もうすぐ100歳だそうです。ご本人も映画の中で“ピエール・カルダンが実在すると知って驚く人もいるが、私はちゃんと生きている”とおしゃってしましたが、デザイナーとしてより、ブランドを表す記号として認識している人の方が多いのではないでしょうか。実際、私の実家にも引き出物か何かで貰ったグラス(たぶんコレ)があって、それがファッションデザイナーの名前だと知ったのは後になってからだったような気がします。
本作は、家具や日用品から自動車や飛行機までロゴマークを刻み込むビジネス手法を含め、この稀代のデザイナーがどういう姿勢でどういう仕事をしてきたか、本人と周囲の人々のインタビューを交えて約100分間で総括してくれるドキュメンタリーです。

正直なところ、これまでピエール・カルダンに関心を持ったことがありませんでしたので、この映画のおかげでいろいろなことを初めて知りました。たとえば彼がイタリア人だったこと。ヴェネツィア近郊、といっても30Kmほど離れていますのでトレヴィーゾ近郊といった方が正確かも知れませんが、サン・ビアージョ・ディ・カッラルタという小さな町で1922年に生まれたそうです。ちょうどムッソリーニ率いる国家ファシスト党が興隆した時期で、それを嫌った彼の家族はフランスに逃れます。

1946年のディオールのメゾン設立にデザイナーとして加わり、わずか4年後の1950年に自らのアトリエを立ち上げますが、このときディオールからも援助を得られたようですので、既に“人たらし”の才能は発揮されていたようです。そして1952年に発表したプリーツコートが米国で大ヒットし、ブランドとしての地位を固めます。この米国でひと山あててから拡大路線に踏み出すやり方は、ココ・シャネルとも親しかったようですので、彼女に倣ったのかも知れません。

なかなかの美男子でしたので、恋愛関係も華麗です。当初はアンドレ・オリヴィエ(André Oliver)が公私にわたるパートナーでしたが、シャネルの紹介で映画に進出し、ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)と一緒に暮らし始めます。ときは1960年代。ジャンヌ・モローが最も輝いていたころですね。カルダンは「エヴァの匂い」の衣装も手がけたようです。ということで男性から女性に鞍替えしたわけですが、恋愛に限らず、カルダンの特長はインクルーシブであること。

来日時に森英恵の紹介で出会った日本人モデル、松本弘子を重用したり、ディオンヌ・ワーウィックやナオミ・キャンベルと連携したり、共産圏の中国やソ連でショーを開催したり、世の中に先んじてグローバル化を進めたカルダンですが、それは持ち前の好奇心の強さと、なにごとも分け隔てせず受け入れる姿勢の賜だと思います。だからこそ、畑違いな業界に進出し、世界中でブランドを売りまくることができたのでしょう。

また開けっぴろげな性格も奏功したと思います。映画にはジャン=ポール・ゴルティエ(Jean Paul Gaultier)やフィリップ・スタルク(Philippe Starck)といったカルダンのスタッフから活躍の場を拡げていった人々の他、陰でカルダンを支えてきた人々が何人か登場して各トピックの裏事情をさらっと語ります。

1979年の万里の長城のショーでモデルを務め、現在はファッション・ディレクターであるメアリーゼ・ガスパール(Maryse Gaspard)もなかなな興味深い人ですが、カルダンのアトリエで縫い子として働き、現在はピエール・カルダン美術館のキュレーターを務めるルネ・タポニエ(Renée Taponier)は、カルダンのすべてを知っているという気配を漂わせます。ぜひ彼女を語り部にしてカルダンの歴史をまとめて欲しいものです。

撮影時に97歳ということですから既に98歳になっていると思いますが、今もかわらず仕事をしているようです。イタリア人とは思えないワーカホリックですが、現在は1970年パドバ生まれの親族、甥の息子であるロゴリゴ・バシリカータ(Rodrigo Basilicati)に権限委譲しようと考えているようで、そのあたりの縁故主義にイタリア人らしさが顕れているのかも知れません。

公式サイト
ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン(House of Cardin)
[仕入れ担当]