宣伝ではマニアックな雰囲気ですが、誰が観ても楽しめる作品だと思います。今年のアカデミー国際長編映画賞にチュニジア代表として出品され、見事ノミネートを果たしただけあって満足度の高い映画でした。
物語の核となるのは難民問題と現代アートの欺瞞で、ラッカ出身の主人公が弾圧を避けてレバノンに逃れ、そこで出会った現代芸術家の作品となることで移動の自由を得るというもの。芸術とは何かと問いかけながら、欧米人の浅薄な人権意識を浮かび上がらせます。
映画の始まりは全面を真っ白な壁で設えた無機質な廊下。その奥から黒い服を着た男がこちらに向かってきて鏡越しに現れるスタイリッシュな立ち上がりは、中東の映画に対する先入観を一掃します。監督を務めたカウテール・ベン・ハニア(Kaouther Ben Hania)は1977年シディブジッド生まれのチュニジア人女性、撮影を担当した「存在のない子供たち」のクリストファー・アウン(Christopher Aoun)は1989年ベイルート生まれのレバノン人男性だそうですが、このような工夫ある映像が随所に見られ、丹念に練り上げたことをうかがわせる作品です。

黒い服の男は現代美術アーティストのジェフリーで、実はその人物造形にはモデルが存在します。ヴィム・デルボア(Wim Delvoye)というベルギーの作家で、Cloacaという排泄物製造器や、生きた豚に入れ墨を施すTattooed Pigsプロジェクトなどで物議を醸しました。本作にも保険業者の役でカメオ出演しています。
デルボアの代表作の一つであり、本作の着想源でもある作品“TIM”は、ティム・ステイナー(Tim Steiner)という男性の背中にタトゥーを入れた作品。ドイツのアートコレクター、リック・ラインキング(Rik Reinking)に15万ユーロで売却され、ステイナー氏は存命中は年3回のギャラリー展示、死後は剥いだ皮膚を額装されるという契約でその1/3を受け取ったようです。本人は、自分はデルボア作品の一時的なフレーム(額縁)であると言っているようですが、5万ユーロでそこまで割り切れるものなのか気になるところです。

それはさておき、映画の話に戻ると続いては本作の主人公サムとガールフレンドのアビールが列車に乗っているシーン。二人は結婚を望みながら、アビールの家族に反対されているようで、その翌日、彼女は外交官の男性と見合いをすることになっています。ただ会うだけだからとサムをなだめるアビールですが、シリアの政情不安を考えると、外交官と結婚して海外で暮らすことの魅力も否めないでしょう。
サムもそれを理解しているようで不満げな顔で彼女の言い訳を聞いていますが、突然、立ち上がると、列車内の乗客の向かって結婚宣言をします。自由が欲しい、自由に結婚したいというわけです。同乗客たちから祝福されてその場面は終わるのですが、自由を求める宣言が問題でした。自宅に憲兵が現れ、反政府活動の疑いで逮捕されてしまいます。

運良く親族の手引きで脱獄できるのですが、自宅で暮らすわけにはいきませんので、車のシートに隠れて姉の運転でレバノンに逃れ、初生びなの雌雄鑑別の仕事に就きます。そこで仲間とギャラリーのパーティに潜り込んでご馳走をくすねていたときに知り合ったのが現代美術アーティストのジェフリーで、背中にタトゥーを彫って彼の作品にならないかと誘われます。シリア人として渡航するのは難しくても、作品としてなら国境を越えられるというのです。

アビールは外交官と結婚してブリュッセルで暮らしています。彼女に会いたい一心のサムはその申し出を受け、ジェフリーの作品となってベルギーへの入国を果たすのですが、もちろん彼女との関係を取り戻すことは容易ではありません。しかしそれ以上に難しいのは、展示され売買される作品という立場が引き起こす人権問題です。芸術品の取引ではなく人身売買だという直截な指摘もあれば、難民の弱みにつけこんで尊厳を踏みにじる行為だという非難もあります。

そのような社会問題を絡めながら、アビールを頂点とする三角関係を描いていくわけですが、その背景にはシリアの紛争があり、イスラム原理主義者の台頭やアラブ系移民によるテロの頻発といった問題も絡んできます。この監督の巧さは、そういった事情をただ社会批判に繋げるだけでなく、物語に緩急をつける仕掛けとして使い、終盤に思いがけないどんでん返しを用意した上でラブストーリーとして着地させていることでしょう。
こういう設定の作品ですのであまり有名俳優は出ていませんが、ジェフリーの秘書ソラヤ役でモニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)が出てます。「007 スペクター」で再び注目を集めた彼女、本作だけでなく、ゴバディ監督の「サイの季節」やクストリッツァ監督の「オン・ザ・ミルキー・ロード」といった通好みの作品にもコンスタントに出演しています。

主役サム・アリを演じたヤヤ・マヘイニ(Yahya Mahayni)はシリア出身で、フランス経由でカナダに移住して普段は法律関係の仕事をしている人、アビール役のディア・リアン(Dea Liane)はフランスの舞台女優、現代芸術家ジェフリー役のケーン・デ・ボーウ(Koen de Bouw)はTV中心に活躍しているベルギーの俳優だそうです。

公式サイト
皮膚を売った男(L’Homme qui a vendu sa peau)
[仕入れ担当]