今年のアカデミー賞でアンソニー・ホプキンス(Anthony Hopkins)が番狂わせの主演男優賞を受賞して話題になりました。本作は同時に脚色賞も受賞しているのですが、その一人がこの映画の監督であり、ベースとなった舞台劇の原作者でもあるフロリアン・ゼレール(Florian Zeller)です。
アンソニー・ホプキンス演じる主人公のアンソニーはロンドンの高級フラットで独り暮らししている老人。認知症の進行に伴って介護士と衝突するようになり、何度も担当者を変えています。
映画の幕開けは、介護士が腕時計を盗んだと疑ってクビにしたアンソニーの元に長女のアンが訪ねてくる場面。アンソニーはアンがいれば介護人は不要だと思っているようですが、彼女から“近々ロンドンを離れて交際中の男性とパリで暮らす”と告げられ、介護士とうまくやって欲しいと頼まれます。アンソニーには、アンがジェームズと離婚した記憶はあるものの、他の男性と付き合っていることもパリに移り住む話も初耳です。

場面が変わり、アンソニーが寝室から出てくるとリビングに見知らぬ男がいて、声をかけてみると、自分はアンの夫のポールだと言います。そしてここはアンとポールのフラットだと言い張ります。状況が理解できず困惑していると、アンは買物に出かけたのでもうすぐ戻るといいますが、鶏肉を買って帰ってきた女性は自分が知るアンとはまったく別の見知らぬ女性で、さらに困惑してしまいます。

ここまで読んでお判りのように、本作はアンソニーの視点から描かれている物語で、認知症の老人が自分の周りの物事をうまく把握できない状態を映像で再現します。ですから観客は、そこが誰のフラットなのか、アンは独身なのか夫がいるのか、彼女の夫はジェームズなのかポールなのか、混乱を深めていくアンソニーの世界を追体験するわけで、何が真実か曖昧なまま進む、ある種の不条理劇になっています。

アンソニーにしてみれば、自分の記憶力に問題はなく、これまでのように自立して暮らしてしていけると思っています。実際、非常に鋭い発言をすることもあれば、意図的にイジワルしているとしか思えない行動をとることもあり、どの程度の認知機能の衰えなのか一般人には判然としません。しかしアンからみれば、自分が世話をすることでかろうじて暮らしていけるのであって、そのうちこういった生活にも限界がくるだろうと常に不安を感じています。

次にアンが手配した介護人はローラ。とても愛らしい女性で、アンソニーは次女のルーシーに似ているといって気に入ります。ルーシーとは長いこと会っていないが、彼女は画家で世界中を旅していると話し、自分は元タップダンサーだったと言ってローラの前で踊ってみせます。ご機嫌なアンソニーを見て、今度は長続きするかも知れないと安堵するアン。

その後、アンから事情を聞いたのでしょう。アンソニーが語るルーシーの思い出に対してローラは、事故のことをお気の毒に思いますと答え、それに対してアンソニーは、何の事故のことだと聞き返します。どうやらルーシーはかなり前に事故で亡くなっているようなのですが、アンソニーの記憶にはルーシーとの楽しい思い出だけが残り、事故死の部分はきれいに抜け落ちているのです。

記憶障害は着実に進行していきますが、プライドは高いままで、周りから指図されると感情を爆発させます。実際はタップダンサーではなくエンジニアだったようですが、ローラに愛想を振りまいた手前、それに対する指摘は拒絶します。そういったしっかりしている部分と、壊れかけている部分が混在するのが認知症のリアルなのでしょう。
とはいえ、もしかすると若い頃にダンサーになろうとしたことがあって、その記憶が現実を上書きしているのかも知れないと思わせる部分もあります。映画の冒頭ではヘッドホンでアンドレアス・ショル(Andreas Scholl)のコールドソング(What Power art thou?)を聴いていましたし、中盤でもマリア・カラス(Maria Callas)の清き女神(Casta Diva)を聴くなど音楽や舞台に対する思い入れが深く、彼がダンサーを目指したことがあったとしても不思議ではありません。

舞台劇をリメイクして映画にしたためか、映画もステージ上のようにほぼ同じ場所で展開します。登場人物もとても少なく、娘のアンと介護士のローラの他には、夫のポールと見知らぬ男と女、認知症の専門医、窓から見えるメイダ・ヴェールの街角で遊ぶ少年ぐらいしか出てきません。

そのアンを演じたのは「女王陛下のお気に入り」のオリビア・コールマン(Olivia Colman)。うまい役者さんですね。彼女から滲み出る悲哀が、アンソニー・ホプキンスのユーモラスの振る舞いを引き立て、この映画を完成度をあげていると言っても過言ではないでしょう。ちなみに下の写真で彼女の後ろにある彫像はイゴール・ミトライ(Igor Mitoraj)のLuci di Nara(月の光)で、頭部の欠落がアンソニーの隠喩になっているようです。

そしてローラを演じたのは「マイ・ファニー・レディ」のイモージェン・プーツ(Imogen Poots)、ポールを演じたのは「ジュディ 虹の彼方に」で3番目の夫シドニー役だったルーファス・シーウェル(Rufus Sewell)で、二人が示す困惑や憤怒の表情が、認知症の老人を取り巻く環境の難しさを見せてくれます。

見知らぬ女やエンディングで登場するキャサリンを演じたオリビア・ウィリアムズ(Olivia Williams)は、オリビア・コールマンがエリザベス王妃を演じた「私が愛した大統領」でエレノア・ルーズベルトを演じていた人。また街角の少年役のロマン・ゼレール(Roman Zeller)は、ゼレール監督とマリーヌ・デルテルム(Marine Delterme)の間に生まれた息子さんだそうです。
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