先月は「アメリカン・ユートピア」「アレサ・フランクリン」と音楽関連の映画を立て続けにご紹介しましたが、どちらも結構な混みようでした。きっと皆さんライブへの渇望感が上がっているのでしょう。本作はシンガーソングライターのビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)に迫るドキュメンタリーで、コンサートシーンの他、家族との日常や自宅での制作風景が映像に収められています。
私自身は、ヒット曲をいくつか聞いたことがあるぐらいで、特にビリー・アイリッシュのファンというわけではありませんので、今の時代を体現しているアーティストのことを少しぐらい知っておいても良いかな、といった気持ちで観に行ったのですが、すっかりはまってしまいました。切々と歌い上げるバラードがいいですね。今もアタマの中に“When the Party’s Over”が流れ続けています。

ファンの方でしたら関心は彼女の知られざる姿ということになると思いますが、その点でも価値ある映画だと思います。デビュー前の幼さが残る時代から、史上最年少の18歳でグラミー賞の主要4部門に輝いた2020年まで、日々の暮らしをたっぷり見せてくれます。実はこれがこの作品の最も重要な部分で、ちょっとネタバレになってしまいますが、家族との繋がりこそ、ビリー・アイリッシュのセーフティブランケットであると同時に創作の原動力なのです。

映画の幕開けは13歳の終わり頃。兄フィニアス(Finneas O’Connell)の部屋で録音した”Ocean Eyes”で注目を浴びるわけですが、彼女とフィニアスがiPhoneに歌詞を入力しながら楽曲を創り上げていく様子を垣間見ることができます。
ビリーがベッドの上、フィニアスがモニタの前のイスに腰掛けて少しずつ調整していくこのスタイルは後々も続いていきます。グラミー賞の授賞式でフィニアスが”We just make music in a bedroom together. We still do that, and they let us do that”と言っていましたが、まさに日常生活の場から生み出された音楽と言えるでしょう。

そして彼女のコンサートシーン。会場を埋め尽くしたティーンの女の子たちが“When the Party’s Over”を口ずさみながら涙を流します。いい歌詞ですね。特にサビの部分”I could lie, say I like it like that, like it like that”は気持ち良過ぎて身もだえしそうです。
グラミー賞を獲得した”bad guy”が有名ですので、エレクトロポップのイメージをお持ちの方も多いと思いますが、彼女の持ち味というか、支持されている理由はスローな曲にありそうです。囁くような歌声で、自分だけに語りかけてくれる感じ。ティーンの女の子が自分の経験と重ねながらヘッドホンでひとり聴き入っているイメージです。

彼女もフィニアスもホームスク−ル育ちだそうで、学校には通っていません。そんな彼女たちを、音楽やダンスだけでなく、しっかりとした意見を持ち、韻を踏んだ歌詞を創作できるまでに教育したのは母親のマギー・ベアード(Maggie Baird)で、俳優出身ながらマテルで地道に働いて家族を養ってきた父親のパトリック(Patrick O’Connell)の誠実な暮らしぶりを含めて、家族の生き方と愛情がビリーの重要な基盤になっています。

特にいつでもビリーの意見に耳を傾け、真摯に話し合うマギーの姿には感銘を受けました。また免許を取ったばかりのビリーが初めて愛車の艶消し黒のダッジ(Dodge Challenger SRT Hellcat)を運転する際、心配そうにくどくどと注意するパトリックとそれを最後まで我慢して聞いているビリーの姿からも家族の信頼感が伝わってきました。

彼女のボーイフレンドだった通称Q(Brandon “Quention” Adams)も登場します。彼とアイススケートするシーンや、気持ちのすれ違いに苛立つビリーの姿、破局を迎えた後の気持ちを語る場面などが描かれますが、それよりも面白いのはビリーがジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)への思いを語っているシーンです。
ラジオ番組ケビン&ビーン・ショー(Kevin & Bean Show)に出演したビリーは、彼らにiPhoneに入っている自分のビデオを見せるのですが、そこでは12歳の彼女が“ジャスティンへの気持ちが強すぎて、もうこれを超える恋愛はできない”と熱く語っています。また別の場面では、ジャスティンが聖ヨセフ病院(St. Joseph’s Hospital)で生まれたのは3月1日の12時56分で病室は2階の126号室だってことまで知っていると言って家族を呆れさせます。

そんなジャスティンと初めてコーチェラ(Coachella Valley Music & Arts Festival)で対面したときの姿はいじらしくて感動的です。そういう”素”の部分を臆せず見せるところが彼女の魅力なのでしょうね。楽屋で会ったケイティ・ペリー(Katy Perry)に“フィアンセを紹介する”と言われて気軽に挨拶した相手がオーランド・ブルームだったことを後で知り、驚愕する場面もとてもキュートです。
そんなビリーの魅力をふんだんに盛り込んだ映画を撮ったのは「ファッションが教えてくれること」のR・J・カトラー(R.J. Cutler)監督。ファーストアルバム収録曲“Ilomilo”の歌詞から取った“The World’s a Little Blurry”というタイトルも内容にぴったりです。今年は彼女がテーマ曲を歌う「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」も公開になりますし、去年延期になった来日公演も来年あたりには実現するかも知れませんね。

[仕入れ担当]