映画「顔たち、ところどころ(Visages Villages)」

00 ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda)も、もう90歳になるんですね。この映画は彼女とフォトグラファーのJRがフランスを旅しながら、市井の人々の顔写真を撮っていくドキュメンタリーです。撮影時期は2年ほど前で、88歳のアニエスと34歳の二人が写真ブースを積み込んだトラックで田舎町を巡ります。

映画の始まりはJRがアニエスに会いにいくシーンですが、やはり、というか訪ねていく先はダゲール街(Rue Daguerre)。彼女は長年この通りで暮らし、夫のジャック・ドゥミと共に制作会社のシネ=タマリス(Ciné-Tamaris)を構え、ここを舞台にしたドキュメンタリー「ダゲール街の人々(Daguerréotype)」を撮っています。ちなみにDaguerréotype=ダゲレオタイプというのは写真家ルイ・ダゲールによって開発された、いわゆる銀板写真のことで、この通りの名称は彼に因んだもの。その昔は金子光晴や林芙美子も暮らしたという下町っぽい通りです。

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こうしてアニエスとJRの珍道中が始まるわけですが、最初は閉鎖された炭鉱の町ブリュエ=ラ=ビュイシエールに向かいます。ベルギー出身のアニエスにとって、フランス北部からベルギー南部に点在する鉱山に何か思い入れがあるのかも知れません。

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ここでも他の町と同様に、住民たちの写真を大きく引き延ばし、公共空間に貼っていきます。ただそれだけのことですが、被写体の背後にあるストーリーが観る者の心を揺らします。特に炭鉱住宅の最後の生き残りだという未亡人、ジャニーヌ・カルパンティエ(Janine Carpentier)が流す涙にはじんわり伝わってくるものがありました。

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こういった即興的なプロジェクトが可能なのは、何よりもアニエスとJRの人柄のおかげでしょう。アニエスはこれまでもたくさんのドキュメンタリーを撮っていますし、天賦の才かもしれませんが、それよりJRです。バンクシーのように街の壁に風刺の利いたグラフィティを残していくアーティストという活動や、決してサングラスを外さない風貌とは裏腹に、気のいい兄ちゃん的キャラクターで町の人々を惹きつけます。どんな田舎町に行っても協力が得られるのは、そんな彼の親しみやすさ故です。

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続いてヴァル=ドワーズ(Val-d’Oise)の農夫やヴォクリューズ(Vaucluse)の郵便配達夫などが被写体になっていきますが、個人的に興味を引かれたのは山羊飼いの女性。普通は山羊が互いに傷つけないように角を矯めてしまうものですが、その女性は角を残したまま育て、搾乳機を使わず手作業で乳を集めます。他の業者より非効率ながら、信念を持ってシェーブルを作っている姿に、上記の農夫や郵便配達夫と似た個の強さを感じさせます。

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なぜ興味深かったかといえば、ミウミウ(MIU MIU)のプロモーション・ビデオ「女性たちの物語」の1つとしてアニエス・ヴァルダが撮った掌編(こちら)にも、やはり角を矯めていない山羊と、手で乳を搾る女性が登場するから。もちろん、BIOに席巻されているフランスですから、自然志向の食生活や飼育動物に対する虐待への思いもあるでしょう。しかしそれ以上に角のある山羊の象徴性というのでしょうか、なにやら哲学的なものを感じます。

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また、アンリ・カルティエ=ブレッソンとマルティーヌ・フランクのお墓も印象的でした。私自身、彼らの写真が好きで、このブログでもシャネル・ネクサス・ホールポンピドゥー・センターで行われた展覧会の様子を記していますが、墓所を見たのは初めてで、彼ららしい静かなたたずまいがとても素敵でした。調べてみたらモンジュスタンという場所にあるのですね。マルティーヌ・フランクが撮った写真がこちらで観られます。

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最後を締めくくる訪問先はゴダール (Jean-Luc Godard)が暮らすスイスのヴォー州ロール(Rolle)。鉄道でふらっと訪ねていくように見えますが、パリ・リヨン駅からジュネーブまで3時間以上かかりますので結構な長旅です。ここでゴダールの性格の悪さが明かされ、それが偶然なのか、アニエスが伝えたかったゴダール像を演出したのか、あの涙は何だったのか、さまざまな要素が観た人の解釈に委ねられることになります。議論したくなる部分です。

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プロデューサーは、少しだけ出演している娘のロザリー・ヴァルダ (Rosalie Varda)。資金集めで難航したらしく、最終的に「判決、ふたつの希望」でもプロデューサーを務めていた女優のジュリー・ガイエ(Julie Gayet)が製作に加わり、クラウドファンディングを利用したとのことで、タイトルバックでずらっと名前が並びます。映画製作というのは、アニエス・ヴァルダほどの知名度があっても難しいものなのですね。カンヌ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した他、アカデミー賞、セザール賞などにもノミネートされましたので、苦労の甲斐もあったというものでしょう。

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来春夏の買付でちょうどパリに来ていましたので、昼食がてらダゲール街まで出掛けてきました。昼間も活気があって素敵な通りですね。

Daguerre

公式サイト
顔たち、ところどころFaces Places

[仕入れ担当]