映画「ハウス・オブ・グッチ(House of Gucci)」

House of Gucci 話題作ですね。創業者の孫であるマウリツィオ・グッチが射殺され、伝統あるファッションブランドの闇が露呈した事件を「ゲティ家の身代金」「最後の決闘裁判」のリドリー・スコット(Ridley Scott)監督が気軽なドラマに仕上げました。そういえば「ゲティ家の身代金」も実際に起こった創業者の孫の誘拐事件を、イタリアの風景とリッチなライフスタイルを背景にスリリングに描いていく作品でしたね。

1921年にフィレンツェで創業したグッチは、初代グッチオ・グッチが立ち上げた皮革製品の会社を、戦後、次男のアルド・グッチがグローバル展開させて世界的なブランドに成長させましたが、3代目の時代にファンドに売却されて家族経営が途絶えてます。その引き金となったされるマウリツィオ・グッチをアダム・ドライバー(Adam Driver)、妻パトリツィア・レッジャーニをレディー・ガガ(Lady Gaga)が演じ、名門ブランド一家の没落を描いていく本作。何よりもレディー・ガガの演技が光る一本です。

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初代グッチオには妻アイーダとの間に、長女グリマルタ、長男エンゾ、次男アルド、三男ヴァスコ、四男ロドルフォの5人の子どもがいましたが、長男が夭逝し、三男に子どもができなかったことから、アルドとロドルフォが三男から株式を買い取り、それぞれ50%ずつグッチの株式を持ち合っていました。

アルドは、王女イレーネ・ディ・グレチアの侍女で英国人のオルウェン・プライスと交際し、上客の付き人に手を出したことで一悶着あったようですが、無事に結婚して長男ジョルジョ、次男パオロ、三男ロベルトの3人の子どもをもうけます。しかしジョルジョは勝手に独立してブティックを開店し、パオロは野心家で父親と衝突し、ロベルトは趣味人で野心なしといった具合にいずれも少々問題ありです。

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ロドルフォは10代の頃からマウリツィオ・ダンコーラという芸名で俳優をしていて、映画「Together in the Dark」で共演した女優アレッサンドラ(Alessandra Winkelhauser Ratti、芸名はSandra Ravel)と交際し始めます。彼女の父親はドイツ系の労働者ですが、母親はスイス・ルガーノ湖畔のラッティ家の出身。二人は1944年にヴェネチアで豪勢な結婚式を行い、その模様を映画にまでしたそうです。

映画俳優を諦めてグッチに入社したロドルフォは、持ち前のセンスの良さを活かして地位を固めます。映画の中で、ロドルフォの家に相談に訪れたパオロが自分のデザインを否定され、部屋にあったスカーフにやつ当たりする場面が出てきますが、あれはロドルフォがグレイス・ケリーのためにデザインして大ヒット商品となったフローラスカーフです。

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1948年にロドルフォの長男が生まれ、昔の芸名をとってマウリツィオと名付けますが、1954年、アレッサンドラが44歳の若さで亡くなり、父1人子1人の父子家庭となってしまいます。ロドルフォは息子を溺愛しつつ厳格に育て、その結果、マウリツィオは父親に従順で真面目な青年に育ち、グッチ家で初めて大学に進むことになります。

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マウリツィオがサクロ・クオーレ・カトリック大学(UCSC)法学部の学生だったとき、友人ヴィットリア・オルランドの社交界デビューパーティがジャルディーニ通りの邸宅で行われ、そこで出会ったパトリツィア・レッジャーニに一目惚れします。このあたりは映画とは少し異なるのですが、かつてないほど猛烈にアプローチしたようで、交際に反対するロドルフォに生まれた初めてたてついた末、勘当のような形で家から追い出されることになります。

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前置きが長くなりましたが、以上が主だった登場人物のバックグラウンドで、この映画ではパトリツィアとマウリツィオの夫婦関係を軸に、父親ロドルフォと叔父のアルド、従兄弟のパオロを絡めた家族の物語にフォーカスされます。

