映画「わたしは最悪。(The Worst Person in the World)」

Verdens Verste Menneske ヨアキム・トリアー(Joachim Trier)監督の作品は初めてでしたが、カンヌ映画祭で主演のレナーテ・レインスベ(Renate Reinsve)が女優賞を獲った他、米国アカデミー賞の脚本賞にノミネートされるなど(受賞作は「ベルファスト」)さまざまな映画祭で話題を集めていましたので観に行ってみました。

描かれる個々のエピソードにリアリティがあり、映像も使われている音楽もセンスの良さを感じさせる作品です。展開も小気味よく、笑えるシーンもふんだんにあるので、おそらくロマンティック・コメディの一種なのでしょう。とはいえ、手放しで笑えるわけでもなく、終映後、すっきりしないものが残る不思議な映画です。

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レナーテ・レインスベ演じる主人公のユリヤは、学業が優秀だった故に迷いなく医学部に進学したものの、自分は肉体より心に関心があると気付いて心理学に転向するのですが、それにも違和感があり、結局、写真家になりたいと母親に宣言して大学を中退してしまいます。

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書店でアルバイトしながらふらふらしていたところ、たまたま出かけたギャラリーで15歳年上のコミック作家アクセルと出会います。すぐに関係を持ちますが、アクセルは年齢差を理由にもう会わない方が良いと言い、ユリヤはその言葉で恋に落ちて、二人はアクセルの部屋で一緒に暮らし始めます。

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ここまでが序章。この映画は序章と終章とその間の12章で構成されていて、状況の変化やユリヤの心象風景を各章のタイトルにして観客の好奇心を煽りながら物語を進めていきます。第一章はアクセルの家族との出会いで、兄夫婦の子育てを見ながらこの映画の軸となる、家族を持つこと、子どもを産むことについて考えさせられることになります。

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ユリヤは20代の終盤に差し掛かり、いまだ自分探しをしていることに焦りを感じています。アクセルはボブキャットというオオヤマネコ(Gaupe)を主人公にしたコミックを描いて成功したのですが、40歳を過ぎ、そろそろ安定した家庭を手に入れたいと思っています。

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兄夫婦と関わったことで、母親のポジションを与えることでユリヤの自分探しに終止符を打てるというアクセルの思いが顕在化します。しかしユリヤにとってそれは彼女の才能の否定であり、限界を思い知れという上から目線の指図に他なりません。なまじ頭が良いばかりに自分が置かれている状況を把握しており、だからこそ不愉快さもひときわです。当然のように口論がエスカレートしていきます。

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要するに、産む性や母性といった古典的な問題ですね。この映画の不思議なところは、マンスプレイニングといったその手の用語やボブキャットが性差別的だという批判などを織り込み、フェミニズムに目配せしているように見せながら、旧い女性観を打ち破ろうともがくユリヤを好意的に描こうとはしないところ。邦題も英題も原題もみな同じ意味ですが、ユリヤの行動=最悪という点で一貫しています。

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確かに、何らかの方向性を示される度にそれは違うと突き放してしまう彼女の生き方は身勝手かも知れません。とはいえ、誰にもそういった要素はあるわけで、主人公のユリヤより、旧い価値観で生きるアクセルの方が深みのある人物に思えてしまうような映画の作りには戸惑わされます。

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ユリヤは成功しているアクセルに嫉妬し、彼の出版記念パーティを抜け出した帰り道で見ず知らずのパーティに紛れ込みます。そこで同世代のアイヴィンと出会い、お互いパートナーがいるので浮気にならないギリギリの線まで試してみるという遊びをするのですが、この経験のおかげか執筆に目覚め、それを読んだアクセルの勧めでネットに公開して反響を呼びます。

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そしてユリヤの30歳の誕生日。実家で母と祖母に囲まれて祝福されるのですが、母と離婚した父は腰痛を理由に参加しません。後日、ユリヤはアクセルと一緒に、新たな家庭で妻と娘と暮らしている父のもとを訪ねます。そこで父の面倒くさそうな態度を見たアクセルは、父を難詰しようとしてユリヤに止められます。ユリヤの不安定さは父との関係に原因があると考えたのでしょう。帰りのバスの中でアクセルは、君は自分の家族を持つべきだとユリヤを諭します。

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もちろんこれで決着するわけではありません。ユリヤが働く書店に偶然アイヴィンとそのパートナーが来店するのです。アイヴィンは店から出た後、忘れ物をしたフリをして戻ってきて、ずっとユリヤのことを思っていた、湾岸地区のベーカリーカフェで働いていると言って立ち去ります。

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その晩、アクセルの兄夫婦と食事をしながらも、このまま流されて良いものか迷っていたユリヤ。翌朝、目の前のアクセルから離れたユリヤの心は、湾岸地区のアイヴィンの元に飛んでいきます。このシーンが予告編などに使われている、周りの時間が止まった中を駆け抜ける映像なのですが、ここでユリヤの気持ちは固まって、成功したコミック作家のアクセルから、ベーカリーカフェでバリスタをしている発展途上のアイヴィンに乗り換えることになります。

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彼と一緒に暮らしはじめてからも、ヨガインストラクターをしているアイヴィンの元カノに嫉妬したり、マジックマッシュルームを試して強迫観念が露骨に現れる幻覚を見たりするのですが、何となく安定し始めるとまた心の奥から満たされなさが顔を出します。そんなとき、アクセルが膵臓癌で長くないという情報と、妊娠が疑われる状況が同時にやってきて、心が揺れ動くことになります。

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このような感じで、どっちつかずのユリヤを描いていく映画なのですが、何にも縛られたくないという彼女の生き方に共感できる人には刺さる映画なのではないでしょうか。逆に、自意識過剰だった若い頃の自分を思い出してイヤな気分になる人もいるかも知れません。いずれにしても、いくつかのシーンは記憶に残ると思います。

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主演のレナーテ・レインスベは、この監督の「オスロ、8月31日」にも端役で出たそうで、このまま女優になれなかったら大工になろうと考えていたそうですが、本作の成功で次作も決まったようです。アクセル役のアンデルシュ・ダニエルセン・リー(Anders Danielsen Lie)は先日観た「ベルイマン島にて」に出ていましたがこの監督の常連俳優とのこと。対するアイヴィン役のハーバート・ノードラム(Herbert Nordrum)は舞台やTVで活躍しているノルウェーの俳優だそうです。

公式サイト
わたしは最悪。Verdens Verste Menneske

[仕入れ担当]