映画「はじまりへの旅(Captain Fantastic)」

00 ぱっとしない邦題のせいで見逃すところでした。俳優出身のマット・ロス(Matt Ross)は本作が長編2作目、日本では初の劇場公開作という監督で、カンヌ映画祭「ある視点」部門で監督賞を獲らなければ気に留めなかったであろうこの作品、実はなかなか良い映画です。

シンプルな物語ながら、いろいろと含みが多くて、多様な見方ができるようになっています。脚本も監督自身が書いているようですので、これからが楽しみですが、次作はトマス・スウェターリッチ原作のSF作品ということで、ちょっと傾向が違うようですね。

それはさておき、本作の主人公であるキャッシュ家は、人里離れたワシントン州のベーカー山麓で暮らす風変わりなファミリー。ヴィゴ・モーテンセン(Viggo Mortensen)演じる父親のベンと6人の子どもたちの他、入院中の母親レスリーの8人家族です。

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野生のヘラジカを素手で仕留め、その心臓に喰らいつくことが大人へのイニシエーションになっているかと思えば、哲学から量子力学まで書物を通じて学んでいたり、ヒッピーコミューンや共産ゲリラなど自給自足の生活を目指す人たちの理想像のような家族です。

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実際、キャッシュ家は資本主義を完全否定していますし、反宗教主義で無政府主義。子どもがポルポトに共感していたり、自らをマオイスト(毛沢東主義者)だというあたりはまるで60年代左翼です。クリスマスの代わりにチョムスキーの誕生日を祝うほどですから、遅れてきたコミュニストといった感じでしょうか。

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この家族はほとんど社会と接触しませんが、麓にあるグローサリーストアで何かを売り、必要なものを購入することで貨幣経済に繋がっています。そこでは電話も使うのですが、町で暮らす妹に入院中の妻の様子を尋ねたベンは、彼女が手首を切って自殺したと知らされます。実はレスリー、双極性障害が悪化して入院していたのです。

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レスリーの父親と折り合いの悪いベン。ニューメキシコにある妻の実家に電話しますが、彼女を死に追いやったのは、ベンと結婚したせいだと非難され、葬儀に出席したら警察を呼ぶと脅されます。しかしレスリーの母親は寛容で、子どもたちを連れて葬儀に来るように勧めます。

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こうして西海岸を家族で南下する旅が始まります。途中、妹ハーパーとその夫デイブ、彼らの息子2人が暮らす家に泊めてもらうのですが、これがまさに文明の衝突。キャッシュ家の子どもたちにとってナイキ(Nike)はギリシャ神話の神様ですし、ベンの教育方針では子どもがワインを飲むことも問題ありません。クラックよりマシと言い放ち、コカインの説明を始めるベンに、デイブは困惑し、ハーパーは席を立ちます。

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妹夫婦にとって教育とは社会性を身につけるもの。合衆国憲法の権利章典を暗唱できても、他人と協調できないようでは生きていけないという考えです。対するベンは、高等数学からロリータまで語れる頭脳と、自然の中で生き抜ける強靱な肉体と精神があればそれで十分、学校に通うことは無意味だと考えています。結局、折り合いが付かず、前庭に寝袋を並べて眠るキャッシュ家。

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その後、レスリーの実家があるニューメキシコに向かうのですが、レスリーの父親というのは裕福な実業家。実はレスリーも元々は弁護士だったようで、一種のエスタブリッシュメントです。

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レスリーの葬儀をカソリック教会で行い、墓地に埋葬する計画になっているのですが、ベンに届いたレスリーの遺言によると、自分は仏教徒なので荼毘に付して欲しいとのこと。ベンと子どもたちは、その願いを叶えようと奔走することになります。

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こんな感じで物語が展開していって、新たな生活へ向かうシーンでエンディングを迎えます。ちょっとネタバレになりますが、長男のボウドヴァン(ボウ)を見送る場面でベンが、女性に優しくしろとか、ウソをつくなとか、人生を楽しめとか説教めいたこと言います。その最後が“Don’t die”なのですが、この家族の暮らしぶりを見てきたからこそ、このシンプルな言葉の重みが伝わってきてちょっと感動します。

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このボウを演じたのが英国俳優のジョージ・マッケイ(George MacKay)。「サンシャイン/歌声が響く街」「パレードへようこそ」でも誠実そうな役柄でしたが、今回も彼の真面目なキャラクターが活きています。中盤でみせるヨガは、出演が決まってから毎日3時間特訓した成果だそうで、役作りも真摯です。

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撮影監督のステファーヌ・フォンテーヌ(Stéphane Fontaine)は「預言者」や「君と歩く世界」を撮っているフランス人で、「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」や、イザベル・ユペール主演でこの夏公開される「エル」も手がけているベテランです。

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また、音楽監督はヨンシーのパートナーであるアレックス・サマーズ(Alex Somers)。本作の中でもシガーロスの曲が使われていますが、素晴らしいのが、亡き母レスリーが好きだった曲だと言って子どもたちが歌う“Sweet Child o’ Mine ”。ガンズ・アンド・ローゼズの曲ですね。オーガニック志向の女性ですから、好きだったのはシェリル・クロウのカバーかな、とも思いましたが、やはりここはガンズ好きのナチュラリストであって欲しいところです。

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そしてエンディングは“I Shall Be Released”。「チョコレートドーナツ」でアラン・カミングが歌う姿も感動的でした。本作でも物語とうまく調和していて、とても心地良い余韻を残してくれます。

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公式サイト
はじまりへの旅Captain Fantastic

[仕入れ担当]