ドイツ出身の女優ダイアン・クルーガー(Diane Kruger)、母国語で演じたのはこれが初めてだそうです。そのおかげもあってか、この作品でカンヌ映画祭の女優賞を獲得し、モデル上がりの美人女優という位置付けから大きく飛躍しました。
監督は「愛より強く」「ソウル・キッチン」「消えた声が、その名を呼ぶ」のファティ・アキン(Fatih Akin)。ほのぼのとした雰囲気を漂わせた「50年後のボクたちは」に続いて手がけた本作は、緊張感の高いサスペンス映画。夫と息子を殺された女性の復讐物語です。
映画の幕開けは刑務所での結婚式のシーン。囚人仲間から祝福を受けながら真っ白なスーツ姿で廊下を歩いていくヌーリをスマートフォンの映像が追います。面会室に入ると、テーブルには白いドレスを着たカティヤと2人の証人(Trauzeuge)、戸籍局の職員と思われる男性が待っていて、すぐに結婚式の始まりです。指輪交換の代わりに互いの指の入れ墨を示すあたりで、この2人の人となりが伝わってきます。ラジカセから流れる“My Girl”がいい感じです。
続いてその数年後。薬物売買で刑に服したヌーリも、今はコンサルティング事務所の代表として、移民相手に税務や翻訳の仕事をしています。出所してから生まれた愛息ロッコも6歳になりました。その子の手を引いて横断歩道を渡ろうとしてるのがカティヤ。信号を無視して突っ込んできた車を思い切り罵倒する、気性の激しい女性です。
面白いのは、息子も一緒になって悪態をつき、その言葉は誰から教えられたのかと訊かれると、ヴァイオリンの先生から、と答えること。ヴァイオリンを習うという高尚なイメージと、汚い罵り言葉という低俗なイメージが矛盾なく共存するのが、この家族の暮らしぶりなのです。
仕事中のヌーリにロッコを預け、妊娠中の友人ブリジットと出掛けたカティヤが事務所に戻ると、周辺が警察の規制線で囲まれています。爆破事件で立ち入りを制限していると言われるのですが、遠目に事務所が破壊されていることがわかったカティヤは警察官を振り切って駆け出します。抑え込まれてもなお事務所に近付こうとする姿から彼女の思いが伝わってきます。
DNA鑑定を経て被害者2人がヌーリとロッコだとわかります。カティヤは最初からネオナチの仕業だと思っていますが、警察はそうではありません。ヌーリが仕事関係で犯罪組織と繋がり、その報復を受けたのではないかという見たてなのです。カティヤ自身はドイツ北部の出身とはいえ、外国人が集まる界隈で移民の夫と暮らしていることから、時代のナマの空気を感じています。
現実社会では2011年11月に、NSUと自称する極右勢力が2000年から2007年の間にトルコ系8人、ギリシャ系1人、女性警官1人を殺害していたことが発覚し、ドイツ社会を震撼させました(→BBC)。この事件では、警察が移民ギャングの抗争だと思い込んで初動が遅れたこと、つまり偏見が捜査を遅らせて無辜の被害者を増やしたことも明るみに出ました。事件関連のファイルを職員が破棄していた責任をとってBfV(情報機関)のハインツ・フロム長官が辞任した他、極右政党ドイツ国家民主党(NPD)との繋がりも指摘されています。いわば、ドイツの闇が一気に噴き出た事件だったのです。
ファティ・アキン監督は、兄の友人も被害者になり、この事件には非常に大きな衝撃を受けたと言います。2013年に行われた裁判を、弁護士でもあるハーク・ボーム(Hark Bohm)と傍聴し、本作の共同脚本を仕上げていったそうです。
映画ではすぐに若いネオナチ夫婦が容疑者として逮捕されます。カティヤの目撃証言とも一致し、容疑者の父親も息子が犯人だと思っていることがわかりますので、あっという間に決着が付きそうですが、実はそうではなく、裁判のシーンが延々と描かれていきます。
ここが非常に重要な部分で、あまりにも凡俗なネオナチの姿や、移民と結婚したことを身内から責められるカティヤの姿を通じて、現代のドイツ社会のみならず、欧州全体が抱える厄介な部分を顕在化させていくのです。
夫のヌーリを演じたヌーマン・アチャル(Numan Acar)は「消えた声が、その名を呼ぶ」に続く2度目のファティ・アキン作品。また容疑者の父親を演じたウルリッヒ・トゥクール(Ulrich Tukur)は代表作「善き人のためのソナタ」のほか「白いリボン」などにも出演しているドイツのベテラン俳優です。
この監督の作品では音楽も大きな魅力ですが、今回、音楽を担当したのはクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのジョシュ・オム(Josh Homme)だそうです。特に印象に残ったのは、エンディング近く、ホテル客室のシーンで流れる“The Blues”。歌っているのは「消えた声が、その名を呼ぶ」も出演していたインディ・ザーラ(Hindi Zahra)です。またエンドロールで流れるリッキー・リー(Lykke Li)の“I Know Places”も、深い余韻を残してくれる素敵な曲でした。
公式サイト
女は二度決断する(In the Fade)
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