14世紀フランスで起きたスキャンダラスな事件にまつわる物語です。 2004年に米国のエリック・ジェイガー(Eric Jager)が発表した書籍をベースに、マット・デイモン(Matt Damon)とベン・アフレック(Ben Affleck)の仲良し二人組が「ある女流作家の罪と罰」のニコール・ホロフセナー(Nicole Holofcener)の協力を得て脚本を創り上げ、リドリー・スコット(Ridley Scott)が監督しました。大掛かりなセットと豪華キャストで撮った、まさにハリウッド映画の王道を往く一本です。
物語は、騎士の妻が夫の旧友である従騎士から強姦されたと訴え、被告が罪を認めなかったため、決闘で決着させることになるというもの。決闘の勝敗は神の意思に基づくという考え方で、騎士が負ければ妻は虚偽の訴えをしたことになり、火あぶりの刑に処せられます。何とも無茶苦茶な話ですが、この1386年12月29日の決闘がフランスで合法的な手続きに基づいて行われた最後のものだということですので、既に疑問をもっていた人が多かったのでしょう。

この騎士ジャン・ド・カリュージュをマット・デイモン、訴えられた従騎士ジャック・ル・グリをアダム・ドライバー(Adam Driver)、ル・グリを贔屓して重用したアランソン伯爵ピエール2世をベン・アフレックが演じます。つまりマット・デイモンとベン・アフレックは対立する役柄。問題となるカリュージュの妻マルグリットをTV出身のジョディ・カマー(Jodie Comer)が演じているのですが、共演の有名俳優たちに見劣りしない力強い演技に要注目です。

映画の作りにも仕掛けがあって、この史実を騎士、従騎士、騎士の妻という異なる3人の視点から描く三部構成になっています。ひとつの出来事に対して各々の見解が食い違う現象を、黒澤明の映画に由来して羅生門効果(Rashomon effect)と呼ぶそうですが、カリュージュの視点で語られる第1章とル・グリの視点で語られる第2章をマット・デイモンとベン・アフレックが担当し、マルグリットの視点で語られる第3章をニコール・ホロフセナーが担当したことで、男女のものの見方や立場の違いを際立たせたそうです。

これがなかなか効果的で、男性の視点で作られている第1章・第2章から、女性の視点で作られている第3章に展開した途端、同じ物語にもかかわらず印象がガラッと変わります。女性は男性の所有物として扱われていた14世紀の状況を考えると、女性視点の記録は残されていないでしょうから、第3章のほとんどはこの映画のための創作であり、言い換えればこの映画で描きたかった本質とも言えるでしょう。

舞台は百年戦争の時代のノルマンディ。ジャン・ド・カリュージュは家名の通り代々カリュージュ(現在のSainte-Marguerite-de-Carrouges)を治め、ジャック・ル・グリはその30Kmほど北東にあるエクム(Exmes)を与えられて治めていたようです。ピエールはその30〜40km南にあるアランソン(Alençon)を領地とする伯爵で、いずれもパリから西へ200kmほどの場所ですので、東京で喩えれば長野や松本あたりでしょうか。
物語の始まりは戦地でル・グリがカリュージュを助けるシーン。私は中世ヨーロッパ史に疎いので背景はよくわかりませんでしたが、戦史に詳しい方ならこの戦いの意味や敵の残虐行為に憤るあたりについてピンとくるものがあるかも知れません。

どうやらカリュージュは領主になったピエール伯爵と反りが合わないようで、戦地から帰還した際も雑にあしらわれます。それとは反対にル・グリは気に入られているようで、あたかも友人のような扱いです。これはル・グリが若いころ聖職者としての教育を受けたため、従騎士には珍しく知的だったことが大きいようです。

ちなみにこの映画、歴史上の人物はフランス人ですが、演じているのは英語圏の俳優で、当然ながら会話は英語で行われます。その中でル・グリは会話にラテン語を混ぜて知性をひけらかすわけです。
面白いのはピエールを演じているベン・アフレックで、高貴な雰囲気を醸すためか、わざわざ英国風の英語を喋っています。冷静に考えるとおかしいのですが、英語圏の観客にはこの方が判りやすいのでしょう。

