自伝的小説という触れ込みでベストセラーになった「Sarah(邦訳:サラ、神に背いた少年)」の作者、J.T. LeRoy(Jeremiah Terminator LeRoy)が実は架空の存在だったという事件の裏話です。
小説の内容が、トラックドライバー相手の娼婦をしていた母親を持つ12歳の美貌の少年が女装して売春宿で働いていたというスキャンダラスなものだったことから、当然、メディアは作者に関心を持ちます。しかし実際に小説を執筆したのはローラ・アルバート(Laura Albert)という30代の女性で、小説を売り込むためにJ.T. LeRoyという架空の作者を仕立て上げ、自分はその保護者だと言い張ったのです。
映画の原作は、ローラの夫の妹であり、彼女の依頼でJ.T. LeRoyを演じていたサヴァンナ・クヌープの自叙伝「Girl Boy Girl: How I Became JT Leroy」で、そのサヴァンナ役を「アリスのままで」「アクトレス」「パーソナル・ショッパー」のクリステン・スチュワート(Kristen Stewart)、ローラ役を「きっと、星のせいじゃない。」「わたしに会うまでの1600キロ」「マリッジ・ストーリー」のローラ・ダーン(Laura Dern)が演じています。

小説「Sarah」は2005年にアーシア・アルジェント(Asia Argento)監督によって映画化され、日本でも「サラ、いつわりの祈り」というタイトルで公開されました。今回の「ふたりのJ・T・リロイ」では映画監督をフランス人のエヴァというキャラクターに変え、「女は二度決断する」のダイアン・クルーガー(Diane Kruger)が演じているのですが、その監督が、女性であるサヴァンナ扮する美少年、J.T. LeRoyを誘惑したことで、ローラの作り話が破綻していきます。

ちなみにアーシア・アルジェントは1990年代にハーヴェイ・ワインスタインから性的暴行を受けたと、ローナン・ファロー(映画「スキャンダル」のブログ参照)の2017年の記事で主張し、me too ムーブメントの先駆けとなった一人。しかしその後、彼女が2013年に当時17歳だった俳優のジミー・ベネットと性的関係をもったという疑惑をもたれます。つまりセクハラを訴えた本人が性犯罪者の疑いをかけられるのです。アルジェントは全面的に否定しましたが、彼女の恋人だったアンソニー・ボーディンがベネットに口止め料を支払ったことが明らかになり、その上、ボーディンが自殺してしまったことで事態が混迷を極めることになります。そういった背景を知って映画を観ると、やや印象が変わるかも知れません。

映画は、サヴァンナの兄ジェフが彼女をローラに紹介し、J.T. LeRoyに成りすまして欲しいとローラに頼まれるところから始まり、すべてが露呈してそれぞれの道を歩み始めるところで終わります。サヴァンナ・クヌープの成長譚と言って良いと思いますが、そこで物語の中心となるのがサヴァンナとローラの共依存ともいえる関係性。

サヴァンナはJ.T. LeRoyとしてメディアに露出し、ローラは英国人マネージャーのスピーディーという触れ込みで場を仕切っていくのですが、映画化の話があり、コートニー・ラヴ(Courtney Love)演じるプロデューサーのサーシャや、監督と母親サラ役での主演を熱望するエヴァが関与してきたことで制御不能な状態に陥ってしまいます。

サヴァンナも最初は面白半分、その後は小遣い稼ぎの感覚でJ.T. LeRoyに扮していたのですが、注目が大きくなるにつれて自意識が膨らんでいき、また、エヴァの情熱的なアプローチにも心を乱されます。サヴァンナがローラの精神的支配から逃れ、二人のチームワークにヒビが入るのと時期を同じくして彼女たちの作り話も崩れていくのです。

もちろん本作の見どころはクリステン・スチュワートとローラ・ダーンの競演でしょう。美しく、精神的に不安定なJ.T. LeRoyに扮したサヴァンナの心の揺れをリアルに演じたクリステン・スチュワート、千載一遇のチャンスにのぼせ上がるローラと、はったりで急場をしのごうとする自信なさげなローラを絶妙に演じ分けたローラ・ダーン。二人の確かな演技力がこの映画の屋台骨です。

監督のジャスティン・ケリー(Justin Kelly)は元々ミュージックビデオを撮っていた人だそう。ガス・ヴァン・サント(Gus Van Sant)監督の下で働いたこともあるようです。
公式サイト
ふたりのJ・T・リロイ(J.T. LeRoy)
[仕入れ担当]