映画「あのこと(L'evenement)」

L'evenement 先ごろノーベル文学賞に選ばれたアニー・エルノー(Annie Ernaux)の小説が原作です。この夏には「シンプルな情熱」が日本公開されましたし、受賞が決まっていたはずもないのに、立て続けに彼女の作品が映画化されていますね。

オートフィクションの作家ですから、イジワルな言い方をすれば露悪趣味が持ち味のわけですが、この映画は原作以上に表現が鮮烈で、ある意味、ホラー映画のような怖さがあります。覚悟して観に行った方が良いでしょう。

物語の始まりは1963年10月のルーアン(Rouen)。主人公である大学生アンヌは生理が1週間以上遅れていることを気にしています。それでも実家に帰ったり平常通りの生活を続けますが、11月8日にクリニックに行って妊娠が判明。1975年にヴェイユ法が成立する前のフランスですから、妊娠していたら出産するしかありません。

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アンヌの両親はイヴト(Yvetot)で食堂兼雑貨店を自営している小商店主です。一族で初めて高等教育を受けたという庶民の娘にとって、学位を諦めるという選択肢はなく、必然的に産むという選択肢も消えます。とはいえ中絶は違法ですので医師の協力は得られませんし、闇の堕胎で命を落とした人のウワサは幾度となく聞いてます。

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そんな状況に陥り、追い詰められていくアンヌを描いていく本作ですが、映画の作り手は原作小説「事件」にあった傍系の話を切り捨て、ひたすら中絶問題にフォーカスしていきます。

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小説は自らがエイズの疑いで検査を受けた1999年2月を起点に書かれたもので、結果が陰性でホッとすると同時に、1963年から1964年にかけて同じように恐怖にかられて過ごした時期があったことを思い出し、それを反芻していくという形をとっています。

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ですから悩み苦しんでいた期間だけでなく、その前段となるエピソードや後日譚にも触れますし、小説の終盤では処置を受けたパリ17区の街路(Passage Cardinet)を再訪して、当時、無事を祈った教会や時間をつぶしたカフェを確認しています。結果的に多くの要素が混じり合い、緩急つけた語りになっているのですが、映画では週を追う毎に切迫していくアンヌの視点からブレることはありません。

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その上、実家から持ち出した編み棒の場面や最後のハサミの場面など、映像で見ると小説の数倍のパワーで迫ってきますので、思わず全身に力が入り、肩が凝ってしまいました。

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もちろん観客を怖がらせるだけではなく、冒頭の大学の授業の場面でルイ・アラゴンを取り上げ、主人公の優秀さを示すと同時に本作のテーマが一種のレジスタンスであることを匂わせるといった巧みな仕掛けもあります。だからこそオドレイ・ディワン(Audrey Diwan)監督は、2作目でヴェネチア映画祭の金獅子賞という快挙を成し遂げられたのでしょう。

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主人公アンヌを演じたのは「ヴィオレッタ」のアナマリア・バルトロメイ(Anamaria Vartolomei)。ルーマニア出身で両親とフランスへ移住したという彼女、ソルボンヌ大学の入学許可を得られるほど学業優秀だったにもかかわらず、あえて演技の道を選んだという1999年生まれの若手です。

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友人のブリジットとエレーヌを演じたのは子役出身のルイーズ・オリー=ディケロ(Louise Orry-Diquéro)と「燃ゆる女の肖像」のメイド役が記憶に新しいルアナ・バイラミ(Luàna Bajrami)。その他、闇の処置を行うマダム・リヴィエール役で「シャネル&ストラヴィンスキー」「サルトルとボーヴォワール」のアナ・ムグラリス(Anna Mouglalis)、母親役で懐かしのサンドリーヌ・ボネール(Sandrine Bonnaire)が出ています。

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公式サイト
あのことHappening

[仕入れ担当]