19世紀ボローニャで6歳のユダヤ人少年が警察に連れ去られた事件を題材にした映画です。よく知られた史実だというこの事件を、イタリア統一運動(リソルジメント)を背景に、イタリア王国とローマ教皇領の問題やカトリック教会によるユダヤ人の扱いなど当時の複雑な社会情勢を絡めながら家族と宗教の難しさを描いていきます。
1858年6月23日の晩、ローマ教皇の配下にある異端審問所警察が敬虔なユダヤ教徒であるモルターラ家に訪れます。モルターラ夫妻に対し、6番目の子どもエドガルドは洗礼を受けているのでカトリック教徒であり、異教徒が育てることはできないと告げ、翌日夕方からエドガルドを教会の保護下に置きました。これがモルターラ事件(caso Mortara)の発端ですが、その後この一件が他国に伝わり大きな騒動に発展します。

映画の始まりは1851年、8月27日に生まれたばかりの乳児のエドガルドに向かってシェマー(Shema Yisrael)を唱えるモルターラ夫妻の姿をメイドのアンナ・モリシが盗み見る場面です。ボローニャ近郊のサン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェート(San Giovanni in Persiceto)から働きに来たカトリック教徒の彼女は、エドガルドが瀕死の病を患っていると思い込み、知人にやり方を聞いて密かに洗礼を施します。しかしそれにモルターラ夫妻が気付くことはありませんでした。

そして1858年に異端審問所警察が来訪する場面へと続くのですが、警察から事情を聞いた夫妻は“何かの誤解だ”とエドガルドの引き渡しを拒み、近隣のユダヤ教徒を呼び寄せて対応を話し合います。翌日にはボローニャの異端審問官であるピエール・フェレッティ神父に直談判しますが、上層部が決めたことなので自分が翻すことはできないと突き放されます。

結局、エドガルドは連れ去られ、フェレッティ神父が“彼は市内に留まる”と言っていたにもかかわらず、すぐにローマへ移送されます。そして改宗者のための施設(casa dei Catecumeni)に収容され、カトリック教徒としての教義を学ぶのです。どうやらこの施設はユダヤ教徒のみならず、イスラム教徒やプロテスタント信者の改宗にも利用されていたようで、改宗を強制してカトリック教徒を増やし、教会と教皇の影響力を強化する仕組みとして機能していたようです。

モルターラ夫妻はローマに赴き、当地のユダヤ教徒たちの協力を得て教皇ピウス9世に謁見します。エドガルドと面会したいという望みも叶いますが、連れ戻すことはできません。彼を取り戻すための条件は、両親がカトリック教徒に改宗すること。ひとたび洗礼を受けてカトリック教徒となったエドガルドは、再びユダヤ教徒に戻れず、カトリック教徒の元でしか暮らせないのです。

エドガルドは早く家族の元に戻りたいと懸命に勉強し、それによってカトリックへの信仰を深めていきます。最終的に聖職者になってしまうほどですが、この信仰心の強さが、家族との溝を深めていくことになります。家族を思う気持ちが家族との距離を遠ざけてしまうという皮肉。映画の終盤では、今際の際にいる母親の魂を救済しようと洗礼を試みて家族から追い出される場面が描かれます。

物語の背景となる、教皇の権威が失墜してイタリア王国が全土を掌握していく歴史の動乱も興味深いところですが、個人的にはカトリック教会の文化、教皇の奇異な振る舞いが印象に残りました。たとえば足や床に口づけする場面や、五体投地のように這って祈りの場にいく場面など、実際に目にするとびっくりしてしまうことだらけです。

監督は「甘き人生」「シチリアーノ 裏切りの美学」の巨匠マルコ・ベロッキオ(Marco Bellocchio)。エミリア=ロマーニャ州の出身だそうですから「甘き人生」に続く地元ネタです。
父サロモーネ役は「シチリアーノ 裏切りの美学」のファウスト・ルッソ・アレシ(Fausto Russo Alesi)、母マリアンナ役は「甘き人生」のバルバラ・ロンキ(Barbara Ronchi)、フェレッティ神父役は同じく「甘き人生」のファブリツィオ・ジフーニ(Fabrizio Gifuni)、枢機卿執事ジャコモ・アントネッリ役は「帰れない山」のフィリッポ・ティーミ(Filippo Timi)が演じています。
[仕入れ担当]