオルグは4回も転院することになるのですが、そのあたりが心の拠り所を得られないゲオルグを象徴することになります。また、自分の部屋がわからなくなった老人が迷い混んでくる場面が何度も登場し、個人の領域と尊厳が侵されていく状況を比喩的に描いてみせます。

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ある日、サンドラが公園で遊ぶリンを見ていると、偶然、夫の友人だったクレマンと出会います。南極調査から帰ってきて、今は宇宙化学者としてパリで働いているという彼。南極に向かう船の中でサンドラから貰ったシュヴァルツェンバッハの小説を読んだといいます。その誠実さが魅力なのでしょう。サンドラは彼の研究所を訪ねて急速に惹かれていきます。

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クレマンには妻子がいて、二人の関係はすっきりいきません。とはいえ、尽くす甲斐なく消耗していくゲオルグとは対照的に、クレマンは生きる力を与えてくれる存在です。クレマンはリンに、ソーラーパネルを取り付けたミニチュアの段ボールハウスをプレゼントします。太陽の下に置いておくと暗闇で室内が灯る仕掛けですが、クレマンはまさに暗闇の光なのです。

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彼が家族を捨てられないことを理解しつつ、彼を失いたくないという気持ちが次第に大きくなっていきます。サンドラもゲオルグと同じく、恋人への思いから離れられなくなる性格なのです。

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それに対してフランソワーズはプラグマティックな理想家です。ゲオルグの施設探しと併行して環境保護活動にも熱を入れているようで、Youth for Climateに参加したとか、区役所へマクロンの肖像を外しにいったとか、活動家としてのエピソードが披露されます。私も黄色いベスト(Gilets jaunes)のニュース映像で見ましたが、パリの各区役所にはマクロンの肖像が飾られていて、デモの人たちはそれを外したり逆さに掛けたりするんですね。日本人の感覚だと、彼らの行動よりも、区役所に肖像があることの方が驚きですが・・・。

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それはさておき、ゲオルグのアパルトマンを処分するにあたって問題になるのは膨大な蔵書です。サンドラは、施設でぼんやりしているゲオルグと一緒にいるときよりも、蔵書の前にいるときの方が父親の存在を感じると言います。「法の哲学」などヘーゲル関連の書籍の他、シャルル・ボードレールやアンナ・ハーレントの名も見え、まさに彼が生きてきた証です。

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ゲオルグへの対応と後始末に心を砕きながら、クレマンを求め、娘リンに愛情を注ぐサンドラ。そんな主人公の姿をレア・セドゥが自然体で演じます。ショートにしたヘアスタイルもカジュアルな服装もとてもチャーミングで、「アデル」や「007シリーズ」「フレンチ・ディスパッチ」で見てきた彼女とは違った魅力を見せてくれます。

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クレマン役は「わたしはロランス」のメルヴィル・プポー(Melvil Poupaud)。フランソワーズ役はベテランのニコール・ガルシア(Nicole Garcia)、とっても愛らしいリン役は映画初出演のカミーユ・ルバン・マルタン(Camille Leban Martins)です。

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よくエリック・ロメールに喩えられるミア・ハンセン=ラブ監督ですが、ゲオルグ役は「美しき結婚」「海辺のポーリーヌ」などに出ていたパスカル・グレゴリー(Pascal Greggory)。最近はアサイヤス監督「冬時間のパリ」で見ましたね。

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映画の中で何度も流れる音楽はミア・ハンセン=ラブが敬愛するベルイマン監督「愛のさすらい」で使われていたLiksom en Herdinnaだそう。またスイスのレマン湖畔で・・・、というセリフでゴダールの安楽死にもさりげなく触れます。

この映画にはパリ観光案内のような要素もあって、クレマンとオランジュリー美術館でデートしたり、リンと3人でヴァンセンヌの森でボートに乗ったりします。エンディングではモンマルトルからエッフェル塔やモンパルナスタワーを一望するのですが、そのシーンでサンドラの住居がカルチェラタン、パンテオンのそばにあるらしいこともわかります。

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ところでサンドラとクレマンが食事に行く日本食レストラン”Kintaro”。オペラ駅のそばに実在するのですが、どんな店だろうかとメニューを見たら餃子とカレーライスとラーメンが混在していて、デート向けという感じではありませんでした。驚いたのはデザートに雪見大福があって、なんと5.5ユーロ。パリで雪見大福を食べることは生涯ないでしょうが、それにしてもいいお値段ですね。

公式サイト
それでも私は生きていくOne Fine Morning

[仕入れ担当]