これまでアカデミー賞に監督、俳優、脚色でノミネートされながら受賞に至らなかったケネス・ブラナー(Kenneth Branagh)が初の栄冠に輝くか、と期待されているこの作品。このブログを書いている時点でオスカーの行方はわかっていませんが、個人的には、監督賞は難しくても脚本賞は獲れるのではないかと思っています。
内容はといえば、ブラナーが幼少期を過ごした北アイルランド、ベルファストへの思いを描いた自伝的映画です。このところ、アルフォンソ・キュアロン監督「ROMA ローマ」やパオロ・ソレンティーノ監督「Hand of God -神の手が触れた日-」など、ベテランの域に達した監督が生まれ故郷を振り返る作品が目立ちますが、紛争の時代を背景にした点で「ROMA ローマ」に近いような気がします。
映画の始まりはベルファストの今を空撮したシーンから。世界最大の乾ドックを持ち、造船業で発展してきた港湾都市を一望する海上から赤レンガの倉庫街を抜け、ペイントされた壁を越えるとその向こうに広がるのはモノクロの世界。時代は一気に1969年8月まで遡ります。

続くのは、主人公の少年バディがゴミバケツの蓋を盾に見立てて剣闘士ごっこをしているシーン。夕食の呼び声を聞いて家に帰ろうとすると、家の前の通りが投石に見舞われていて、バディが手にもつバケツの蓋は石除けの盾に早変わりします。プロテスタント(ユニオニスト/ロイヤリスト)とカソリック(ナショナリスト)の対立が激化していたこの時代、どうやら自分たちの居住区から少数派のカソリック教徒を追い出そうと嫌がらせをしているようです。

バディの一家は父と母と兄ウィルの4人家族。大工の父はロンドンに出稼ぎに行っていてウィークデイはいませんが、近所に父方の祖父と祖母がいますし、母の姉やその娘のモイラもいます。そのうえ界隈の住民のほとんどが知り合いという、まち全体が家族のような社会です。留守がちな父の代わりに周囲の人々からふんだんに愛情を注がれ、伸び伸びと育ったのでしょう。バディは明るく屈託のない9歳の少年です。

一家の生計は楽ではなく、滞納した税金を毎月10ポンドずつ3年間かかって支払い終えたばかり。それで一安心かと思えば、おそらくロンドンでの収入を申告していなかったのでしょう。税務署が父の口座を調べ、現在の収入に基づく未納分が572ポンドあると指摘されることになります。物価で比較すると当時の1ポンドは現在の約14ポンドに相当するそうですので、今の感覚だと8,000ポンドあまり(日本円で約130万円)の滞納があることになります。

バディの一家は地域の多数派であるプロテスタントですので襲撃されることはありませんが、父の幼なじみのビリー・クラントンが過激派で、一緒に活動しろ、さもなくば資金援助をしろと迫ります。つまり手を貸さないのならカネを出せというわけです。

バディの父はこの件には与しないという考えのようで、暴力行為への荷担はおろか、カネを渡すつもりもなく、むしろビリーの行動を軽蔑しているようです。彼の要求を断り、“偉そうなこと言うな、オマエの問題は自分が周りより優れていると思っていることだ”と非難された父は、“オマエの問題はその劣等感だ。真のプロテスタントのつもりだろうが、ただの跳ねっ返りのギャングだ“と言い返します。テロ行為の本質をついた台詞ですね。

そんななか、父がロンドンの雇い主から正規雇用の管理職のポジションをオファーされます。収入が増えるだけでなく、今より広い家に無料で住めて、うまくいけばそれを自分のものにできるというのです。子ども部屋もあるし、庭もあるので、子どもたちも自由に遊べます。

そう言って家族を説得するのですが、母は“ここなら庭がなくてもストリートで遊べる”と反論します。テロ行為に対する不安があるとはいえ、子どものころから慣れ親しんだこのベルファストから離れたくないのです。

バディにもベルファストを離れたくない理由があります。クラスメイトのキャサリンと仲良くなって、将来は結婚したいと思っているのです。それにはまずテストで良い点数をとって最前列の席に移ること。成績順に席が決まるので、優秀なキャサリンはいつも最前列にいて、その隣に座るにはあとひとがんばり必要なのです。

また祖父と祖母の存在も重要です。学校が終わるとバディは祖父と祖母の家に行き、彼らとの会話を通じてさまざまなことを学びます。
たとえばキャサリンのことについても、ロマンティストの祖父と現実的な祖母とで意見が分かれ、祖父は“How To Handle A Woman”を歌って、大切なのはただ愛すること(simply love her, merely love her)だと説きます。

この歌は1967年のミュージカル映画「キャメロット(Camelot)」の一曲ですが、バディも映画好きで、ラクエル・ウェルチ主演の「恐竜100万年(One Million Years B.C.)」やゲイリー・クーパーとグレイス・ケリーの「真昼の決闘(High Noon)」、ディック・ヴァン・ダイクの「チキ・チキ・バン・バン(Chitty Chitty Bang Bang)」など、家族で映画を観に行く場面が何度も登場するあたりはケネス・ブラナーの思い出なのでしょう。

そんな優しい祖父ですが、若い頃、レスターで炭鉱夫をしていたことが原因で肺病に罹って入院してしまいます。

街では暴力行為が激化し、従兄弟のモイラも暴動に加わるようになっています。彼女と仲良しのバディもそそのかされて悪さをするのですが、やることなすこと今ひとつなところ(FRYのターキッシュ・ディライト、OMOのバイオ洗剤)が笑わせます。ちなみにターキッシュ・ディライト(バラ風味のゼリーが入ったチョコバー)の一件は監督の実話だそうです。

最終的に、家族はロンドンへ移住することになるのですが、エンディングは一人ベルファストに残ることになる祖母のモノローグ。祖母を演じているのはジュディ・デンチ(Judi Dench)で、中盤ではそれほど目立たないものの、この締めのひと言ですべてを持って行く感じです。そのおかげか彼女と祖父役のキアラン・ハインズ(Ciarán Hinds)はアカデミー賞に助演でノミネートされているのですが、さてどうなることでしょうか。

その他、父親役で「プライベート・ウォー」で報道写真家ポール・コンロイを演じていたジェイミー・ドーナン(Jamie Dornan)、母親役で「マネーモンスター」「フォードvsフェラーリ」のカトリーナ・バルフ(Caitriona Balfe)が出ています。
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ベルファスト(Belfast)
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