映画「セールスマン(Forushande)」

00 去年のカンヌ映画祭で脚本賞を獲った作品です。監督は「別離」「ある過去の行方」のアスガル・ファルハーディー(Asghar Farhadi)。主演は「彼女が消えた浜辺 」で姿を消す女性を演じていたタラネ・アリシュスティ(Taraneh Alidoosti)と、「別離」で家政婦の失業中の夫を演じていたシャハブ・ホセイニ(Shahab Hosseini)で、ホセイニは本作でカンヌ映画祭の主演男優賞を受賞しています。

これまでと同じく精緻な心理描写を駆使した作品で、関係を修復しようとすることで破滅に向かってしまう夫婦を描いていきます。

主人公の高校教師の夫エマッドとその妻ラナの2人は劇団に所属していて、アーサー・ミラー「セールスマンの死」の上演を控えて練習に励んでいます。映画の冒頭で映し出されるネオンはその舞台の大道具。イランで米国の戯曲を公演するのはなかなか大変らしく、当局の規制を皮肉るシーンが何度も出てきます。

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続く場面は、夫婦が住んでいたアパートが隣地の工事のせいで倒壊しそうになるシーン。住み続けるのは危険だということで新居探しを始めたところ、劇団員の1人が管理するアパートの部屋を斡旋してもらいます。

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ところがこの部屋、鍵がかけられた1室を開けると前の住人の家財道具が詰め込まれていて、その住人いわく、転居先が決まるまで置いて欲しいとのこと。その言い分に納得できないラナは、残された荷物を共用部に運び出し、自分たちが暮らしやすいように住まいを整え始めます。

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ある晩、ラナは夫から帰宅前の電話を受け、すぐ帰ってくると思って玄関の鍵を開けたままシャワーを浴びます。

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しかし、ドアから入ってきたのは別人。暴行を受けて意識を失い、隣人の手で病院に運び込まれます。病院で事件の経緯を知ったエマッドは犯人への憎しみで一杯です。

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犯人が置き忘れていった鍵を手がかりに、近場に停められていたトラックを見つけ出し、その所有者を割り出していきます。

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もちろんエマッドは今まで通り、高校に出勤していますし、劇団の練習にも参加していますが、ラナは恐怖に取り憑かれていて今まで通りの生活に戻れません。犯人は娼婦だった前の住人の客か、前の住人が逆恨みして差し向けた男か、いずれにしてもこの部屋に関係していることは間違いありません。

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エマッドは警察に通報することを勧めますが、性犯罪の被害者であることを公にしたくないラナは拒絶します。それなら事件のことを忘れて、日常を取り戻すしかないと説得しますが、さらにふさぎ込んでしまう感じです。イランの社会規範もあるでしょうし、自らのミスが招いた事件だという事実もあるでしょう。思い出す度に自らを追い込んでいってしまうのです。

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犯人を罰したいという気持ちが収まらないエマッドと、事件そのものを記憶から消し去りたいラナ。お互いのことを大切に思っているにもかかわらず、相手の気持ちを踏みにじる方向に進んで行き、気持ちがすれ違っていきます。そこに、セールスマンの死亡保険金で住宅ローンを返済し、家庭崩壊の危機を乗り越えたものの、もはや家族団らんは望めないという舞台劇の不条理が重なります。

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現代的な生活を営む主人公夫婦は、前住人や犯人の家族と階層が違います。もちろん、イスラム圏ならではの特殊性もあります。そういった社会的な要素をうまく取り込んでいるのも、この監督ならではです。

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エンディングはオープンエンドで、観客の想像に委ねる形式になっています。突然崩壊し始めたアパート、元通りに戻れないセールスマンの家庭といったイメージが散りばめられていますので、覆水盆に返らずという気分になりますが、見ようによってはいろいろ考えられます。映画好きの方と語り合いたくなる、そんな作品です。

公式サイト
セールスマンThe Salesman

[仕入れ担当]