ベストセラー小説の映画化というと、原作が面白ければ面白いほど期待値が上がってしまうので、観てガッカリするのではないかと心配になりますが、そういう意味でいえば、「6才のボクが、大人になるまで。」「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」「30年後の同窓会」のリチャード・リンクレイター(Richard Linklater)が監督を務め、「ブルージャスミン」「キャロル」「TAR/ター」のケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)が主演した本作は安心材料が担保されている部類でしょう。
とはいえマリア・センプル(Maria Semple)の原作は、娘の独り言、娘の成績表とそれに対する両親の反応を記したメモで始まり、それからしばらく何人かのメールのやりとり、手紙や通知などが続いていくという独特のスタイルがウリになっている小説です。さまざまな資料を後で取りまとめたという設定で創作されており、先日ヴェネツィア映画祭で金獅子賞に輝いた「哀れなるものたち」原作と同じく、小説の成り立ちそのものが物語の一部として組み込まれた作品なのです。
そういった仕掛けはどうするのかな、と思って観に行ったわけですが、さすがリンクレイター監督、小説のスタイルや物語の枝葉末節をばっさり切り捨て、母娘関係にフォーカスしたシンプルな物語に仕上げていました。ケイト・ブランシェットの高い演技力が最大限に活かされた映画だと思います。

展開はエンディングが少し違う以外、概ね小説と同じです。32歳のとき自邸として手がけたマルホランドの20マイルハウスでマッカーサー・フェローを授与された天才建築家バーナデット・フォックスが、その後のトラブルで建築界から姿を消し、夫エルジンの職場があるシアトルで一人娘のビーと3人で暮らしているところから始まります。

ビーは産まれたとき心臓に疾患(左心低形成症候群)があり、6回の手術を受けなくてはなりませんでした。バーナデットはシアトルに移った後、老朽化した建物(旧ストレートゲート女子校)を手ずから改装するつもりで入手しましたが、ビーが産まれ、その健康維持に注力するあまり、建物に手を入れないまま暮らし、世間との接触も疎むようになっていきます。

夫のエルジンはマイクロソフトの全社的プロジェクトであるサマンサ2の責任者になり、いまやTEDで講演するスターエンジニアです。15歳まで育ったビーは、チョート校(Choate Rosemary Hall)に進めるほど学業優秀で、健康の問題もありません。家族にも経済的にも恵まれたことで、さらに世間と協調する必然性が薄れていくのです。
対人恐怖に近い状態にあるバーナデットは、買物や用事のために他人と接触することも避けようとします。日常的な雑事は、ネット経由でバーチャルアシスタントに依頼するのですが、その担当者がインド人のマンジェラ。スマートフォンの音声入力を使ってメッセージを送信するだけでほとんどのことが済んでしまいます。

11月のある日、ビーが通っている地元のゲイラーストリート校の成績表を両親に見せます。すべてSです。ビーは言います。わたしが入学したとき、最高の成績をキープできたら卒業プレゼントに何でも欲しいものをくれるって約束したでしょ、いま何が欲しいと思う?南極への家族旅行よ! そして旅行会社のパンフレットを取り出し、行くなら南極が夏のクリスマス休暇中でないと、とたたみ掛け、卒業発表でアーネスト・シャクルトンを取り上げる予定だと付け加えます。

エルジンはバーナデットの外出嫌いを心配して即答を避けますが、結局、ビーが行きたいのならということで、クリスマス休暇の家族旅行が決まります。早速、バーナデットはその準備をマンジェラに依頼するのですが、支払のためのクレジットカード情報だけでなく、ビザ取得のためにさまざまな個人情報を伝えてしまい、これが後々問題になってきます。

ゲイラーストリート校では優秀な子どもを集めるために、就学前クラスに入る前の子どもとその親を集めてホームパーティを開くことになります。その会場に選ばれたのがオードリーの家。彼女はビーの同級生であるカイルの母親で、バーナデットたちが暮らす家から斜面を下った先にある家に住んでいます。
オードリーは斜面に生い茂っているブラックベリーが気に入りません。業者に駆除を頼みますが、丘の上の敷地から根こそぎ取り除かないとすぐにまた生い茂ってしまうと言われます。そこでバーナデットに業者を繋ぎ、斜面のブラックベリー駆除を発注させることに成功します。
ホームパーティの日、オードリー宅は大勢の家族で賑わいました。しかし不運なことにその日は大雨で(雨の多いシアトル)、それまでブラックベリーの根で保たれていた斜面が崩れ、土砂が家の中まで流れ込んできてしまいます。体面を失ったオードリーは、それまでに増してバーナデットと敵対することになります。
ゲイラーストリート関係ではもう一人、ビーの同級生であるリンカーンの母親スーリンが登場します。彼女はマイクロソフトに勤務していて、配置転換でエルジンの秘書になります。夫のDVで離婚した関係でメンタルヘルスに詳しいシングルマザーです。もちろんバーナデットは彼女のことも嫌っています。
その後、オードリーとの対立、南極行きの船酔い対策としてABHR(ハルドールにアティバン、ベナドリル、レグランを配合した抗精神病薬)の処方を受けようとした際のトラブルで、バーナデットは追い込まれていきます。心配したエルジンが精神科の手配をしたこと、マンジェラに関するFBIの捜査が入ったことで逃げ場を失ってしまうのです。

そうして彼女は南極に逃げ出すことになります。原作はここに至るまでの情報量が非常に多く、話があちこちに飛びますので、南極船やパーマー基地は最後の謎解き的な位置づけですが、映画はここからが見せ場です。白い大陸の氷山や雪原を見せた後の、家族の絆、バーナデットの再起が感動を呼びます。

もちろん最大の見どころはケイト・ブランシェットの演技ですが、夫エルジン役のビリー・クラダップ(Billy Crudup)、娘ビー役のエマ・ネルソン(Emma Nelson)も良かったと思います。特に使われている楽曲が良くて、原作にも出てくる日本の童謡“ぞうさん”もそうですが、映画で加えられた“Time After Time”を母娘で歌うシーンが彼女の心情と重なってとても良い感じでした。

映画ではコールハースが手がけたシアトル中央図書館をバーナデットが散策し、調剤薬局でデイル・チフーリの照明に言及する程度に止めていますが、原作はディテイルの面白さで読ませるタイプの小説ですので、ザハ・ハディット、アイリーン・グレイ、ジュリア・モーガンといった女性建築家や、アン・ティン(ルイス・カーンのパートナー)、マリオン・マホニー・グリフィン(フランク・ロイド·ライト事務所)、デニス・スコット・ブラウン(ロバート・ヴェンチューリのパートナー)といった男性の影に隠れた鬼才たちを挙げて、女性の職業に対する作者の姿勢を示します(ちなみに映画のエンディングはヒュー・ブロートン設計のハレーVIリサーチステーション)。

またエルジンが働くマイクロソフトの内部事情や、シアトルの街についても細かく描いていますので、よくご存じの方なら笑える部分が多々あるでしょう。映画とはまた違った味わいがありますので小説もお勧めです。

公式サイト
バーナデット ママは行方不明
[仕入れ担当]