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映画の始まりは事件が起こった1995年3月27日の朝のミラノ。そこから1960年代に戻り、事件後の裁判まで時系列に追っていくスタイルは原作であるサラ・ゲイ・フォーデンが書いた同名ノンフィクションを踏襲しているようですが、カフェでコーヒーを飲んで自転車で出勤する部分は映画用の創作です。

原作によるとマウリツィオはこの日、住んでいたヴェネツィア大通り(Corso Venezia, 38)の邸宅から事務所があったパレストロ通りの建物まで約140メートルの距離をいつも通り歩いて行ったそうです。大通りを渡ってすぐ(map)ですので、どこか回り道でもしない限り自転車には乗らないでしょうから、カフェに立ち寄ったという設定にしたのでしょう。

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そして時代は戻ってマウリツィオとパトリツィアが出会い、交際に進んでいく場面。エリザベス・テイラーに似てると言っておだてるマウリツィオと、私の方がずっと魅力的だと応じるパトリツィアのやりとりは原作通りですが、マウリツィオが一気に熱を上げ、パトリツィアがうまく仕掛けていく様子はもう少し複雑です。

パトリツィアが初めてグッチ家に招かれるシーンはこの映画で記憶に残る場面のひとつでしょう。彼女はホールに飾られたアデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Iを見て“ピカソ?”と訊くのですが、このクリムト作品は映画「黄金のアデーレ」で描かれていたようにウィーンのオーストリア絵画館にあり、米国に移った後はエスティ−ローダーの財団が所有しています。つまりグッチ家が所有していたはずはありません。ロドルフォがイミテーションを大々的に飾るような人間だったと言いたかったのか、ソープオペラらしく単純なわかりやすさを追求したのか、監督の意図は謎ですが、これも映画用の創作です。なお原作によるとロドルフォはヴェネツィア派の絵画が好みだったようです。

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映画ではパトリツィアのことを金銭欲が強い貧乏で教養のない女性として描いていますが、実際のところ、教養はともかく、かなり裕福だったようです。パトリツィアの父フェルナンドはトラック運転手から始めて運送業で成功した人。映画にあるように、勘当されたマウリツィオを自邸に住まわせてあげますが、自邸があったジャルディーニ通り(Via dei Giardini, 3)は上にも出てきたように有名な高級住宅街です。富裕層に人気の別荘地、サンタ・マルゲリータ・リグレにも別荘を所有していましたし、後にマウリツィオとパトリツィアが結婚した際はドゥリーニ通りあるマンションの最上階を購入してプレゼントするだけの資産家でした。

またパトリツィアを溺愛していたフェルナンドは、彼女の15歳の誕生日に白のミンクのコー卜を買い与え、18歳の誕生日にはランチア・フルヴィア・ザガートというスポーツカーを与えています。マウリツィオが最初に買って貰った車アルファロメオ・ジュリアに比べるとかなり派手好みで、いわゆる成金趣味でしょう。ついでに記すと、マウリツィオを自邸に住まわせる条件として、学業を最後まで終えることと、同じ家で暮らすとはいえパトリツィアと間違いをおかさないことを誓わせたということですから、このあたりも映画のノリとは違いますね。

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この物語では触れられませんが、後の展開を考えると、母シルヴァーナの方が興味深い人物です。彼女はミラノから車で2時間ほどの町モデナで生まれ、父が営むレストランの手伝いをしていたところ、既婚者だったフェルナンド・レッジャーニと出会ってパトリツィアを出産。つまり不倫で生まれた私生児ですが、運良くフェルナンドの妻が病死するとすぐさま後釜に収まってパトリツィアを養女にさせ、お嬢様学校に通わせて上流階級への仲間入りを図ります。これだけでもパトリツィアの上昇志向の源泉がわかりますね。

それはさておき、映画の話に戻ると、マウリツィオを追い出した2年後、ロドルフォは兄アルドの助言を受け入れてマウリツィオの勘当を解きます。この場面でアルドは、日本語混じりの変な挨拶をして映画館の観客を笑わせますが、御殿場にショッピングモールが開業したのは2000年7月ですから、この会話も映画の創作です。おそらくこの時代はまだ小田急御殿場ファミリーランドが絶賛営業中で、後にチェルシージャパンに売り渡すことになるとは微塵も思っていなかったでしょう。

