夏の暑い盛りにぴったりの映画です。舞台はマンハッタン北端の街区、ワシントンハイツ。この地の多数派住民であるドミニカ出身者を中心に、プエルトリコやキューバからの移民社会を描いた、ラテン感覚あふれる音楽と色彩が楽しいミュージカルです。
元になったのは2008年のトニー賞13部門にノミネートされ、ミュージカル作品賞など4部門に輝いた舞台劇。オフブロードウェイ上演時は主役を務めていたという原作者のリン=マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)が、映画版ではプエルトリコのかき氷、ピラグア売り(Piragüero)の役で出ています。
ワシントンハイツの街と住民にフォーカスした群像劇で、登場人物それぞれのエピソードが紡がれていくのですが、個々のストーリーは単純で容易に先が読めます。つまり物語ではなく映画の世界を楽しむ作品。できるだけ音響と映像の設備が充実した劇場を選んだ方が良いと思います。
主役的な登場人物はこの街で親から継いだボデガ(Bodega)を経営しているウスナビ。ボデガというのは食料品主体のよろず屋のことで、店でアルバイトしている従兄弟のソニーと一緒に、日々この街の人々と触れ合いながら暮らしています。顔が広く、街の人気者ですが、将来は故郷のドミニカ共和国に帰り、移民前に父親が経営していた店を再建したいと思っています。

バネッサは美容院で働くネイリストで、この街を出てダウンタウンで暮らし、ファッションデザイナーになることを夢見ています。たいへんな美人で、ウスナビの憧れの女性です。2人のラブストーリーがこの映画の一つの軸になります。

ニーナは街いちばんの秀才で、地元のコロンビア大学ではなく、敢えて西海岸のスタンフォード大学に進学した女性です。彼女が訳あってこの街に帰ってきたことで繰り広げられる物語がもう一つの大きな軸になります。
要するに、街から出て行くことを目指している人たちと、街から抜け出すことができたのに帰ってこようとしている人の話が交差するわけです。移民であるが故の将来への不安と、移民への厳しい風当たりがポイントになります。

ニーナの父親ケヴィンは小さなタクシー会社のオーナーですが、経営は芳しくなく、ニーナの学費を工面するために社屋の一部をクリニング店に売却しました。ベニーはその会社で働く黒人男性で、ニーナと恋仲になりかけたものの、彼女の将来を考えて身を引いた過去があります。この2人がニーナの物語の準主役です。

そして本作の最重要人物であるアブエラ・クローディア。アブエラというのはスペイン語で祖母のことですから、クローディアばあちゃんといったところでしょうか。街のみんなは名前で呼ばず、単にアブエラと呼んでいます。彼女が触媒のような働きをして、ウスナビを変え、ニーナの傷ついた心を癒やしていきます。

バネッサが働く美容院の経営者であるダニエラと彼女の右腕であるカーラも大切な脇役です。噂話が大好きで、この美容室が街のニュースセンターになっていますが、家賃の高騰で2駅先へ移転しなくてはなりません。その他、ソニーの友達であるグラフィティアーティストのピート、ウスナビがドミニカの不動産取得手続きを依頼している弁護士のアレハンドロといった人たちが絡んで物語が進みます。
そんな彼らの関心事はもちろんお金。貧困から抜け出そうとカリブ海から渡ってきたわけですが、米国で十分な収入を得るのは大変です。アブエラは子どもの頃、母親に連れられてキューバから渡ってきましたが、母娘とも家政婦の仕事しかなくて、お金を貯めて祖国に帰るという夢は果たせませんでした。ソニーも父が不法移民なので銀行口座さえ作れませんし、とても賢いソニーですが大学に進めないので道は限られます。

ということでワシントンハイツの住人たちの楽しみは、ウスナビのボデガで毎朝コーヒーと一緒に買う宝くじ。
ある日、彼の店が売った宝くじの中に96,000ドルの当たりが含まれていたことがわかり、ちょっとした騒ぎになりますが、なかなか当選者が現れません。これが終盤に物語を動かす原動力になります。

もう一つの原動力は停電。N.Y.では夏の大停電がこれまで何度も起こっているそうですが、この映画でも暑い盛りに停電になり、それをきっかけに彼らのコミュニティに大きな変化が起こります。
電力(electric power)が失われることを彼らの非力さ(powerless)と絡め、停電による暑さと彼らの生まれ故郷の暑さを結びつけながら、ダニエラがCarnaval del Barrio(≒地域のカーニバル)の楽曲で先導して、すべての人々(映画の観客も)を元気づけるのです。
この物語のテーマの一つは、古くから移民が住む街が舞台になっていることからわかるように、人情溢れる下町が大資本による無機質な街に変わっていく、いわゆるジェントリフィケーションの問題です。
ダニエラの美容室移転だけでなく、人力で屋台を引いているピラグア売りは、トラックでやってくるフランチャイズのMister Softeeに経営を脅かされていますし、ケヴィンが売ったタクシー会社の一角は、高級クリニング店になり、高すぎて庶民には手が出せません。そういった状況に活路を見つけられない住民たちの諦めが重なり、どんどん地域社会が疲弊していきます。

そしてもう一つのテーマは人種間の格差の問題。今風にいえばBIPOC(Black, Indigenous, and People of Color)、白人以外が不利になる社会への問題提起です。ニーナとソニーがDACA延長を求めるデモに参加していましたが、従来からある黒人vs白人の図式に収まらない、差別や排除の現状を巧みに織り込んでいます。
といっても、これらは時代の要請であって、特に政治色の強い映画ではありません。監督を務めた「クレイジー・リッチ!」のジョン・M・チュウ(Jon M. Chu)が、持ち前の明るさを前面に出した演出で気持ちよく楽しませてくれます。
舞台俳優が主で映画俳優はあまり出ていませんが、ベニー役のコーリー・ホーキンズ(Corey Hawkins)は「ストレイト・アウタ・コンプトン」でドクター・ドレーを演じていた人。そういえばソニーはBeatsの白いヘッドホンをしてましたね。また、ソニーの父親ガポを演じているのはサルサ界のスーパースター、マーク・アンソニー(Marc Anthony)です。端役とはいえ、大物だからこそできる役ともいえるでしょう。

英語ベースの映画ですが、登場人物たちの日常会話に多くのスペイン語が混じります。少し言葉がわかると、さらに楽しめると思います。
公式サイト
イン・ザ・ハイツ(In the Heights)
[仕入れ担当]