今年で15年目というラテンビート映画祭、第1作目はビルバオ出身の女性監督アランチャ・エチェバリア(Arantxa Echevarria)初の長編劇映画です。
マドリード郊外で暮らす16歳の少女ロラの初恋の物語。美しい映像で女性同士の恋愛を描いていく繊細な作品ですが、登場人物がヒターノ(ジプシー)だということがシンプルなラブストーリーに複雑さを与えています。
ロラが恋する相手は1つ年上のカルメンで、それぞれの親が商いをしている青空市場で出会います。
ロラは自分が女性に惹かれることに気づいていますが、カルメンはそうではありません。結婚して母になるのが当たり前だと考えていて、数日後に婚約式を控える身です。
ロラの夢は大学に進んで教師になること。対するカルメンは、自分の夢は可愛いらしい美容室を開くことだと言うのですが、それを聞いたロラは、ヒターナ(ヒターノの女性)の仕事イコール美容師という紋切り型を批判します。
エチェバリア監督によると、とりたてて能力のないヒターノの少女にとって職を持つことも自立することも遠い夢で、誰かの妻として生きるしかないのが現実だそうです。そういった背景は、ロラが好んで描き、またカルメンのピアスのモチーフでもある、羽ばたく鳥で表現されています。
その後、二人はカルメンの婚約式で再会し、カルメンの婚約者がロラのいとこであることを知ります。この場面で執り行われるヒターノの婚約儀礼は見どころの1つですが、ストーリー的には彼らのコミュニティの狭さと互いに監視し合う日常が示されます。
映画の舞台になっているマドリード北東部のオルタレサ(Hortaleza)という地域は、歴史的に政府による強制移住先だったそうで、いまも監視塔(→map)が残っています。時折、画面に映り込む監視塔が彼女たちの生活を象徴するかのようです。
カルメンは友だちだと思っていたロラが自分に好意以上の気持ちを抱いていることに気付いて衝撃を受けます。一時的にロラを避けるようになりますが、彼女との付き合いを通じて、ヒターノ社会の閉鎖性やマチスモを押し通す父親や婚約者への疑問が芽生えていたのでしょう。再びロラと会うようになります。
カルメンがロラに“(誰かと)キスしたこともないのにどうして(自分がレズビアンだと)気づいたの?”と質問すると、ロラは“(女性と)キスしたこともないのにどうして(自分は)違うと思うの?”と質問を返します。二人の関係が変わっていく瞬間です。
彼女たちが暮らす社会で同性愛は禁忌であり、呪われた病気として扱われています。カルメンが婚約を解消したことで面目を失った家族たちは激怒し、彼女たちの関係を知ったロラの両親は悲嘆に暮れます。そして彼女たちは居場所を失うわけですが、その後の二人の選択が美しいサンタンデールの風景に繋がっていくところもこの物語に希望をもたらしていると思います。
終映後に元宝塚女優でLGBTアクティビストの東小雪さんを交えてエチェバリア監督のティーチインが行われました。
いろいろと映画の背景が語られましたが、中でも驚いたのは、出演者全員が素人であり、ヒターノであるということ。喫煙シーンがあると言った途端に“結婚できなくなる”と断ってくるヒターナが一般的な中、同性愛の役を演じた主役二人には、登場人物と同じレベルの大きな決断が必要だったと思います。ちなみに、ロラの父親は工事現場の警備員、母親はバリェカス(Vallecas)市場の青果商として働いている人だそうで、それぞれその場で声をかけ、一本釣りしてきたそうです。
また、上に記した通りオルタレサというのは特殊な地域ですので、そこでヒターノの協力を得ながら、彼らの旧態依然とした考え方を否定するような映画を撮れるようになるまでには長い時間がかかったようです。監督は、2009年にヒターナのレズビアンカップルが誕生したという報道を見てこの企画を考え始めたそうですが、その後、6年間かけて彼らのコミュニティに入り込んでいったと言っていました。
おかげで、この映画ではさまざまなヒターノ独特のカルチャーを垣間見ることができます。また同時にネガティブな部分、たとえばDVや貧困の問題だったり、十分な教育を受けられない現実だったり(ロラの母親は文盲です)、ヒターノ以外のスペイン人(字幕では“白人”となっていました)への嫌悪感といった表面化しにくい部分を知ることもできます。ヒターノのDVについては、肋骨が折れるほど暴力を振るわれても離婚できなかったと言っていた「ラ・チャナ」を思い出しました。
いずれにしても監督の熱意が理想的な形で結実した素晴らしい作品です。日本での一般公開は予定されてないようですが、機会があれば是非ご覧になっていただきたい映画だと思います。
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[仕入れ担当]