今年8月に観た映画「イン・ザ・ハイツ」は劇作家リン=マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)が創り上げたブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品でしたが、本作はそのミランダが初めて映画監督に挑んだ作品です。題材は大ヒットミュージカル「レント」などで知られる劇作家ジョナサン・ラーソン(Jonathan Larson)が創作した自伝的ロック・モノローグ。1990年に「Boho Days」のタイトルで初演後、1991年にこの「tick, tick… BOOM!」に改題されたそうです。
映画はステージ上で行われるモノローグと演奏に、俳優たちが演じる物語の映像を重ねていくもの。時間が迫っていることを「チック、チック…ブーン」というタイトルで表している通り、30歳を目前にいまだ自分の仕事を成し遂げていないことに焦りもがくジョナサン・ラーソンを描く作品です。

ジョナサンはミュージカルの作曲をしながら、SOHOのムーンダンスダイナーでウェイターをしている青年。長い時間をつぎ込んだSuperbiaという作品のワークショップが決まったものの重要な曲ができていません。もうすぐ1990年になり、自分も30歳になるというのに、という気持ちを表した曲”30/90″から映画がスタートします。

幼なじみのマイケルは演劇を諦めて広告代理店に入社し、アッパーイーストサイドのバレットパーキング付アパートからBMWで通勤する生活をしています。
ガールフレンドのスーザンはダンサーをしながらバレエを教えていましたが、NYを離れてマサチューセッツ州の舞踊学校ジェイコブズ・ピロー(Jacob’s Pillow)で定職に就こうと考えています。そんな彼女から一緒に暮らそうと提案されたジョナサンは将来への不安に押しつぶされそうになります。

マイケルはジョナサンの発想を高く買っていて、自社のフォーカス・グループ(日本でいうグルーイン:グループ・インタビュー)の回答者に推薦します。バンドを雇うお金が必要なジョナサンはいたしかたなく参加するのですが、当初はひらめきを感じさせる発言をしていたものの、最終的に場を乱してしまうことになります。

マイケルの憤りの理由は顔をつぶされたというだけではありません。ゲイであることから平凡な幸せさえも難しいマイケルは、愛する人と暮らせるという特権を大事にしろと諭しますが、ジョナサンがそれに強く反発し、二人は喧嘩別れしてしまいます。

AIDSの流行で多くの人が亡くなった時代です。ダイナーの同僚であるフレディの緊急入院や、マイケルがHIV陽性であることを告白する場面が出てきます。ちなみに、自分に比べればジョナサンには時間があると言っていたマイケル(実名はMatthew O’Grady)ですが、2021年の現在も生存しているそうで、結果的にはラーソンの方が先に35歳の若さで亡くなってしまうわけです。

新曲作りは、数年前に憧れの劇作家スティーブン・ソンドハイム(Stephen Sondheim)から指摘されたもので、ワークショップを行う劇場のプロデューサーであるアイラ・ワイツマンからも早く曲を書くようにせっつかれるものの一向に進みません。彼のエージェントであるローザとは連絡が付きませんし、スーザンからは別れを告げられます。ジョナサンの居場所はダイナーのみです。

そんな追い込まれた状況の中、ワークショップは成功するのか、将来への道は拓けるのか、マイケルやスーザンとの関係はどうなるのか、といった課題を突きつけられながらMacintosh Plusの前で苦悶するジョナサン。

この時代を乗り越えて「レント」が生み出されるわけですが、ものごとは容易に好転しないという当たり前の現実と、ブロードウェイの厳しさを垣間見せてくれる作品です。
本作ではそのジョナサンをアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)が演じています。「ドリーム ホーム」「沈黙」のブログでも観る度にレベルアップしていると記しましたが、その後「エンジェルス・イン・アメリカ」でトニー賞の主演男優賞を受賞したというだけあって舞台俳優としても一流でした。ひたむきさが滲み出る佇まいに胸を打たれます。彼の歌唱力と雰囲気あっての映画だと思います。

その他の出演者としては、マイケル役で舞台の「イン・ザ・ハイツ」でソニーを演じたというロビン・デ・ヘスス(Robin de Jesus)、スーザン役として歌手でもある「ストレイト・アウタ・コンプトン」のアレクサンドラ・シップ(Alexandra Shipp)、ソンドハイム役で「ペンタゴン・ペーパーズ」のブラッドリー・ウィットフォード(Bradley Whitford)が出ています。監督のリン=マニュエル・ミランダもダイナーの調理人役でカメオ出演しています。

「レント」の初来日公演はオープンして間もない頃の文京シビックセンターで行われたのですが、私はたまたまそれを観に行きました。
そのときのパンフレットによると、ジョナサンは食中毒と診断されて稽古を休んだ後、初日の2日前の衣装合わせリハーサルに姿を現し、その数時間後に世を去ったとのこと。その誤診がなければ「レント」に続いて2000年代、2010年代を描く斬新な作品が生み出されていたことでしょう。下の写真は亡くなった当日、ムーンダンスダイナーで汚れたスニーカーを手にして撮った写真だそうです。

公式サイト
tick, tick… BOOM! : チック、チック…ブーン!
[仕入れ担当]