英国の郊外で暮らすパキスタン移民の青年が、地域社会で偏見にさらされ、親から旧い慣習を押しつけられながら、自由に生きたいという願いを叶えていく物語です。子ども時代にパキスタンのファイサラーバード(当時のライオールプル)から英国のルートンに移住し、現在はガーディアン紙やBBCラジオで活躍するジャーナリスト、サルフラズ・マンズール(Sarfraz Manzoor)が2007年に発表した自伝”Greetings from Bury Park – Race. Religion. Rock ‘N’ Roll.”が原作になっています。
自伝の題名は、ブルース・スプリングスティーンのデビューアルバム”Greetings from Asbury Park, N.J.”に因んだもの。ベリー・パーク(Bury Park)というのはルートンにある地区の名称で、イスラム教徒の大きなコミュニティがあることで知られているそうです。Google Mapで見たら1㎢に満たないエリアに4つのモスク(Luton Central Mosque、Masjid Al Ghurabaa、Bury Park Mosque、Jalalabad Jame Masjid)が点在していました。映画の原題もブルース・スプリングスティーンのヒット曲のタイトルからとられたもので、映画の終盤、この歌詞の解釈に触れるシーンがクライマックスになります。
描かれる時代は主人公のジャベドが大学入学を目指していた1987年。サッチャリズムの雇用削減で失業率が10%を超えていた頃です。ルートンにはGM系列のボクスホール(Vauxhall)の本社や工場があり、主人公の父親マリクは同社から解雇されて失業の憂き目に遭うことになります。逼迫する家計を母親ヌールの内職と、ジャベドのアルバイトで支えていくわけですが、主人公には父親の意向に背いて物書きになりたいという夢があり、また同級生である白人少女(つまり異人種/異民族で異教徒)に惹かれ、さまざまな逆風に見舞われます。

そんな悩み多きジャベドを救うのはブルース・スプリングスティーンの歌詞。同級生のシーク教徒ループスから貰ったカセットを聴くうちに、労働者階級の価値感や生き方に共鳴し、自分の言葉で語る大切さに気付きます。

実はジャベド、バンド活動をしている幼なじみのマットに歌詞を提供していたのですが、彼からダメ出しされて行き詰まっていたのです。といってもマットの音楽性も怪しいもので、これからはシンセサイザーの時代だと声高に叫ぶし、髪型は全盛期のWham!(86年解散)みたいだし、87年当時でもあまりイケてなさそうですが・・・。
そんな彼らが聴いていた曲は、ペットショップボーイズの”It’s a Sin”やレベル42の”Lessons in Love”、A-Haの”The Sun Always Shines on TV”やカッティング・クルーの”Died in Your Arms”といった懐かしいというより気恥ずかしくなるようなものばかり。ですから10月16日の嵐の晩、初めて”Dancing in the Dark”を聴いた主人公は、その歌詞の深さと熱さに引き込まれていってしまうわけです。

ジャベドが惹かれる同級生のイライザは、典型的な中流家庭育ちで両親はサッチャー支持。しかし彼女はアンチサッチャー派で、労働党の支援活動をしています。マンチェスター大学に進みたいと言うジャベドに、ザ・スミスもマンチェスター出身だと言ったり、ブルース・スプリングスティーンはレーガンの好みだと返すあたりで彼女の音楽的嗜好も見えてきますが、いずれにしても郊外の退屈な生活にうんざりしているタイプの少女です。

当時、ルートンでは国民戦線(British National Front)の動きが活発だったようで、ジャベドやループスは右傾化した白人の差別的な言動にも悩まされることになります。アーンデールセンター(現在のThe Mall Luton)のファストフードで、ブルース・スプリングスティーンに勇気づけられたジャベドが白人を言い負かして喝采を浴びたりしますが、やはり根深いものがあるのか、同居している従姉妹ヤスミンの結婚式が妨げられる場面では警官もフェアではないように見えました。

常々、人種と宗教に振り回されてきた主人公が、ブルース・スプリングスティーンのロックで覚醒していく展開は原作の副題通りですが、この映画の面白さの一つは1980年代後半の若者風俗が描かれていること。上に記したミュージックシーンの他、登場人物たちのファッションもなかなか気恥ずかしくさせてくれます。

例えば肩パッド。水色のアイシャドーと肩パッド入りのジャケットだけで時代がわかりますね。日本ではワンレングスが席巻していましたが、英国ではシンディ・ローパー風のファンキーな髪型が流行っていたようで、イライザもところどころメッシュを入れた髪をポップなヘアバンドでまとめています。ジャベドが着ているセーターのワンポイントも気になるところですが、どうやら主人公の個人的趣味のようで、マンズール氏は2019年8月のN.Y.Timesの記事でもライル&スコット(Lyle & Scott)のワンポイント入りシャツを着ていました。
映画の監督は「ベッカムに恋して」のグリンダ・チャーダ(Gurinder Chadha)で、公私にわたるパートナーであるポール・マエダ・バージェス(Paul Mayeda Berges)が引き続き脚本と制作で参加しています。ちなみにこの不思議な名前のパートナー、カルフォルニア生まれの米国人ですが、ルーツは日本とバスクにあるそうです。

主人公のジャベドを演じたのは、新人のヴィヴェイク・カルラ(Viveik Kalra)で、父親マリク役は「ベッカムに恋して」にも出たというクルヴィンダー・ギール(Kulvinder Ghir)、母親ヌール役は薬剤師でもあるというミーラ・ガナトラ(Meera Ganatra)。妹シャジア役のニキータ・メータ(Nikita Mehta)と従姉妹ヤスミン役のタラ・ディビーナ(Tara Divina)は共に映画初出演で、恋人イライザ役のネル・ウィリアムズ(Nell Williams)、同級生のシーク教徒ループス役のアーロン・ファグラ(Aaron Phagura)は主にTVで活躍している人のようです。

有名どころでは、クレイ先生役を「JIMI: 栄光への軌跡」でキャシーを演じていたヘイリー・アトウェル(Hayley Atwell)、隣人エバンズ役を「輝ける人生」のベテラン俳優デヴィッド・ヘイマン(David Hayman)、幼なじみのマット役を「1917 命をかけた伝令」のディーン=チャールズ・チャップマン(Dean-Charles Chapman)が演じた他、マットの父親役を「イタリアは呼んでいる」「スペインは呼んでいる」のロブ・ブライドン(Rob Brydon)が相変わらず調子よく歌いながら演じています。

公式サイト
カセットテープ・ダイアリーズ(Blinded by the Light)
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