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ちなみにグッチ製品が極東、特に日本人に売れていたというのは本当で、よく知られていることですが、その立役者となったのがサンモトヤマです。茂登山長市郎さんの「江戸っ子長さんの舶来屋一代記」によると、商談に訪れた際、さっと白手袋を着け、先方の商品を大切に扱ったことで信用を勝ち得たということで、私もそれに倣って買い付けのときは常に白手袋をバッグに入れて行きます。

勘当を解かれたマウリツィオは、アルドが仕切っていたニューヨークで働くことになります。実はここからがパトリツィアの本領を発揮する部分で、当座の住まいにと与えられたホテルを全否定し、とりあえずセントレジスのスイートルームに移動。その後ロドルフォと交渉して、オナシスが立てた摩天楼、オリンピック・タワー内の豪華マンションに172平米のメゾネットを買わせたそうです。

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そして真面目なマウリツィオがビジネスにのめり込んでいくわけですが、社内のリソースを整理統合していこうという彼のビジョンに間違いはありませんでした。しかし財務政策に疎く、デザインの隅々まで口を出すマイクロマネジメントが敗因になります。映画ではデ・ソーレを介してインヴェストコープのネミール・キルダールと直接交渉していますが、実際はマッキンゼーから引き抜いてグッチの役員に据えていたクッチャーニがモルガンスタンレーのモランテに相談し、同社のスタジンスキーのアイデアでインヴェストコープのロンドン支社長ディミトルクに繋げて買収が始まりました。後にモランテとディミトルクはグッチに入社することになります。

また、その後の場面でマウリツィオがトム・フォードをスカウトしていますが、彼が自分で口説いて引き込んだのはバーグドルフ・グッドマンを再建して社長を務めていたドーン・メローで、彼女が連れてきたデザイナーがトム・フォードでした。マウリツィオがデ・ソーレに引導を渡された後、ドーン・メローが辞めてデザインの主導権を握ったトム・フォードが男性モデルにGストリングをはかせ、キルダールを唖然とさせながら業界の注目を集めてグッチ復活の号砲となったのは本当の話です。

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こういう小ネタを書いていくとキリがありませんので最後にひとつだけ。これもこの映画の名場面である、パトリツィアがスキー場で、“私は特に倫理的な人間ではないけど公平よ(I don’t consider myself to be a particularly ethical person, but I am fair)”と言いながらエスプレッソカップの縁をスプーンで叩くシーン。

相手はその後パトリツィアと対決することになるパオラ・フランキですが、実はこの時点でマウリツィオはまだ幼なじみのパオラと再会していません。サンモリッツに逃げたマウリツィオが交際していたのは元モデルのシェリー・マクローリン(Sheree McLaughlin)で、あの場面は話をシンプルにするための創作です。なおシェリーについては、最近、原作の著者が本人にインタビューしていますので興味のある方はこちらの記事をご覧ください。

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ということで話は尽きませんが、この誰もが主人公になれそうな個性的な家族の愛憎劇。リドリー・スコット監督は敢えて経営面には触れず(金融犯罪が疑われたせいで2年間も犯人がわかりませんでした)、家族間の憎しみにフォーカスして王朝もののように仕上げたのでしょう。だからこそ原作や現実から離れて自由に話を作っているのだと思います。

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冒頭でも記したように、ほぼレディー・ガガのための映画です。もちろん相手役のアダム・ドライバーもロドルフォ役を演じたジェレミー・アイアンズ(Jeremy Irons)も安定した演技でしたし、強烈な個性でアルド役を演じたアル・パチーノ(Al Pacino)やパオロ役を演じたジャレッド・レト(Jared Leto)も素晴らしかったと思いますが、何よりレディー・ガガのインパクトが凄くて、みな霞んでしまいそうでした。

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その他、最終的にグッチの所有者となったケリングのCEO、フランソワ・アンリ・ピノーの妻でもあるサルマ・ハエック(Salma Hayek)がパトリツィアと仲良しの占い師ピーナ役で出ています。

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公式サイト
ハウス・オブ・グッチHouse of Gucci

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