話が逸れましたが、領主の覚えめでたく出世していくル・グリを横目に、いつも評価されないカリュージュの鬱憤が溜まります。その上、戦禍で領地の農民からの収入が減っているところに、ル・グリがピエール伯爵の遣いとして戦費の徴収に訪れます。昔のよしみで伯爵に弁明して貰えることになりますが、手を差し伸べてくれたル・グリの上から目線が不愉快です。
少し前に妻子を失っていたカリュージュは、国王に反旗を翻したことのあるティボヴィル卿(Robert de Thibouville)の娘、マルグリットと再婚します。復権を求めるティボヴィル卿と、経済的に苦しむカリュージュの利害が一致したわけです。

カリュージュは婚資の一部としてオヌー・ル・フォコン(Aunou-le-Faucon)の領地を譲り受ける約束をしますが、実はこの土地、ティボヴィル卿が滞納した税金のかわりにピエール伯爵が徴収していたのです。伯爵はこの土地をル・グリに与え、それに怒ったカリュージュはフランス国王シャルル6世に訴えますが、ピエールと国王は従兄弟であり、カリュージュの訴えはあえなく棄却されます。

その2年後、カリュージュの父親が亡くなり、彼の家が代々務めてきたベレム(Bellême)城塞の長官の職を受け継ごうとした際、自分にその権利がないことを知らされます。オヌー・ル・フォコンの一件で騒ぎを起こしたことへの復讐か、ピエール伯爵はその役職にル・グリを任命していたのです。

こういったいきさつがあり、元々は親しい友人であった二人は反目し合うことになります。そんななか、カリュージュがスコットランドでの武勲で騎士の称号を受け、パリで報奨金を受け取って帰ると、妻マルグリットがル・グリに強姦されたと言い出すわけです。
密室での出来事ですので当事者以外は真実を知り得ません。カリュージュは、妻の言い分を信じるか否かと、この状況でそれを公にすべきか否か、つまりル・グリを恨んで虚偽の申し立てをしたと思われるリスクを勘案して行動を起こすことになります。

結局、事件を公にして裁判に臨む決断をするわけですが、カリュージュの母親やマルグリットの友人は口をつぐむべきだと諭しますし、裁判そのものも女性の尊厳を踏みにじるひどいものです。何しろ、ル・グリの罪は男性後見人の財産に損害を与えたことというのですから呆れるしかありません。第1章・第2章は男性の名誉が主眼となるマッチョな感覚で語られていきますが、第3章でマルグリットの立場と意志が明確に現れ、途端に現代的な様相を帯びてきます。

おそらく本作の最大の見せ場は決闘シーンです。幕開けでさわりを見せ、クライマックスで克明にその死闘を描きます。緊張感の高い演技や迫力ある映像だけでなく、サンマルタンデシャン修道院(Prieuré Saint-Martin-des-Champs。現在のパリ工芸博物館)の遠景に普請中のノートルダム寺院を映し込んだセットなど、力を入れて創り上げていることは間違いないでしょう。

しかし最も重要なポイントは、14世紀フランスに自ら声を上げた女性がいたこと。その事実を、現代の価値観や風潮に合わせてわかりやすく映像化したのがこの映画だと思います。たとえば、醜聞を権力者が握りつぶさないように、広く世間に知らしめて社会事件化するあたりや、裁判で不躾な審問をする貴族たちに毅然と対応するマルグリットの姿勢など、今の世相を反映させた作りになっています。

主な出演者としては上に記した4人の他に、カリュージュの母親役で「ベロニカとの記憶」「サンドラの小さな家」のハリエット・ウォルター(Harriet Walter)、狂王シャルル6世役で「イミテーション・ゲーム」「9人の翻訳家」のアレックス・ロウザー(Alex Lawther)が出ています。

公式サイト
最後の決闘裁判(The Last Duel)
[仕入れ担当]