イアン・マキューアン(Ian McEwan)の小説の映画化です。原題は小説も映画も同じで、チェジル・ビーチという地名が醸し出す風情で読者を惹きつけるわけですが、それでは日本人に響かないと思ったのでしょう。邦訳された小説の題「初夜」は内容そのもので、要するに結婚したばかりの若い男女の一晩の物語。主な舞台はホテルの一室ですが、ところどころに出会いから結婚に至るまでの出来事が挟み込まれ、2人の背景が見えるようになっています。
映画の脚本も原作者が担当したせいか物語の内容も進み方もほぼ小説と同じです。大きく違うのはエンディングで、映画のタグライン“This is how the entire course of a life can be changed: by doing nothing”に絡めて言えば、小説では答えを出さないまま終わり、映画では結果が具体的に示されます。このあたりは賛否が分かれそうですが、後日談は小説を読んだ人へのサービスなのかも知れません。いずれにしても読者(登場人物の背景がわかる人)が観ることを想定して創られた映画だと思います。
物語は1962年のチェジル・ビーチ、作者の言葉を借りればドーセット州アボツべリーの南1マイルの海岸の小高い草地に建つホテルの客室で、新婚の2人がディナーをとる場面から始まります。まだ性に対して閉鎖的な時代ですので、この後に繰り広げられることについて期待と不安を抱えながらの食事で、ワゴンを押してきたウェイターとのやりとりを含めていろいろとチグハグです。
実は新郎エドワード、ホテルに泊まることさえ初めてなのです。ここが英国文学らしいところなのですが、新婦フローレンスは街なかに暮らす裕福な実業家の娘、エドワードは丘陵の小さな村に暮らす教師の息子という格差が物語のベースになっています。これが2人の交際の障壁となり、それを乗り越えて結婚に至ったわけですが、物質的な結びつきより精神的な結びつきを重視した彼らが、肉体的な結びつきの局面で困難に直面することになります。
文化的格差でいえば、映画には出てきませんが、エドワードが初めてフローレンスの自宅、ポンティング家に招かれたとき、ヨーグルトというのはジェームズ・ボンドの小説でしか知らなかった食べ物で、口にするのは初めてでした。その朝食の席でバゲットをクロワッサンと呼んだ逸話は映画でもさらっと触れられますが、彼はそのときまでミューズリもアンチョビーもラタトゥイユもブイヤベースも見たことがなかったし、まだ外国に旅行したことがないと言って家族に驚かれたりしているのです。
エドワードは、オックスフォードの街から10kmほど南東の丘陵にあるタービル・ヒース(Turville Heath)で育ちました。母親が事故で脳に障害を負っている関係もあるのか、学校教師の父親と2人の妹と非常に慎ましい暮らしをしています。最初に会ったときの服装についてフローレンスが語るシーンがありますが、街まで出かけて行く際も、ひざ当てをしたグレイフランネルのズボン、爪先に穴があきかけたズック靴という装いです。
対するフローレンス、父親ジェフリーはポンティング・エレクトロニクス社の会長、母親ヴァイオレットはオックスフォード大学でライプニッツのモナドやカントの定言命法を教えているという家庭で、娘のフローレンスが父親の支援を受けながらヴァイオリニストを目指しているという設定も頷けます。少女の頃から父親のヨット、シュガー・プラム号でフランスのカルトレ(Barneville-Carteret)まで行ったり、旅行にも慣れています。
2人とも大学はロンドンですが、エドワードはカムデンタウンの叔母の家から自転車でブルームズベリーのUCLに通い、フローレンスはアルバートホール近くの女子学生寮から王立音楽大学(RCM)に通って練習に明け暮れていましたので、学生時代に接点はありませんでした。彼らの出会いは卒業後、フローレンスが活動していた核兵器廃絶運動(CND)の集会に、エドワードが気まぐれで入り込んだこと。といっても、エドワードも当時の学生らしく核兵器に危機感をもち、CNDの会費を納めている会員でもありました。そこで一瞬にして恋に落ち、紆余曲折を経てチェジル・ビーチに至るのです。
フローレンスを演じたのは、イアン・マキューアンの「つぐない」でも主人公の少女時代を演じていたシアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan)。このところ「ブルックリン」「レディ・バード」でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされるなど、めきめきと存在感を高めてきました。エドワードを演じたのは「ベロニカとの記憶」で主人公の青年時代を演じていたビリー・ハウル(Billy Howle)で、ジュリアン・バーンズ、イアン・マキューアンと英国を代表する小説家の作品に出てきたわけですが、次作はシアーシャ・ローナン主演のチェーホフ「かもめ」だそうで、あの生真面目な雰囲気が文芸作品にフィットしやすいのかも知れませんね。
そして彼らの周りをかためるのは、フローレンスの父ジェフリー役のサミュエル・ウェスト(Samuel West)、母ヴァイオレット役のエミリー・ワトソン(Emily Watson)、エドワードの父ライオネル役のエイドリアン・スカーボロー(Adrian Scarborough)、母マージョリー役のアンヌ=マリー・ダフ(Anne-Marie Duff)といったベテラン俳優たち。おかげで英国映画らしい雰囲気を楽しめます。
ヴァイオリン奏者としてクラシック音楽にしか関心のないフローレンスに対し、エドワードの好みはロックで、時代とともにチャック・ベリー“Roll Over Beethoven”からT・レックス“20th Century Boy”へと移っていき、21世紀をエイミー・ワインハウス“Wake Up Alone”に代表させたのも良い選曲だと思いました。
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追想(On Chesil Beach)
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