マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)監督の最新作です。原作は遠藤周作の小説「沈黙」。ご存知のように非常に重いテーマの物語ですので、有名監督が人気俳優を配して撮ったとはいえ、気軽に楽しめるような作品にはなっていません。映像の大部分は弾圧に苦しむ民衆であり、苦悶する神父の姿です。
しかし、3時間近い大作にもかかわらず、観客をまったく退屈させないあたりはさすが大御所。編集に2年間かけたというだけのことはあります。撮影は同監督の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を手がけたロドリゴ・プリエト(Rodrigo Prieto)。「アモーレス・ペロス」をはじめ「BIUTIFUL」などイニャリトゥ作品で有名ですが、アルモドバル監督「抱擁のかけら」、アン・リー監督「ブロークバック・マウンテン」「ラスト、コーション」など美しいだけでなく迫ってくるような映像をみせてくれる人です。
また出演者が素晴らしくて、主役のロドリゴ神父を演じたアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)、彼と一緒に日本に渡ってくるガルペ神父を演じたアダム・ドライバー (Adam Driver)、彼らが探し求めるフェレイラ神父を演じたリーアム・ニーソン (Liam Neeson)の3人ともまさにはまり役。
特にアンドリュー・ガーフィールドは「わたしを離さないで」「ドリーム ホーム」と観るたびにレベルアップしている感じです。ポルトガル人を英語で演じることの微妙さ(パライソとパラダイスなど)もありますが許容範囲だと思います。
そして日本人俳優たち。準主役的な位置付けのキチジローを演じた窪塚洋介や、イノウエ様(井上筑後守)を演じたイッセー尾形はもちろん、小説では印象が薄かった通辞を演じて強い存在感を示した浅野忠信も素晴らしい演技をみせてくれます。
その他の登場人物も良くて、信者のモキチを演じた映画監督の塚本晋也や囚人ジュアンを演じた加瀬亮も記憶に残ります。端役ながら片桐はいりの演技には吹き出しそうになりました。元日の西日本新聞に方言指導をした福田信昭さんを紹介するコラムが掲載されていましたが、きっとそのおかげもあるでしょう。
映画はマカオの場面から始まります。ですから原作小説のまえがきにある、神父3人がポルトガルのタホ川から喜望峰を回ってマカオに至る長旅に苦しむ場面や、その1人のマルタ神父がマラリアに臥せてマカオに残される話は割愛されています。それはそれで良いのですが、島原の乱を機にキリスト教とポルトガル船の就航が認められなくなったという説明まで省かれてしまいますので、なぜ17世紀の日本でキリスト教が厳しく弾圧されていたのか、日本人にとって常識とはいえ、外国人には理解できないかも知れません。
マカオで拾った漁師キチジローを伴い、ロドリゴ神父とガルペ神父が支那人の船で日本に密航してきます。着いたのはトモギ村と呼ばれる辺鄙な土地。江戸時代の黒崎村(現在の下黒崎町あたり)がモデルになっているそうですが、そこで暮らす隠れキリシタンたちに匿われ、しばらくは炭焼き小屋で生活しながらミサやコンヒサン(告解)を行います。彼らの存在は極秘でしたが、キチジローが故郷の五島で話したことから、はるばる訪ねてきた信者に請われて島でも活動を始めます。
ここで重要なのがキチジロー。彼は元々キリシタンでしたが、弾圧にあった際に、処刑されていく人々を横目に踏み絵を踏んで罪を逃れます。自分が生き延びることが何よりも大切という人間なのです。ですから神父たちも彼を完全には信用していません。神父を奉行所に差し出すと銀300枚が与えられると知ったロドリゴ神父は、ユダに銀30枚で売られたイエスキリストと自分を比較し、キチジローの心の弱さによって自分が殉教することを思い描きます。
その後、神父は捉えられ、信者たちが処刑されていくなかで神の存在や聖職者として為すべきことについて考え抜くことになるのですが、弱き者キチジローの存在は、赦すことへの苦悩と密に結びついていきます。
ほぼ原作に忠実に作られた映画ですが、エンディングだけ少し違います。その後のできごとを役人の日記の形式を借りてたんたんと記して終わる小説とは異なり、ロドリゴ神父の最期までが明確に描かれ、特に最後の1シーンにはスコセッシ監督の大胆な解釈が織り込まれています。
テーマがテーマだけに難しい要素もありますが、私はとても良い作品だと思いました。ちょっと残念だったのは、映画の撮影が九州ではなく台湾で行われたということ。奉行所の建設費などの問題だそうですが、是非とも五島列島や長崎で撮って欲しかったと思います。ちなみにロケーションの手配に際してはアン・リー監督が手助けしたそうです。
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