ジャン=マルク・ヴァレ(Jean-Marc Vallée)監督の作品はこれまで「カフェ・ド・フロール」「ダラス・バイヤーズクラブ」「わたしに会うまでの1600キロ」の3本をこのブログでご紹介していますが、どれも傾向が異なり、そういう意味でとらえどころのない監督という印象があります。敢えていえば共通項は音楽に凝りまくっていることと、スピリチュアル系の要素が含まれていることでしょうか。精神世界への意識が高い監督だったのかも知れません。
この「C.R.A.Z.Y.」は2005年に製作され、いままで日本未公開の作品でした。順番でいえば「カフェ・ド・フロール」の前作である「ヴィクトリア女王 世紀の愛」のひとつ前。つまり本作をきっかけに大作を手がけるようになったわけですね。これも上記のどの作品とも毛色が異なるドラマで、ケベックで暮らす両親と男の子5人から成るボーリュー家の物語です。

中心となるのは4男のザック(ザカリー)。1960年のクリスマスに生まれた“特別な子”です。なぜ“特別な子”なのかといえば、近所の占い師、というより実体としてはホームパーティー商法でタッパーウェアを売っている老婆がオカルト的なノリで集客しているだけなのですが、彼女がザックの母親にそう伝えたから。その話を信じた母親が、知り合いが怪我をしたときに念力を送るようなことをさせてたまたま効果があったようで、それ以来、イエス様と同じ誕生日の“特別な子”という立場が定着したようです。

ザックの父親は、老婆の話を単なる販促手段だと切り捨てますし、ザックの念力も信じていないようですが、それでも夫婦ともども保守的であることに違いはありません。たとえばザックが母親の服を着て遊んでいるのをみて父親は激怒します。オカマのような真似をするな、というわけです。

そんな父親の楽しみは音楽。ことあるごとにシャルル・アズナヴールの「世界の果てに(Emmenez-moi)」を歌い上げますし、国内盤とは音が違うからと買ったパッツィー・クラインの輸入盤を愛聴しています。

夫婦の子どもたちはすべて男の子で、文字を読むのが好きなクリスチャン、反抗的なレイモンド、スポーツ好きのアントワーヌ、そしてザック、その後しばらくして末っ子のイヴァンが生まれます。

あるとき、父親が大切にしていたパッツィー・クラインの「CRAZY」をザックが落として割ってしまいます。それを黙っていたザックが嘘つきと罵られるのですが、実はこのレコード、終盤まで絡んできます。ちょっとネタバレになりますが、本作のタイトルはこのレコードと5人兄弟、Christian、Raymond、Antoine、Zachary、Yvanの頭文字に関連していて、ともに大切な要素です。

既にお気づきかも知れませんが、ザックはゲイです。しかし保守的な両親と男子だけの兄弟に囲まれて育ち、自分がゲイであることに気付きつつも、なかなかそれを受け入ることができません。仲の良い従姉妹ブリジットのボーイフレンドであるポールに惹かれながら、ミシェルという女の子と付き合ってみたりします。

ザックが父親お気に入りの息子だったことも重要です。小さいころから父親と一緒に行動することが多く、兄たちに比べて特別扱いされているといっても良いぐらいでしたが、保守的な父親は彼のゲイ的な行動を見つける度に咎め、父親に受け入れられたいザックは本心を押し殺すことになります。

また兄たちともたびたび衝突することになります。ザックがデヴィッド・ボウイの「Space Oddity」のレコードをかけ、ポールとの思い出に耽りながら歌っていると、部屋に入ってきたアントワーヌにいきなり突き飛ばされて怒鳴られます。家の外には彼をオカマ呼ばわりする連中が集まってはやし立てています。

「Space Oddity」が発表されたのは1969年の夏ですが、1973年発表の「Aladdin Sane」のアルバムジャケットを真似たメイクをしていることから、きっと10代半ばでしょう。ポールを夢想しながら曲の世界に身を委ね、次第に解放されていく一連のシーンはこの映画の見どころの一つだと思います。背景も凝っていて丸鏡がかけられている壁紙はピンクフロイドのDark Side of the Moonで、収録曲のThe Great Gig in the Skyが挿入歌に使われいます。
5人兄弟のうち最もマッチョで口の悪いレイモンドとはたびたび衝突し、彼との関係が父親との関係に並ぶ重要な軸になります。文学青年のクリスチャンやスポーツマンのアントワーヌに対し、レイモンドは不良としてアイデンティティを確立していくのですが、結局はドラッグ絡みで家から出て行くことになります。彼が何故ドラッグにはまったのか、何から解放されたかったのかという問いが物語の隠し味になっているような気がします。
また父親が好んで歌う「世界の果てに」も隠し味でしょう。この映画ではほとんどの挿入歌の歌詞が字幕に出ますので、選曲理由が見えやすくなっていますが、この「世界の果てに」というのは、北国の灰色の空の下で暮らす人が、青空の下で裸同然で暮す南国を夢見る歌。つまり父親の愛唱歌は、ここから抜け出したいという欲望を歌ったものなのです。

終盤、ザックは自分探しのためエルサレムへ旅します。これが父親との和解のきっかけになるのですが、この異国の風景が“地の果てまで私を連れてって”という歌詞とぴったり呼応します。ちなみにロケ地はイスラエルでなく、モロッコのエッサウィラだそう。ここで三度目の臨死体験をするあたりは監督お得意のスピリチュアル系の要素でしょう。

ケベックでゲイとして育ったフランソワ・ブーレイ(François Boulay)の経験をベースに、監督と共同で脚本を執筆したそうです。青年時代のザックを演じたマルク=アンドレ・グロンダン(Marc-André Grondin)、レイモンドを演じたピエール=リュック・ブリラント(Pierre-Luc Brillant)、そして父親を演じたミシェル・コテ(Michel Côté)の好演が光る一作です。
公式サイト
C.R.A.Z.Y.(C.R.A.Z.Y.)
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