好きな映画の一つに「ドア・イン・ザ・フロア」という作品があります。ジョン・アーヴィングの小説「未亡人の一年(A Widow for One Year)」の序盤を映画化したもので、日本ではあまり話題になりませんでしたが、深い傷を抱え、危ういバランスで暮らす夫婦を演じたジェフ・ブリッジス(Jeff Bridges)とキム・ベイシンガー(Kim Basinger)の演技が深い余韻を残す、大人向きの映画でした。
「クレイジー・ハート」は、何度もアカデミー賞にノミネートされながら受賞できなかったジェフ・ブリッジスが、今年、主演男優賞を獲った作品。期待通り、落ち目のカントリーミュージシャンの役を、味のある演技で魅せてくれます。ミュージカルではないのですが、挿入されているカントリーミュージックの歌詞が登場人物の心情とうまく重なっていて、聴いて楽しむ映画でもあります。アカデミー賞の主題歌賞を受賞したのも納得です。
主人公はかつて人気を集めた初老のミュージシャン。今やドサ回りの仕事しかこなくなり、人気スターになった昔の弟子とデュエット・アルバムを出すことを期待している有様。何度も結婚に失敗し、アルコール依存症ですが、それでもミュージシャンとしての誇りをもって、田舎町から田舎町へとステージをこなしています。そんな中、サンタフェの町でマギー・ギレンホール(Maggie Gyllenhaal)演じる地方紙の記者と出会い、彼女と彼女の息子との交流を通じて、自らの生き方を見つめ直していくというのがあらすじ。
とてもストレートなお話です。ひねりが足りない、予定調和だと言う人もいるかも知れません。でも、この映画の良いところは、騙したり陥れたりするような悪意のある人が出てこないところです。老ミュージシャンは、大スターになった昔の弟子をきちんと評価していますし、コリン・ファレル(Colin Farrell)演じるその弟子も、老ミュージシャンをMentorと呼んでリスペクトしています。ドサ回りに送り出すマネージャーも、旧知のバーテンダーも、みんな老ミュージシャンに愛をもって接しています。
アメリカ南部のどこまでも広がる澄んだ青空と、悲哀を含んだ歌詞を明るい曲調にのせて歌うカントリーミュージック。田舎町の陽気で純朴な観客たちと、愛にあふれた登場人物たち。これらの要素とジェフ・ブリッジスの熱演によって、ハッピーエンディングとはいえない結末ながら、とても後味の良い映画にしています。映画館を出た後、ほんわか優しい気持ちになれる映画です。
個人的には、過去の栄光に寄りかからず、今を懸命に生きる老ミュージシャンの姿勢が印象的でした。田舎の小ステージばかりだと愚痴をたれながら観客へのサービスは忘れなかったり、会場でCDを売らせるつもりかと文句を言いながら、ステージの後、ちゃんと売りに行ったり……。どんな厳しい状況でも捨て鉢にならず、常に飄々と生きていきます。谷根千ローカルねたで恐縮ですが、映画を観ながら、ふと善光寺坂「桃と蓮」の店主のことを思い出しました。ちなみにジェフ・ブリッジス、自らのサイトで素敵な写真集 Crazy Heart book を公開しています。
公式サイト
クレイジー・ハート(Crazy Heart)
[仕入れ担当]