クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)監督の最新作です。前作「インターステラー」のときも同じことを記しましたが、この作品も映画館の大スクリーンで観なくては意味がない1本です。なぜなら、物語の展開や演技を楽しむ作品ではなく、観客が体験するタイプの作品だから。ホームシアターの100インチ以上のスクリーンでご覧になっても、劇場とは受ける印象がかなり違うと思います。
よく知られているようにノーラン監督、CG嫌いでデジタルカメラも嫌いというアナログ派。本作も IMAX 70mmフィルムによる上映を希望しており、世界各国でこの規格で上映されたようです。しかし日本国内には対応できる劇場がありません(最寄りはメルボルンかバンコク)ので、大阪エキスポシティのIMAX 70mmデジタル上映か、東京・丸の内ピカデリーの35mmフィルム上映か、という話になるのですが、映画を観に大阪まで行けませんので私は丸の内ピカデリーで観てきました。
それでどうだったかと言うと、良い点はフィルムらしい質感と、青の発色がきれいだったこと。逆に言えば、映像の粒子の粗くて、ちょっとボケた感じですので、そこで好き嫌いが分かれるかも知れません。
映画は第二次大戦初期に英国軍がダンケルクから撤退した模様を描いたものですが、よくある戦争映画と本作が異なる点は、主だった登場人物たちに闘う意志も気力もないこと。トム・ハーディー(Tom Hardy)演じる英国軍パイロットが空中で応戦することを除けば、地上や海上の兵士たちはまったく勇ましくありません。ただただ怯え続け、自分だけでも生き延びたいと願う、ある意味、人間らしい若者たちです。
冒頭は、兵士の一団が銃撃されて逃げ惑うシーン。斃される仲間を尻目にトミーという兵士がダンケルクの海岸にたどり着きます。そこではドイツ軍に追い詰められた40万人あまりの英国軍兵士が救出の船を待っているのですが、遠浅の砂浜なので大型船を着けることができません。そこでトラックなどを使って仮設の桟橋をかけ、傷病兵から順番に軍艦に運んでいるのです。
もちろんドイツ軍も傍観しているわけではありません。空からメッサーシュミットで空爆し、桟橋を渡っていた兵士たちは敢えなく吹き飛ばされます。震える兵士たちに威厳も何もありません。それがこの状況における兵士たちのリアルなのでしょう。
本作は3つの視点から描かれているのですが、もう一つが上で触れた空軍パイロットの視点。撤退する地上軍を守るため、敵の攻撃を封じ込める役割を担うスピットファイアの兵士たちです。ロールスロイスのエンジンを積んだ優れた戦闘機とのことですが、問題は燃料で、英国本土から1時間かけてダンケルクまで飛び、交戦に時間をかけてしまうと、帰還用の燃料がなくなるという制約を抱えています。それでも、この映画の中では唯一、軍隊らしい姿を見せる一団です。
そして、もう一つの視点が、救出に向かう民間船からのもの。遠浅なので大型船は着けられませんが、遊覧船や漁船やプレジャーボートといった小型船なら、浜辺に近づくことができます。そこで英国政府は700隻の民間船に協力を依頼するわけです。そのうちの1隻、「ブリッジ・オブ・スパイ」のマーク・ライランス(Mark Rylance)演じるドーソン船長とその息子が操舵する船の様子が描かれます。
彼らが最初に救出するのがキリアン・マーフィー(Cillian Murphy)演じる一人の兵士なのですが、これが恐怖に取り憑かれて正気を失っています。おそらく乗っていた救助船が攻撃されて漂流していたわけで、怯えるのも当然なのですが、ドーソン船長がこれからダンケルクに向かうと言うと発狂したような状態になって重大なトラブルを起こします。
それ以外にも、トミーたちが救助船に潜り込もうとしたり、ワン・ダイレクションのハリー・スタイルズ(Harry Styles)演じる高地連隊の兵士が、味方であるフランス兵を脅したり、規律も倫理観も失われた有り様が次々と映し出されます。
唯一、軍人らしく振る舞っていたのはケネス・ブラナー(Kenneth Branagh)演じる海軍中佐のみ。とはいえ、この2週間後にはフランスが崩壊しますので、もし映画通りの行動をしていれば捕虜になってしまうでしょう。
このように臆病な兵士たちと勇敢な民間人たちが対比的に描かれていくのですが、この映画が特異な点は、あれだけの空爆を受けているのに、死体がほとんど出てこないところ。吹き飛ばされたり倒れている人は映るのですが、グロテスクな映像はありません。見方を変えれば、攻撃される恐怖だけを観客と共有している感じです。
また、ドイツ兵の姿も見えません。何度もメッサーシュミットから空襲されますし、魚雷を受ける場面もありますので、近くに敵兵がいることは明らかですが、敢えてそれを見せないように作っているようです。ちなみに、この撮影で使われたメッサーシュミットは、スペインのフランコ政権が作っていた類似機のビンテージを改造して使っているそう。スピットファイアもビンテージの実機を借りてきて、そこにIMAXカメラを積み込んで撮っているそうで、エンジン音などは当時と同じだそうです。
このような事情で、実戦では何百機もの戦闘機が空中戦を繰り広げたわけですが、スクリーンに映し出される機体は数機だけです。また、史実では33万8000人あまりの兵士が救出されたことになっていますが、ロケ現場の浜辺にいたエキストラは数千人で、背後にいる人影はすべて書き割りだそうです。どんな手段を使ってでも絶対にCGは使わないというノーラン監督の執念ですね。
[仕入れ担当]