昨日ご紹介した「パラレル・マザーズ」の少し前に撮影されたペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)監督の作品です。ほぼティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)の一人芝居で、背景がわかるのは彼女が電話に向かって喋る後半になってからという30分間の短編映画。ジャン・コクトーの戯曲「La voix humaine」を翻案(監督いわく”大まかに基づいている”)したものだそうですが、短い時間にアルモドバルの世界観を凝縮した密度の高い作品です。
内容は、彼女の部屋にスーツケースを取りに来るはずの恋人を犬と待ち続けている一人の女性を捉えたもの。おそらく今までも冷たくあしらわれたことがあり、それでも続いていた関係がいよいよ最後を迎えたということなのでしょう。行き場のない怒りや無力感などさまざまな感情をティルダ・スウィントンが巧みに表現していきます。
主な舞台は映画のセットのような書き割りの部屋。スタジオのような場所から映画が始まり、そのまま室内の場面に繋がっていきますので、観ている側は一瞬、戸惑いますが、テラスに出るシーンなどでその部屋がスタジオ内に設えられていることがすぐにわかります。つまり、セットの壁の背後まで見せてしまうという、やや実験的な作りになっています。

その女性はセットの部屋とその裏側を行ったり来たりする以外に1回だけ外出します。行く先はホームセンター。彼女はそこでオノを購入するのですが、この場面が唯一、彼女以外の人物が登場する箇所になります。
部屋に戻った彼女は、ベッドの上に拡げてあったスーツをオノで滅多打ちにします。どうやら恋人のスーツらしく、荷物を取りに来た際、すぐに着られるようにクロゼットから出して拡げておいたのでしょう。約束通りに来ないばかりか連絡も寄越さない恋人への怒りが顕わになります。
この部屋にはよく懐いた犬が1匹いて、時おり彼女にまとわりつきます。どうやら恋人が飼っていた犬のようです。犬は寄ってくるのに、待ち続けている恋人からの連絡はないという状況に絶望感が漂い始めます。
睡眠薬を取り出して多量に摂取するのですが、このタブレットの配色がまさにアルモドバルで、これに限らず小さなショットひとつひとつまで完璧です。部屋のインテリアからバレンシアガの衣装まで何から何までアルモドバル的な色彩で創り上げられています。

もちろん小道具も凝っていて積まれたDVDには「パルプ・フィクション」のタイトルが見えますし、愛読しているペーパーバックはアリス・マンロー「Too Much Happiness」やルシア・ベルリン「Welcome Home」といった具合。ちなみに前々作の「ジュリエッタ」の原作はアリス・マンローの「Runaway」、次作はルシア・ベルリンの短編集「A Manual for Cleaning Women」を題材にケイト・ブランシェット主演で撮るそうですので、もしかすると監督の私物を使っているのかも知れません。

そうこうしているうちに、ようやく電話がかかってきます。ここでAirPodsを取り出して耳に差し込むのですが、この展開も絶妙だと思いました。相手の語りが観客に聞こえたら一人芝居が台無しですから、原作は受話器を耳に当てた状態で進むのだと思いますが、この映画ではAirPodsを使うことで、ティルダ・スウィントンの両手を自由にし、あちこち動き回れるようにして演技の幅と見せ場を拡げます。

また、AirPodsはBluetooth接続ですから電話本体から離れると切れてしまうわけです。待ちに待った電話がかかってきたのに、話に熱くなって切れてしまう苛立たしさが会話にメリハリを付けます。
いずれにしてもティルダ・スウィントンの演技力と、アルモドバルのチームによる徹底的な作り込みに魅了される1本です。
撮影監督は「パラレル・マザーズ」ほかアルモドバルの名作の数々を手がけてきた大御所ホセ・ルイス・アルカイネ(José Luis Alcaine)、音楽は常連コンポーザーのアルベルト・イグレシアス(Alberto Iglesias)、プロダクトデザインも同じく常連のアンチョン・ゴメス(Antxón Gómez)という具合で、工具のイラストを使ったオープニングタイトルからエンディングまで完璧としか言いようがありません。

ティルダ・スウィントン主演ということもあって、アルモドバル監督初の英語作品となりました。ルシア・ベルリン原作の次作は初の長編英語作品となる予定だそうで、本作は30分の短編とはいえ、その前哨戦という意味でも価値ある1本です。
[仕入れ担当]