ベストセラーの完結編を世界同時発売するため、各国の翻訳者を監禁して秘密を守ろうとしたことで巻き起こる事件を描くミステリーです。監督のレジス・ロワンサル(Régis Roinsard)は日本では「タイピスト!」で知られていますが、それとは大きく傾向が異なり、幾重にも仕掛けられた謎解きの末に思いがけない真実が見えてくるという作品。無駄のない作りで予想以上に楽しめました。
ダン・ブラウンの「インフェルノ」出版の際、翻訳者を隔離して漏洩を防いだという逸話からヒントを得たそうです。宣伝ではこの部分が強調されていますのでラングドンシリーズかと誤解しそうですが、まったく無関係で、世界的陰謀どころか名所巡りもありません。屋外シーンといえばパリのビラケム界隈などが少し登場するだけ。ほとんどは翻訳者たちが監禁されている屋敷など室内で展開します。
映画の始まりは燃えさかるフォンテーヌ書店。最終的にこのシーンが謎解きの核になるのですが、もちろん冒頭でそういった説明はありません。ちょっとネタバレ気味なことを記せば、中盤で書店主ジョルジュ・フォンテーヌが口にする「オリエント急行の殺人」がヒントの一つになっています。ここで登場する少年の回答がなぜ間違いなのか、映画を観た後に気付くでしょう。

続く場面はアングストローム出版の社長、エリック・アングストロームが、前2作が大ヒットしたミステリー小説「デダリュス」シリーズ完結編の各国同時発売を発表する場。内容が漏洩しないように、ロシア語、英語、スペイン語、デンマーク語、イタリア語、ドイツ語、中国語、ポルトガル語、ギリシャ語それぞれの翻訳者をフランスに呼び、外界とは隔絶された世界で翻訳させることになります。1ヶ月間で翻訳、残り1ヶ月間で推敲させて、2ヶ月後に刊行という段取りです。

翻訳者の側からすれば、いろいろと不満があるわけですが、何しろ部数が出ますので収入に直結します。また、原作者である覆面作家オスカル・ブラックに心酔している翻訳者は、誰よりも先に完結編「死にたくなかった男」が読める魅力に抗えません。そうしてさまざまな事情を抱えた翻訳者たちがパリに集まってきて郊外の屋敷に運ばれていきます。

屋敷内では、電話やインターネットなど外部との接触は一切不可。壁一杯に揃えられた蔵書と与えられたMac Bookを使ってひたすら翻訳することになります。原稿は1日20ページずつ渡され、翻訳データを記録したメモリを原稿と一緒に毎日回収します。屋敷内にはプライベートレストランのほかプールやボウリング場もあり、それなりに休息できるようになっていますが、武装したガードマンが一挙手一投足を見張っていますので気持ちは休まらないでしょう。

翻訳者たちが打ち解け、共にクリスマスを祝った深夜、エリックのiPhoneに“最初の10ページを流出させた。24時間以内に500万ユーロ払わないと次の100ページも公開する”という脅迫が届きます。原作者以外ですべての原稿を見たのはエリックだけですが、メッセージにはクリスマスパーティで合唱したWhat The World Needs Now Is Loveの一節が引用されており、当然、エリックは翻訳者たちを疑います。

集められた9人の翻訳者は個性的な面々です。ロシア語のカテリーナは「デダリュス」シリーズのヒロインに入れ込んでいていつも真っ白な衣装を着ています。英語のアレックスは初日から居眠りする最年少で、スペイン語のハビエルは左腕に謎の包帯、デンマーク語のエレーヌは夫と幼い子どもに対する呵責を抱えていて、イタリア語のダリオは権力に媚び、ドイツ語イングリットはやや傍若無人、中国語のチェンは苦労人、ポルトガル語のテルマはパンク風でギリシャ語のコンスタンティノスは理屈っぽい貧乏学者といった具合。

監督はリアリティを追求するため、映画製作前にトマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)やエレナ・フェッランテ(Elena Ferrante)の作品を手がけている翻訳者にインタビューしたそうです。その結果、翻訳者というのは世の中からズレているもの、というざっくりした理解だったのかも知れませんし、上映時間の都合もあったでしょうが、もう少し翻訳者それぞれの事情がわかると面白みが増したような気がします。

9人のうち一番目立っているのはロシア語のカテリーナ。オルガ・キュリレンコ(Olga Kurylenko)が演じているのですが、彼女の出演作である「007 慰めの報酬」や「ジョニー・イングリッシュ」を思わせる小ネタが出てきたり、完結編の英題「The Man Who Did Not Want To Die」も007風だったりします。
イタリア語のダリオを演じたのは「ダリダ」「LORO」のリッカルド・スカマルチョ(Riccardo Scamarcio)で、やはり今回も欲得で動く小賢しいキャラクター。英語のアレックスを演じたのは「イミテーション・ゲーム」で若い頃のアラン・チューリングを演じていたアレックス・ロウザー(Alex Lawther)。

他に有名どころでは、社長のエリックを演じたランベール・ウィルソン(Lambert Wilson)。「神々と男たち」が有名ですが、「フランス組曲」や「修道士は沈黙する」にも出ていました。

ミステリーですので種明かしはできませんが、ざっくり言えば“翻訳のできが悪ければ原作者は怒るよね”という解釈で良いと思います。あと個人的な教訓としては、バイリンガルじゃ足りないんだな、ということ。翻訳者たちはフランス語から母国語に訳しているわけですが、終盤でスペイン語が彼らの共通言語になり、理解できなかったチェン(中国語)はちょっと焦ることになります。

公式サイト
9人の翻訳家 囚われたベストセラー(Les traducteurs)
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