ちょっと地味な作品ですが、今年のアカデミー賞で編集賞(対抗は「ファーザー」や「ノマドランド」など)と音響賞(対抗は「Mank」など)を受賞した他、作品賞、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞にもノミネートされていた映画です。
監督を務めたダリウス・マーダー(Darius Marder)はこれまでドキュメンタリー作品に携わってきた人だそうで、本作が劇映画デビュー作。彼が脚本家として参加した「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」の監督デレク・シアンフランス(Derek Cianfrance)が10年ほど前から企画していた「Metalhead」というドキュフィクションが原案だそうです。

そのシアンフランスの作品は、ジュシファー(Jucifer)というツーピースバンドが題材で、この夫婦バンドがノマド生活を送りながら演奏活動をしている様子を描いたドキュメンタリーフィルムに、夫の耳が聞こえなくなっていくというフィクションを加えたものだそう。マーダー監督はそこからドキュメンタリーの要素を取り除き、純粋なフィクションとしてこの映画を創り上げています。

映画の始まりはヘヴィメタル系バンドBlackgammonのライブ風景で、彼らの演奏が大音量で響きわたります。バンド構成はジュシファーと同じく、男性のルーベンがドラムス、女性のルーがヴォーカルとギターの担当です。

この二人はマイクロバスのキャンピングカーで移動生活をしているのですが、車内にはベッドやキッチンの他に音響機器が備え付けられて、かなり充実した生活のようです。つまり、仕方なく車上生活しているのではなく、敢えてこういうライフスタイルを選んだという印象。暮らしぶりだけでなく、二人の関係も良好なようですが、ルーにはときおり腕をかきむしるクセがあり、ルーベンはそれを非常に気にしているようです。

そんなある日、ルーベンの耳が急に聞こえにくくなります。診察した医者から、彼の聴覚障害には人工内耳(cochlear implant)が有効だが保険もきかず高価であること、大音量を浴びると症状が悪化することを知らされますが、演奏活動をやめようというルーの提案をルーベンは拒絶します。演奏を続けて手術費を稼ぎたいというのです。

ルーベンには薬物中毒の過去があり、ルーと出会った4年前に抜け出したようです。聴覚障害になったことで自暴自棄になり、再び薬物に依存してしまうことを心配したルーは、マネージャーのヘクターと連絡を取ってリハビリシェルターを紹介して貰います。

これは、ベトナム戦争で聴覚を失ったという男性が運営する施設で、聴覚障害者が共同生活し、互いに支え合うことで薬物やアルコールへの逃避を防ごうというもの。当然、ルーベンは否定的ですが、ルーの強い説得を受けて施設運営者であるジョーに従うことにします。

ジョーの信念は聴覚障害はハンディキャップではないというもので、ルーベンに静寂に馴れるように促します。文字を書いたり、静かに座ったりする習慣を身につけることで、耳が聞こえないことを受け入れられるというのです。

ルーベンはダイアン先生のクラスに入り、障害のある子どもたちと一緒に手話を習い、聴覚障害者の生活に親しんでいきます。地域の人々と交流し、クラスの子どもたちにドラムを教えることで、新しいコミュニティに自らの居場所を得ていきます。

その頃、ルーは故郷のフランスに戻り、単独で音楽活動を始めていました。ジョーのオフィスのパソコンを使ってそれを知ったルーベンは焦ります。聴覚障害者のコミュニティに埋もれていく自分と、音楽で成功していくルー。彼女がどんどん遠い存在になっていきます。

音響機器とキャンピングカーを売って得た金で人工内耳の手術を受けます。障害がなくなれば、この施設から出て行かなくてはなりません。4週後の人工内耳の調整まで施設に滞在しようとしますが、早々に追い出され、また人工内耳の調整が済んでも聴覚が元通りになるわけでなく、歪んだ音にガッカリします。

そういう追い詰められた状態で彼はルーに会いに行くのですが、ルーの父親との会話、ルーとの接触を通じて、再び静粛の世界に戻っていくことになります。曖昧なまま終わらせるエンディングと、そこに向かうまでの展開が心地よい余韻を残す秀作です。

ルーベンを演じたリズ・アーメッド(Riz Ahmed)は「ゴールデン・リバー」で逃亡した学者を演じていたパキスタン系英国人。オックスフォード大学を卒業しているそうで、俳優兼ラッパーへの道のりでは、さぞ親族から横やりが入ったことでしょう。本作でアカデミー主演男優賞にノミネートされて一安心というところでしょうが、なんとイスラム教徒としては初めてのノミネートになるそう。驚きますね。

バンドの相方ルーを演じたのはオリビア・クック(Olivia Cooke)、彼女の父親リチャード役でマチュー・アマルリック(Mathieu Amalric)も出ています。

ジョー役のポール・レイシー(Paul Raci)はCODA (Child of Deaf Adults。聴覚障害を持つ親の子ども)の俳優、ダイアン先生役のローレン・リドロフ(Lauren Ridloff)は「ワンダーストラック」でメイドを演じてた聴覚障害を持つ女優ということで二人ともASL(American Sign Language。アメリカ手話)が使えるそうです。その他、コミュニティのメンバーとして聴覚障害者が多数出演しているそうです。

アカデミー音響賞を獲っていることからわかるように、音がこの映画の重要なポイントです。演奏シーンの大音響から、耳が聞こえなくなっていく過程でのくぐもった音、人工内耳による歪んだ音、静寂時の無音まで効果的に使い分けます。そういう意味で劇場を選ぶ映画かも知れません。できるだけ良好な音響空間で楽しみたい作品です。
公式サイト
サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ(Sound of Metal)
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