自分以外、誰もザ・ビートルズの存在を知らない世界にスリップしてしまった売れないミュージシャンが、さらっと弾き語りした”Yesterday”に周囲が驚愕。ビッグマネーが動き始め、私生活が失われていくうちに、自分にとって本当に大切なものは何か気付くという、粗筋だけ書くと非常にベタな物語ですが、ひねりのきいた台詞や後味の良い展開で気軽に楽しめる作品になっています。
監督は「トランス」「スティーブ・ジョブズ」「トレインスポッティング」のダニー・ボイル(Danny Boyle)ですが、どちらかというと脚本を書いたリチャード・カーティス(Richard Curtis)らしさが濃厚なロマンティックコメディです。彼の監督作でいえば「ラブ・アクチュアリー」や「パイレーツ・ロック」、脚本でいえば「フォー・ウェディング」や「ノッティングヒルの恋人」あたりに連なる作品だと思います。

主人公は、英国東部の田舎町、サフォーク州ローストフト(Lowestoft)で暮らすジャック・マリク。以前は学校教師をしていたようですが、今はパブで演奏するミュージシャンで、幼馴染みのエリー・アップルトンがマネージャー兼ドライバーとして彼の活動を支えています。とはいえ、ずっと売れないミュージシャンを続けるわけにもいかず、アルバイト先のスーパー(Booker Wholesale)から社員登用の話もあり、そろそろ夢を諦めようかと思っているところです。

そんなある晩、自転車で走っているときに世界的な大停電が発生し、真っ暗闇のなかバスと衝突。病院のベッドで目覚めたジャックは、傍らにいたエリーに“64歳になっても世話してくれるかい”と冗談めかして言います。ビートルズの“When I’m Sixty-Four”をもじったつもりだったのですが、エリーから真顔で“なんで64歳なの”と聞き返され、ちょっと間の悪い感じに。

そして退院後。事故で壊れてしまったギターの代わりに友人たちからプレゼントされた新品で”Yesterday”を演奏したところみんなびっくり。ビートルズだよと言っても、誰それ?という感じで、帰宅してネット検索して、自分がビートルズの存在しなかった世界に生きていることを知ります。

記憶の底をつつき、ビートルズの曲を思い出しては披露するジャック。良い曲だと言われますが、彼の人気が高まるわけではありません。当然のことながら、ジョンやポールのキャラクターや時代性あってのビートルズであり、とくに演奏技術が高いわけでも、スター性があるわけでもない平凡なジャックが演奏したところで影響力は知れています。

ところが地元のギャビンという若者がその音楽性の高さに気付き、自宅スタジオでCD録音させてくれます。それをスーパーで配ったところ、TV取材を受け、ミュージシャンのエド・シーランがジャックの自宅に訪ねてきます。ちなみにこの役は本物のエド・シーラン(Ed Sheeran)が演じているのですが、彼はフラムリンガム(Framlingham)育ちですので、訪ねてきたときに言う“近くに住んでいるんだ”という台詞はあながち作り話ではありません。

エド・シーランのモスクワ公演の前座として初お披露目の“Back In The U.S.S.R.“で聴衆を熱狂させたジャック。これほどの名曲を機中で作れるはずないと思ったエド・シーランは、打ち上げ会場で、それぞれ即興で作曲して披露し合おうと挑みます。その挑戦に“The Long And Winding Road”で応じたジャック。エド・シーランもお手上げです。その後、エド・シーランのマネージャーであるデブラが参画し、ジャックの人気を一気に燃え上がらせようと手を尽くします。

この映画、クスッと笑える小ネタやダブル・ミーニングなどリチャード・カーティスらしい仕掛けが満載なのですが、Winding Roadもそのひとつです。ジャックとエリーの出会いは、中学校時代にOasisの“Wonderwall”を演奏したジャックにエリーが惹かれたこと。つまり彼らのなれ初めの歌詞にWinding Roadがあり、ジャックの転帰にWinding Roadが歌われ、ややネタバレになりますがエンディングでもWinding Roadが重要な台詞として登場します。

またリチャード・カーティス風の英国らしさも盛りだくさんで、ローバーミニもそうですし、フィッシュ&チップスもそうですが、やはり笑えるのは米国スタイルへの皮肉。デビューアルバム製作のためL.Aで行われたマーケティング会議の誇張された米国企業ノリは爆笑ものです。特におかしかったのはアルバムタイトルの選考。ジャックが候補に挙げた“Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band”と“White Album”と“Abbey Road”の3案すべてを却下するのですが、“White Album”がダメな理由は“Too white”だから。それを黒人のラモーネ・モリス(Lamorne Morris)演じるマーケティングディレクターに言わせるあたりがリチャード・カーティスです。

主役のジャックを演じたヒメーシュ・パテル(Himesh Patel)はTVで活躍してきた俳優で、英国ハンティンドン生まれのインド系。ピアノとギターが弾けるそうです。

相手役エリーを演じたのは、このところ「ベイビー・ドライバー」「ウィンストン・チャーチル」「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」「ガーンジー島の読書会の秘密」と勢いを増してきたリリー・ジェームズ(Lily James)で、優等生っぽさが中学校時代に惹かれた男の子を励まし続ける田舎の数学教師役にぴったりでした。率直に言って、冴えないジャックにずっと惹かれている理由はよくわかりませんが、彼女の一途で芯の強そうな雰囲気がこの物語を支える大きな魅力になっています。

その他、上に記したようにエド・シーランが本人役で登場するほか、ジェームズ・コーデン(James Corden)も本人役で登場します。また、終盤に出てくるジョン・レノンを演じているのは、クレジットされていませんが「トレインスポッティング」「ザ・ビーチ」のロバート・カーライル(Robert Carlyle)です。

[仕入れ担当]