映画「マックイーン モードの反逆児(McQueen)」

00_5 これまでもファッションデザイナーを題材にした映画をたくさん観てきて、今年も既に「ヴィヴィアン・ウエストウッド」と「マルタン・マルジェラ」のドキュメンタリーをご紹介していますが、アレキサンダー・マックイーンの面白さは別格ですね。クリエイションは言わずもがなですが、あの独特な個性で駆け抜けた波乱の人生だけでドラマが成り立ってしまいます。

リー・アレキサンダー・マックイーン(Lee Alexander McQueen)は1969年、タクシー運転手の父と教師の母のもと、ロンドン南東部ルイシャム(Lewisham)で生まれました。下町というか、人種が混在しているエリアですね。生後まもなくストラトフォード(Stratford)に引っ越したそうですが、こちらはいわゆるイーストエンドで、この低開発地域を何とかしようというのがロンドンオリンピックのテーマの一つでもあったわけです。いずれのエリアも高級住宅街でないことだけは確かで、そういう環境で育ったことが良くも悪くも彼の個性として語られることになります。

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16歳で学業を終えましたが、サヴィル・ロウで求人があるらしいと母親から言われて訪ねていき、アンダーソン&シェパードやギーブス&ホークスなどで見習いをします。その後、いきなりイタリアに渡ってロメオ・ジリのアトリエに入るのですが、ここでサヴィル・ロウ仕込みの技術が活きたようです。彼の卓越した技術は天性のものらしく、デヴィッド・ボウイのユニオンジャックの衣装は、当時まだ無名ながら仕立てがめっぽう巧いと評判だったマックイーンに作ってもらったというエピソードが映画「デヴィッド・ボウイ・イズ」で紹介されていました。

さて、ロメオ・ジリを辞めて帰国したマックイーンは、叔母に学費を出してもらってセントラル・セント・マーチンズの修士コースで学びます。その卒業制作に目をつけたのが、USヴォーグの編集者を経てロンドンでTatler誌やSunday Times紙のファッションディレクターを務めていたイザベラ・ブロウ(Isabella Blow)。マックイーンとは正反対の、貴族の血を引く裕福な家庭出身の子女です。そこから彼女とマックイーンの二人三脚での躍進が始まります。

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その3年後の1996年にはロンドンコレクションに参加しBritish Designer of the Yearを受賞。上記のデヴィッド・ボウイへの衣装提供の他、ジバンシィのデザイナー就任という快挙も成し遂げます。パリの高級メゾンが、デビューしたての若手かつコックニー訛りの庶民デザイナーをトップに据えたということで大きな話題を集めます。ちなみにマックイーンの前任デザイナーはジョン・ガリアーノ(John Galliano)で、彼を同グループ内のクリスチャン・ディオールに移したことによる抜擢であり、LVMHグループが攻めに攻めまくっていた時代だからこそと言えるかも知れません。

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しかしその4年後の2000年、マックイーンはトム・フォードの誘いで自らの会社の株式の過半をグッチグループに売却。当時からLVMHグループとは競合関係にあり、その4年後にはPPR(現在のケリング)傘下となる企業に加わったわけですから、2001年にジバンシィのデザイナーを解任されたのは当然の成り行きです。ある意味、マックイーンらしい選択ですが、PPRのビジネススキームに組み込まれたことで年間14回ものコレクションを行うことになり、心身共に疲弊していきます。そしてイザベラ・ブロウの自死、最愛の母の病死を経て、最終的に自らも死を選ぶことになります。

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この映画では、こういった公私にわたるバイオグラフィを、彼の歴史的なコレクションを章立てに使って紹介していきます。サクセスストーリーの面白さだけでなく、あまりにも画期的過ぎてさまざまな議論を巻き起こしたランウェイにも圧倒されます。

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バイオグラフィで面白いのは初期の頃で、セントラル・セント・マーチンズにファッションコースを創設したボビー・ヒルソン(Bobby Hillson)が、“I saw this unprepossessing, very shabby, very unattractive boy with a bundle of clothes over his arms”という散々な言葉でマックイーンを懐かしんだり、マックイーン本人も“働いていることがバレると生活保護を打ち切られるから顔は出せない”とコレクション後の映像で語っていたり、90年代前半のマックイーンがいかに無茶苦茶だったか、とてもよくわかります。またコレクションについては、やはりイザベラ・ブロウ亡き後のショーが最も感動的でした。

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その他、既に亡くなっている本人、母親ジョイス、イザベラ・ブロウの記録映像を挟みながら、有名帽子デザイナーのフィリップ・トレーシー(Philip Treacy)、最初はノーギャラで手伝ったというヘアメイクのミラ・チャイ・ハイド(Mira Chai Hyde)、ブランディングを担当したケイティ・イングランド(Katy England)、アシスタントだったセバスチャン・ポンス(Sebastian Pons)、同じくスタッフの一人で現在はブランドのクリエイティブ・ディレクターを務めるサラ・バートン(Sarah Burton)といった黎明期のスタッフや、ケイト・モス(Kate Moss)、マグダレナ・フラッコウィアック(Magdalena Frackowiak)、ジョディー・キッド(Jodie Kidd)といったファッションモデル、Vossコレクションに協力した作家のミッチェル・オリー(Michelle Olley)といった面々がさまざまなエピソードを語ります。

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エンディングで、マックイーンの追悼展としてメトロポリタン美術館とV&Aで“Alexander McQueen: Savage Beauty”が開催され、来館者記録を打ち立てたと伝えられますが、これはアンドリュー・ボルトンが手がけた企画で、彼のことは映画「メットガラ ドレスをまとった美術館」でご紹介しています。

公式サイト
マックイーン モードの反逆児McQueen

[仕入れ担当]