米国史に疎い私は、何となく、南北戦争の後にリンカーンが奴隷解放宣言をしたのかと思っていたのですが、実際は逆だったんですね。
この「リンカーン」は、奴隷解放宣言の後、激化した南北戦争を終結させるという建て前で、憲法修正第13条の可決を目指して多数派工作に奔走するリンカーンを描いた映画です。
ですからスティーヴン・スピルバーグ監督(Steven Spielberg)お得意のスペクタクル映画ではなく、戦闘シーンも冒頭の数分間だけという、おとなしい作品に仕上がっていますが、だからといって退屈なわけではなく、議会でのやりとりや、家庭での苦悩、政治家同士の駆け引きなどが実にスリリング。十余年にわたって構想をあたためてきたというだけのことはあります。
もちろん、この映画で3度目のアカデミー主演男優賞に輝いたダニエル・デイ=ルイス(Daniel Day-Lewis)の名演も見逃せません。私は昔から彼の大ファンなのですが、その贔屓目を差し引いても、この映画の成功の半分以上はダニエル・デイ=ルイスの演技力だと思います。
また、実年齢より20歳も若いリンカーン夫人を演じるため、11キロ体重を増やして撮影に挑んだというサリー・フィールド (Sally Field)も、奴隷解放急進派のタデウス・スティーブンス議員を演じたトミー・リー・ジョーンズ(Tommy Lee Jones)と並ぶ熱演でした。
エンディングで描かれるタデウス・スティーブンス議員のエピソードは噂に過ぎず、史実としては実証されていないそうですが、そこに至るまでのトミー・リー・ジョーンズの演技のおかげで、あたかも歴史の現場を垣間見たような気分にさせてくれます。
しかし、ジム・クロウ法が禁止されて人種差別がなくなり、黒人に公民権が与えられるのは、この百年後なんですよね。
映画の中でも人間として平等なのか、法の下での平等なのかという議論が展開されていましたが、このまま差別が続くわけです。映画「ヘルプ」や「リリイ、はちみつ色の秘密」を観ると、それが大昔の話ではなく、東京オリンピックの頃の世界を描いているという事実に愕然とします。
この「リンカーン」と同時にアカデミー賞の脚本賞を受けたタランティーノ監督(Quentin Tarantino)の「ジャンゴ 繋がれざる者」は、解放奴隷のジャンゴが南部で農場主の白人に立ち向かう映画でした。
その中でも、この「リンカーン」で黒人兵が言う"freeman"という言葉がキーワードのように使われていましたが、ミシシッピ州では黒人が馬に乗ることが禁止されていたり、KKKのような集団が登場したり(バカにされてましたが)、黒人に対する差別の根深さが描かれていました。
これらのアカデミー賞受賞には、この難しい時代に生きる米国民に向けた、米国知識人からのメッセージが込められているような気がします。
[仕入れ担当]