チリ出身のパブロ・ラライン(Pablo Larraín)監督。このブログでも「NO」「ザ・クラブ」「ネルーダ」「ジャッキー」といった監督作品の他、プロデューサとして参画した「グロリアの青春」「ナチュラルウーマン」を取り上げてきましたが、彼の監督作品としては初めてチリの現代社会を扱った映画です。
個性的な出演者、印象的な映像や音楽で観客の気持ちを揺さぶりながら、つかみ所の無いストーリーを展開させていく風変わりな本作。監督と共同で脚本を書いたのは「ザ・クラブ」「ネルーダ」でもタッグを組んだギジェルモ・カルデロン(Guillermo Calderón)で、昨年モナドのブログでストーリー展開のうまさを絶賛した「蜘蛛」の脚本家でもあります。

映画の舞台となるのは首都サンティアゴから西に約100km、海沿いの街バルパライソ。ガエル・ガルシア・ベルナル(Gael García Bernal)演じるガストンと、マリアーナ・ディ・ジローラモ(Mariana Di Girólamo)演じるエマの年の離れた夫婦の養子ポロが問題を起こし、再び福祉施設に引き取られたという状況からスタートします。

なぜ養子を迎えたかというと、夫のガストンが不能で子どもを望めないから。なぜ福祉移設に戻されたかというと、妻のエマに子どもを育てる能力がないと判断されたから。ポロを奪われた結果、エマはガストンの性的能力を責め、ガストンはエマの生活態度を責め立てる悪循環に陥ります。

ガストンは現代舞踏団を主宰する振り付け師で、エマはそこに所属するダンサーなのですが、二人の不和は舞踏団にまで波及し、内部の対立に発展。エマは仲間たちと舞踏団を飛び出し、レゲトンのリズムに合わせてストリートで踊ります。ガストンが軽蔑し、忌み嫌っている音楽に身を委ねることが彼からの解放なのかも知れません。

ポロはコロンビア移民の子どもで、彼が放火したためにエマの姉が顔に大けがをしたのですが、そもそもの原因はエマにあるというのが保護司マルセラの言い分。だからこそ彼ら夫婦からポロを取り上げ、別の家庭の養子に出したというのです。それを聞いて、密かにエマはポロを取り戻す計画を立て始めます。

まずはガストンとの離婚ということで、弁護士のラケルに相談しに行き、彼女と親しくなります。そしてその夫であり、消防士でバーテンダーのアニバルとも親しくなります。ここで彼女のバイセクシャルな魅力が遺憾なく発揮されるのですが、この部分は彼女がレゲトンで踊るシーン、火に魅せられるシーンと並ぶ本作の大きな見どころです。

対するガストンは、ひたすら情けない顔をして右往左往するだけ。ガエルは「NO」や「ネルーダ」でも込み入ったキャラクターを演じていましたが、本作も以前の二枚目路線とは一線を画すものです。彼もこの監督のおかげで演技の幅が広がったのではないでしょうか。

周囲を巻き込んでいくエマと孤立していくガストン、軽快に踊るエマと沈鬱なガストン、未来に目を向ける若々しいエマと過去を振り返って老け込むガストン。さまざまな面で対極に位置する夫婦が、今後どのような関係を目指すべきかというのが、エマの計画の帰着点となります。

不思議な味わいの映画ですが、この監督と長年組んでいるセルヒオ・アームストロング(Sergio Armstrong)の美しい映像、E$tado Unidoなどによるレゲトンのリズムと、マリアーナ・ディ・ジローラモの個性的なキャラクターがうまくかみ合い、妙な結論にもかかわらず何となく納得させられてしまう感じです。バルパライソの海岸や街並みが醸し出す雰囲気もそれを後押しします。

現在、クリステン・スチュワートが故ダイアナ妃を演じる作品を準備中というパブロ・ラライン監督。今度は何をみせてくれるか、どのようなひねりを加えてくるか期待も高まります。
