一昨年のアカデミー賞で外国語映画賞に輝いた「別離」のアスガル・ファルハーディー(Asghar Farhadi)監督の最新作です。
その上、主演女優が「アーティスト」のベレニス・ベジョ(Bérénice Bejo)、共演が「預言者」のタハール・ラヒム(Tahar Rahim)ですから、ヨーロッパ映画好きなら見逃すわけにはいきません。
幕開けは、離婚手続きのためパリに戻ってきた夫のアーマドを、マリー=アンヌが空港で出迎えるシーン。
バゲージクレームにいるアーマドがガラス越しに見えているのですが、なかなかこちらに気付きません。ヤキモキしながら観ていると、ようやくこちら側のマリー=アンヌに気付き、アーマドが何か話すのですが、ガラスに遮られていますので何も聞こえません。
つまり、相手の視野に入っていない状態から、お互いの存在に気付きながらもコミュニケーションが成立しない状態に変化するわけです。後にアーマドがうろうろしていたのはロストバゲージのせいだったことがわかり、遅れて届くスーツケースも物語の仕掛けの一つになっていくのですが、これだけで何かを予感させ、観客の期待を高める秀逸なオープニングです。
マリー=アンヌの家に着いてみると、一緒に暮らしていた頃と様子が違っていて、マリー=アンヌと前夫の娘リュシーと自分たちの娘レアの他に、小さな男の子もいます。実はマリー=アンヌ、サミールという男性と一緒に暮らしていて、その男の子は彼の連れ子でした。サミールと結婚するために正式な離婚の手続きが必要だったわけです。
また、マリー=アンヌとリュシーの関係もうまくいっていないようです。マリー=アンヌからリュシーと話して欲しいと言われ、アーマドが話を聞いてみると、彼女はサミールに強い反感を持っていて、その理由は彼の妻が自殺未遂し、植物状態で入院していること。つまり、サミールの妻を自殺に追い込んだサミールとマリー=アンヌの関係が許せないというのです。
アーマドは、ゴルメサブジ(ペルシア風シチュー)を作って食べさせたりして子どもたちと打ち解けていきますが、それに比例してマリー=アンヌとサミールの関係がギクシャクし始めます。滞在するのはスーツケースが届くまでと言われても、アーマドとマリー=アンヌにはサミールの知らない過去があるわけで、その重みが次第に増していくわけです。
そしてサミールと植物状態の妻との過去。その妻が自殺未遂に至った経緯。映画の原題通り、さまざまな過去(Le passé)が交差し、憶測と誤解を生み出しながら物語が進んでいきます。
過去を照らすことで、登場人物たちの内面が明らかになり、真実に近づいていくというサスペンス仕立てになっていますが、謎解きそのものよりも、人間の心の弱さや関係性の脆さが記憶に残る作品です。
またマリー=アンヌの家があるスヴラン(Sevran)のパリ郊外らしい冴えない家並みや、すぐ近くを通る鉄道の騒音が、登場人物たちの空疎な心を代弁するかのようで印象的でした。こういう何気ないカットで観客の感情をコントロールする技術に長けた監督だと思います。
公式サイト
ある過去の行方(Le passé: facebook)
[仕入れ担当]