これが長編3作目というエリザ・ヒットマン(Eliza Hittman)監督が、ベルリン映画祭で審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞した作品です。米国の片田舎で暮らす17歳の少女の望まぬ妊娠の顛末を描いていく物語。シンプルで登場人物も少ない、こじんまりとした映画ですが、強いリアリティで引きこんでいきます。
主人公のオータム・キャラハンはペンシルベニア州ノーサンバーランド郡の高校生です。映画の中盤で出てくるように、ペンシルベニア州といえば鉄鋼で有名ですが、オータムが暮らすシャモーキン(Shamokin)はいまだ石炭産業に依存し、衰退を続ける人口7000人ほどの町。住民の99%が白人という荒廃する米国を象徴するような田舎町です。
オータムの家族は母親と義理の父親と妹2人。妹の年齢が離れているようなので、母親の再婚後に産まれた子どもでしょう。義父は安全ベストを着て仕事に出かけますので、たぶん地元の炭鉱労働者だと思います。

映画の始まりは高校のホールで行われている音楽発表会の場面。生徒たちが自作の衣装でステージに上がり、歌を披露するのですが、エルビス・プレスリーなど50s風の冴えない曲ばかりです。そして主人公のオータムがギターを抱えて登場。やや趣の異なるスローな曲を切々と弾き語りします。

実はこの曲、ジ・エキサイターズのHe’s Got The Powerで、元のポップな曲調をバラード風にアレンジして歌っているのです。そのおかげで、愛のパワーに囚われて彼の思い通りになってしまう私、というラブソングの歌詞が違った意味を持ち始め、それがそのまま映画のテーマに繋がっていきます。つまり、恋愛のみならず、自らの肉体に関しても自己決定権を持てない現実。妊娠に至る経緯も、妊娠した後に起こることも、オータムの意思に反したことばかりなのです。

オータムは、従姉妹で親友のスカイラーとBoyer’s Food Marketでレジ係のアルバイトをしています。具合の悪そうなオータムを心配したスカイラーが、一緒に早退させて欲しいとマネージャーに願い出るのですが、一人で早退すれば良いだろうと返されてしまいます。結局、オータムも最後まで残って仕事を続けるのですが、ここでわかるのは、この二人が互いを守り合っているということ。一人になることが大きなリスクだと知っているのです。
実際、スーパーの客の中には粘着質な男がいますし、マネージャーも日常的にセクハラ行為を働く男です。二人をとりまく世界は危険に満ちあふれています。
男だけではありません。オータムが妊娠の相談に訪れるCPC(Crisis Pregnancy Center)の中年女性は、彼女の妊娠を10週目と誤診したばかりか、反中絶ビデオであるTHE HARD TRUTHを見せて、出産して養子に出すことを勧めます。キリスト教団体の運営なので仕方ありませんが、オータムの将来よりも宗教的正義を優先するのです。

ペンシルベニア州では親の承諾なしに中絶できないと知ったオータムは、スカイラーに付き添って貰ってNYに旅立ちます。何しろ田舎町ですので、ウィルクスバリ(Wilkes-Barre)まで1時間半、そこで乗り換えてNYまで2時間半、運賃65ドルのバス旅です。夜明けに発ったのに、ジェイ・ストリート-メトロテック駅に到着したのは夕方で、中絶反対のデモを横目に病院に入るとその日には中絶できないと告げられた上、妊娠18週目だとわかって中絶は2日がかりとなります。

ホテルに泊まるお金のない二人は地下鉄に乗ったり、ゲームセンターに行ったりして夜をやり過ごします。端から見れば、田舎の少女が大都会に出てきて冒険を楽しんでいるみたいでしょうが、身体の不安と資金の不安を抱えてずっと仏頂面のオータム。行く当てのない彼女たちにNYの雨が冷たく降り注ぎます。

翌朝、プランド・ペアレントフッド(PPFA)のカウンセラーに会って、ようやく中絶への道筋が見えてきます。そこでカウンセラーがオータムのパートナーや妊娠の経緯について質問をするのですが、それに対する回答の仕方として挙げるのが、タイトルになっているNever(まったくない)Rarely(たまに)Sometimes(ときどき)Always(いつも)の四択です。パートナーは避妊しますか?Sometimes(ときどき)、パートナーはあなたの避妊を妨げますか?Never(まったくない)といった感じです。

そして、パートナーは暴力を振るいますか?パートナーは性行為を強要しますか?という質問になった時点で、オータムは答えに詰まり、泣き崩れてしまいます。今の辛い状況は、仕方なく受け入れてきたことの結果なのです。オータムの涙は、ジェンダーバイアスや宗教的正義に押しつぶされ、女性であるが故に我慢を強いられる社会に対するやるせなさが溢れ出たものでしょう。
この映画の素晴らしさは、こういった現実を直視させる作りとともに、言葉にならない曖昧な感覚を伝えるオータム役のシドニー・フラニガン(Sidney Flanigan)とスカイラー役のタリア・ライダー(Talia Ryder)の絶妙なコンビネーションにあると思います。

シドニー・フラニガンはシンガーソングライターで、数年前から知り合いだったヒットマン監督からオーディションに誘われて選ばれた新人だそうですが、ティーンエイジャーらしい脆さと怒りを湛えた表情が胸に迫ります。対するタリア・ライダーは既に舞台で活躍していた人だそうですが、コケテイッシュな美少女ならでは面倒事に対する耐性とズルさをバランス良く表現していました。

たとえばバスの中でナンパしてきたジャスパーのあしらい方。スカイラーは無視するわけでもなく緩く繋がり続け、欲しいものを手に入れるために少しだけ与えます。これまでの経験で得てきた彼女のなりの処世術です。表面的にはオータムの方が落ち着いて見えますが、スカイラーの方がしたたかに生きていると思います。

そのナンパ男ジャスパー役は「たかが世界の終わり」で兄アントワーヌの子ども時代を演じていたセオドア・ペレリン(Théodore Pellerin)。オータムの義父を演じた「ブラック・クランズマン」のKKK男、ライアン・エッゴールド(Ryan Eggold)ともども下衆な男性像をやり過ぎない範囲でリアルに表現していました。

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17歳の瞳に映る世界(Never Rarely Sometimes Always)
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